Festina Lente2

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連休明けの感傷日

実は今回の旅行は丸っきりパーになっていたかもしれなかった。
かーちゃんが体調を崩していたからではない。
なかなか御片づけができず、学校からのプリントや連絡、
きちんと宿題等やら頭に成績が下がり、すったもんだ。
本人もクラスは面白くない、先生には甘えられない、
家では叱られる、やる気をなくして少々いい加減すぎて、
とーちゃんに大目玉。予約が入っていたにもかかわらず、
「連休の旅行なんか無し!」と叱られていた学期末、新学期。


かーちゃん、旅行に行くに際して、近医に掛かることができず、
とーちゃん宅の近くで、同級生の診察を受けることに。
いやあ、恥ずかしいのなんのって、耳鼻科でも。
しかし、出して貰ったお薬はよく聞いた。ありがたや。
今までの同級生の診察を娘が受けたことがある。
小児科内科だったが、その時は全然気が付かなかった。
向こうも全然わからなかっただろう。同じクラスでもあるまいし、で。
後からわかって、行き辛くなってしまった。


今回の旅行。古いユースを希望したのはかーちゃん。
しかし、隣の客のお陰で寝不足になっってしまったとーちゃんは、
少々不機嫌だった。それにしても、何だね、
学生の夜の宿泊訓練のお泊まりの打ち明け話のようなものが、
いい年をした大人でもするんだねって会話が、
夜の夜中を過ぎて延々と聞こえてくるのは、まずかろう。
? え? ここに愚痴愚痴書いている自分はどうだって?
それを言われると、どうしようもない。


昔は沢山の合唱練習を目的とした合宿が行われたそう。
だから、ユースのあちらこちらにはピアノが置いてある。
私達が泊まった部屋にもアップライトがあった。
食堂にはグランドピアノがあった。
2階にも・・・。水郷に響き渡るように歌声が響いた頃は、
どんな雰囲気だったのだろう。
今ではそういう宿泊は途絶えてしまったらしいが。


篠田の火祭り。TV局のインタビューを受けていた娘。
そうか、取材に来るぐらい有名なんだね。
空襲を知らない人間が空襲を受けたんじゃないかと思うくらい、
人生で一番怖かった仕掛け花火。大松明はどんなに燃えても、
距離が取れるから怖くは無いが、ぱちぱち火の粉を散らして飛んでくる花火は
自分が子どもだったら、結構トラウマになりそうだ。


旅行に出るのに、1度行った所を再び訪れるというのは新婚旅行以来。
中欧に訪れた私だったが、実はみんな知っている場所ばかり。
なのに再び訪れたのは、まあ、好きな場所だったせいもあるが、
第一希望だった所は真夏に行く人間がいないと、却下。
オーダーメイドの旅行をする程の暇も時間も無く、ツアー参加。
その時以来の再訪宿泊旅行。昨年の美山は2度目は日帰りだったが、
今回は、随分ゆっくりペースで見て回った。


親に連れまわされる娘の気持ちは、いかなものか。
自分が行きたい所ではない、子ども中心ではないプラン。
そのうち否が応でも親と出かけることなど無くなる、思春期前期の入り口。
今だけの思いが、お出かけに拍車をかける。
いつまでこうしていられるかわからない、という焦り。
寛解も長く続けば、穏やかな日常生活だから、
思い出作りに精を出さなくても大丈夫だろうと思いつつ、
親と出かけた思い出が余りにも少ない自分自身の子ども時代が、
憑かれたように出歩く事を強制する、そんな気もする。


それにしても、洋式のホテルに泊まって娘が困惑しているのにも、
ユースで間違えてバスタオルを濡らしてしまったことも、
今となっては笑い話だ。ホテルのバスのお湯を1回で全部捨ててしまっていいのか、
カーテンの付いているお風呂に?の顔をしている娘を見て、
ああ、やはり、まだまだ子どもだったのだなと改めて思った。
普段余りにませた事ばかり言うから、何気なくそのように扱っていても、
実は体験不足情報不足で、「知らない・わからない」がまだまだある。
でも、それを忘れてしまっているのは身近にいる親の方。


期待的観測のもと、要求・要望ばかり募って、
甘えたい盛りの、ちょっと背伸びしてみたいけれど、
まだまだかわいい所が一杯残っている子ども子どもした部分があると言うのを、
何故、気付かずに来てしまったのだろうと反省。
ここまで来てしまっては、今更幼子に戻ることは出来ない。
あのポニョポニョした感触を、遠い遠い思い出の中に永遠に置いてきてしまった。
そんなふうにさえ思ってしまう。


旅の中で、家人の運転する車の中で安らぐかーちゃんと娘。
こういう風景で家族を切り取る毎日、旅の景色がいつまで続くのだろう。
いつまでも子どもだ子どもだと思っていた娘は、あと4ヶ月もすれば10歳だ。
何と言うことだろう。もう、一緒に過ごすのは今まで過ごした時間よりも、
ずっとずっと短いのではないか。
そんな思いに囚われると、果てしなくスローモーションで
「今」を切り取り続けたい。そういう思いに駆られる。


旅の景色の中で、笑ったり怒ったり膨れたりしている娘と一緒にいると、
一日のうちでいかに離れて暮らしている時間が長いか、
一緒にいるなんていうのは、食事時だけではないかと哀しくなる。
どこのうちでも一緒だといわれればそれまでだが、
連休を過ごした後は、日常生活がやや別の色合いを滲ませて、
当たり前の日常生活を振り返らせる。
振り返らざるを得ない。


旅の余韻は、日常生活の行間に滲む。
目には見えないが、心には深く食い入る。
だからこその旅か、そのための非日常か。
旅のこぼれネタを拾い集めて、落穂拾い。
かーちゃんは感傷的な気持ちで、出勤。
月曜日のような雰囲気の木曜日。
明日仕事をすれば、また休めるのが嬉しい。