Festina Lente2

Festina Lente(ゆっくりいそげ)から移行しました

バスガイドの思い出

あれこそがプロのバスガイドだった。旅のお手伝いのプロ。
観光客をくつろがせ、心地よく非日常を演出。
異国の風物に目を見開かせ、新たなる発見に導き、
一方ならぬ薀蓄、ますます知りたくなる土地の歴史、
口にしたくなる名物、里心付かぬ様に歌で盛り上げ、
言葉であやし、景色を枕に旅行けば、優しい一声で
現(うつつ)に帰る。あっという間のバスの旅。


仕事に就いて、4・5年経った頃の一人旅。
まだ訪れたことの無かった北九州を1週間周遊。
四半世紀近い昔の、国鉄? JR? とにかく鉄道の旅。
安いビジネスホテルやユースに泊まり、大分までやって来た。
旅の最後の2泊を別府温泉でゆっくりしようと思って、
少し豪華にホテルを取った、その時。
一人で歩き回るのに少々疲れていたのと、その不便さで、
観光バスを使って効率的に見るしかないと考え抜いた挙句、
選択した国東半島の旅。神秘的な臼杵の磨崖仏を見るのが目的だった。

小さな旅 国東物語

小さな旅 国東物語

20湯布院・阿蘇・別府 気ままに電車とバスの旅 (ブルーガイドてくてく歩き)

20湯布院・阿蘇・別府 気ままに電車とバスの旅 (ブルーガイドてくてく歩き)


一人で観光バスに乗るなんて肩身が狭いのではと思ったくらい。
何しろホテルの予約も、うら若き!乙女一人の宿泊だと電話すると、
断られたり、割高だったり、今一つの反応も多かった頃。
あんまり安いビジネスホテルでは無くて・・・と思っても、
温泉をたっぷり楽しもうと思うと、湯布院まで繰り出す予算が無かった。
そんな若い頃の一人旅の観光バスの思い出が蘇る。
キッザニアのお陰で記憶の底から蘇ってきた、バス旅行、
バスガイドさんの思い出。まさしくプロのバスガイドの。


私が利用したホテルは亀の井ホテル、バスは亀の井バス。
そのバスガイド第一号の名物バスガイドの大往生を報じる記事を、
この春、いつだったか目にしていた。各誌にも掲載されていたかと思う。
別府温泉の顔、地獄めぐりを七五調で案内した昭和初期の少女バスガイド、
3月30日に永眠した村上アヤメさんの記事。
http://today.blogcoara.jp/beppu/2009/04/post-a8c5.html
働く女性の先駆者として昭和を駆け抜けた彼女に育てられた、
叩き上げのバスガイドが、その時私を案内してくれたのだと思う。



挨拶から乗客の一人一人に気配り目配り心配り。
話題と案内、緩急自在で、雑談も案内もぴか一。
何しろ最近のテープを流すだけの観光バス案内ではなく、
ガイドブックを読むだけの案内でもなく、
肉声リアルタイム、話題豊富で名調子の案内。
いわば、旅する移動空間のファシリテーターとでも言うべき
案内の巧みさに、20代の私は魅了された。

こころ維新―バスガイドは愛縁奇縁の人生旅行

こころ維新―バスガイドは愛縁奇縁の人生旅行



国東半島の旅が楽しかったのはいうまでも無いが、
その時のバスガイドが、亀の井バスの宣伝はもちろん、
徹頭徹尾サービス精神とプロの職業意識でもてなしてくれた、
その記憶、思い出が蘇ってきた。
彼女のガイドの素晴らしさにお礼を言ってバスを降りる時、
自分の大先輩には及ばないのだと話していたことをも。
きっとその方が、多くの後輩を育て上げた訃報の主、
村上アヤメさんだったのだろう。
その時のバスガイドほど心に残るガイドに遭った事は無い。


残念なことに、同じ会社の別のバスでの地獄めぐりでは
そこまで素晴らしいガイドに巡り合う事は無かった。
但し、亀の井ホテルのフロントの応対は実に丁寧で、
若い女性の一人旅というと何となく抵抗のあった私に、
丁寧な観光案内をして下さったのも嬉しい思い出。
その亀の井の名を、キッザニア体験後に思い出すとは・・・。


