Festina Lente2

Festina Lente(ゆっくりいそげ)から移行しました

祝1000日目―継続は力なり

10日ほど前、とあるブログにコメントをつけた。
何しろそれが魅力的な記事だったので。
「ひとつの原点」という記事の題名に惹かれ、
むろん話の内容に惹かれ、
深く考えることも無く思わず筆が動いたというか、
何というか・・・。
そういう時ってあるものです。


思い出が未来から自分を呼んでいる。
過去が新しい未来を読み込んでいるかのように。
未来が懐かしい過去を編み直しているように。
そんな縦糸横糸を潜り抜けながら、
人は生きているのかもしれない。
それを旅だと思っているのかもしれない。

エルサレム・クロック―イスラエルの春夏秋冬 (私のとっておき)

エルサレム・クロック―イスラエルの春夏秋冬 (私のとっておき)

クロアチアの碧い海 (私のとっておき)

クロアチアの碧い海 (私のとっておき)



1000日間分のFestina Lenteの旅。
確かに亀の歩みです。焦っているよう一向に進まぬ。
いや、焦っているからこそ逆走しているような感もあるけれど、
それでも、ここまでやって来ましたかの1000日分ブログ記念日。
記事はもっと沢山あるはず。
いやあ、文筆業でもないのに、よく書いたものだ。
思春期以来だ、日記をつけるのは。よくもまあ、書いたものだ。
書くことがあったのだ。書きたい時も、書きたくない時も、
書き足りない時も色々あったけれど、
1000日分の心の動きと出来事が、とにもかくにも。


思えばあっという間だったのね。
こんな風に時間は過ぎていくし、歳もとって。
小学校1年だった娘は4年生になり、
まだまだ元気だった両親は、少々心配になってきたけれど、
それにもまして、変わったのは私自身。
斜に構えて降りかかってきた災難、不幸を嘆くだけではなくて、
書き散らすことでどうにかこうにかやりくりできるようになった。


「見ぬ世の人を友とする」と兼好法師は言ったけれど、
ブログの中で人の顔は見えず、声は聞こえず。
されど言葉は人柄を思わせ、写真は眼差しを連想させ、
思いがけないコメントに感じ入り、見知らぬお宅訪問のように、
電脳玉手箱の蜘蛛の巣の上を渡り歩く日々が続き・・・。
1000日だそう。


この間に2回も入院し、お陰様でどうということも無く日々は過ぎ、
歯は減り続け、歳も取り、体重も増え、いやはやいやはや。
ただ、本当に私は運がいい。
電脳玉手箱のお陰で「見ぬ世の人」生きている時代は同じでも、
会うことの叶わぬ様々な世界の人、仕事・居住地・年齢、
本当に多くの人との繋がりができた。


増えたのは年齢と体重だけでなく、感謝の気持ち。
歳を取りつつも驚き、わくわくし、憧れ、感じ入る日々を、
電脳玉手箱のお付き合いから得ることができること。
バーチャルだって、そのキーの向こうにはあなたが居て、
私が居るのは紛れも無い事実。


お付き合い下さってありがとう。1000日目になっていたそうです。
数えて記事を書いているわけではないし、
人気ブログでもなんでもなく、色んなパーツを貼り付けているわけでも、
アフェリエイトに精を出すわけでも何でもなく、
ひたすら自分自身の日常生活を色んな角度で書くだけの、
「あやしうこそものぐるほしけれ」に近づくための日記。
純然たる日記ブログにようこそ。


え? 記録になっていない。思ったままを綴るので。
単純生活記録にはなっていないけれど、日記ですから。
私がブログをいうものを知ったのは、4,5年前?
転勤前からしょっちゅうパソコンを覗くようになり、
転勤後、降りかかってくる諸々から避難する為に、
やむを得ず知識や情報を得る為に、電脳玉手箱を開いた。
これはパンドラの箱だったか? そうとも言える。
私はこの箱のためにいいことも悪いことも。


一番のマイナスは時間を食ったこと。
少々視力が落ちたこと。
でも、ブログを始めた頃の私にとっては、必要なことだったのでしょう。
そして今、どういう風に続けていけばいいのか、
どういうふうに終わらせる時を持てばいいのか、
やはり考えてしまいます。


でも、今しばらくは続けてみましょう。
何だかんだ言っても、書く時間がとれるほど、
色んなものが残されている私です。
本当にいつもありがとう。
遠くから見守ってくれていてありがとう。
ひとところに居ながら「日々旅にして旅を住処とする」
ことができるのは、電脳玉手箱のお付き合いならでは。
それでは今日もどこかで・・・。

それでもなお、人を愛しなさい―人生の意味を見つけるための逆説の10カ条

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スマイルズの世界的名著 自助論 知的生きかた文庫

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