お仕事体験で観光バスもあった。娘は選ばなかったが、
神姫バスと思しき観光バスに、ガイド役の子がガイド本を読む。
その光景に違和感を覚えて、連想したのだろう。
私の心の中では、バスガイドは案内を暗記している者、
いちいち本のページををめくるのは野暮、
よほどの確認が必要? それとも経験不足?
そんな印象がどうしてもまとわり着いてくる。


キッザニア以来、プロになるのはこういうごっこからは
遠く隔たっているという違和感に悩まされるくらい。
何しろ、多くの職業を経験した方が選択肢が広がるという、
発想そのものにどうしても馴染めないでいるから。
そして、叩き上げられて一人前になる前に、
辞めて諦めて、「誰でもできる仕事は嫌」と職務内容に難癖、
理想が高いのはいいが、自分の側に仕事を引き寄せるのではなく、
マニュアルに従えば何とかなるという安易さで仕事に就く、
その型に嵌るハマリ方の幼稚な姿勢、心構えに抵抗。


石の上にも3年というけれど、それは仕事の本質が見えて来るか来ないか、
そのほんの入り口に差し掛かった頃でしかない。
なのに、3年も持たない、選んだ仕事に自身が持てず転々。
転職族こそ苔むさぬ賢い職業選択と思っている人間には、
一つの仕事に打ち込む時間が余りにも少なすぎる。
極める前に、飽きて目移りするのでは仕事内容は醸成されはしない。
プロの仕事は、したいことをするのではなく、
しなければならないことをする。


仕事を芸域の高みにまで持って行くことが出来たバスガイド。
町を愛し、郷土を愛し、自信と誇りを胸に多くの観光客に、
その土地、その町、村々、自然を紹介する仕事。
出来るだけ印象に残るように、楽しめるように、
様々な演出を考えながら・・・。
なのに、今やその存続が難しいという・・・。
だって、この人のように仕事がしたい!という
憧れの対象になり得る「バスガイド」に出会った事が無ければ、
なかなか志願者も集まるまい。


仕事には、憧れも尊敬も必要だ。
単に世の中に必要とされているから、給料がいいから、
そんな上滑りなものではなく、この人の後に続きたい、
この人のようになりたい、こういう仕事内容に打ち込みたい、
口に出してしまえば当たり前の情熱と憧れが必要。
若者が、次世代の人間がそこに引き寄せられる、
若者を、後継者を夢見る人間を巻き込む存在感のある人間、
自分の仕事に真摯に向かい合ってきた人間の歴史、
経験者の体現、語りが無ければ無理だろう。


キッザニア以来の違和感は、昔の旅の記憶を蘇らせる。
亀の井バスのバスガイドには新入社員が入ったそうで、
お別れの会にはその名調子名台詞を披露したらしい。
先輩の教えを受け継いだ方々が、後輩を引っ張っている。
その地盤を廃れさせてはならないと思う。
バスガイドは一期一会の観光客の旅の記憶を印象付け、
長持ちさせる名脇役でなくてはならない。
その一軒派手なようで、実は黒子である仕事を、
誇りを持って続けることができるかどうか。


実際度の仕事も、日の当たる部分と当たらない部分の差は大きい。
お仕事体験で、日の当たる部分ばかり強調して遊園地気分で、
スポンサーや国。お上の教示を刷り込まれて、
影のカリキュラム的メトロポリスの歯車だけにならないよう、
自分の娘がそのような形で職業選択の病に冒されることが無いよう、
プロであることを目指して欲しいと思う今日この頃。
かーちゃんは、昼夜逆転するほどの忙しさ。
いやいや、睡眠ではなく仮眠のみが続く今週。
忙しい時はこんなもの。これが仕事中の現実。

あこがれ仕事百科

あこがれ仕事百科

 
やりたい仕事がある!―好きな仕事・向いている仕事741職

やりたい仕事がある!―好きな仕事・向いている仕事741職