Festina Lente2

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「職業選択の自由」の病

あれからずっと考え続けている。キッザニアに行ってからずっと。
職業教育って何なのだろう。キャリアカウンセリングって何なのだろう。
本当に御仕事体験は大事なことなのか。
むろん不必要だとは思わないけれど、無いよりもいいのだろうけれど、
そこまで用意して、お膳立てして経験させなければならないのだろうかと
不安になるのはおかしなことなのだろうか。


色んなブログで親御さんが、良かった、また行きたいと楽しげに書いている。
何だか楽しい記事を掛けなかった自分は、やっぱり年取った親だから?
(若い保護者の方とお喋りするのに疲れるような、年代の差?)
子どもの心を失っているから? 子どもの心から離れているから? 
単に仕事に疲れていて素直に楽しめないだけ?
どうして楽しめなかったのだろうと、ふつふつ疑問が湧いてくる。


子どもの側からは「したい」「やりたい」ことの体験なのかもしれない。
でも、私には普段子どもが熱中するバーチャルなゲームを、
大々的に体験させているだけのような気がしてならない。
偽物のまがい物の中で、安全に「さわり」だけ体験して、
雰囲気を味わって、興味を持たせる。
職業選択の自由の時代といえども、本当に選べるかどうかというと、
能力・モチベーション・収入・夢とは一致しないのが当たり前、
それが職業決定の現実だということを、教えないまま、リセット。


リセットのきくゲーム感覚で職業体験させて、本当のお金ではない、
偽のお金を貯金させて銀行カードを発行して、
証券会社で投資させて、(現実には元本保証のない世の中なのに)
マネーゲームが楽しいもののように錯覚させる。
それがいいのかどうか、それが職業教育の第一歩なのか、
とても気になって仕方がない。
スポンサーの出店していない、つまりブースのない職業は不利というか、
捨て置かれているような・・・。


ある意味計画経済というか、国や企業の望む人材を刷り込むような、
職業の世界を歪曲して疑似体験させているだけじゃないのか、
不安になってしまう親の私は、考えすぎなんだろうか。
私達の時代にはこういうものは無かった。
私は商家でも農家でもない、普通のサラリーマン家庭で育ったので、
自営業の生活というものを知らない。
親の職業を継がねばならぬというプレッシャーもなければ、
資産も無い中で、「学歴だけが財産よ」みたいな事を言われて育った。


「だから」なのか、「やなり」なのか、職業観は育成されず、
というか、本当に色んな仕事があるのを文字面の知識だけで、
全く何も知らないまま大学まで行き、趣味のように勉強を続け、
とりあえず資格に必要な単位を取って、今の世界に飛び込んだ。
身近に知っているものが余り無かったので、当然選択肢は狭かった。

新版 キャリアの心理学―キャリア支援への発達的アプローチ

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キャリア・アンカー―自分のほんとうの価値を発見しよう (Career Anchors and Career Survival)

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子どもを授かり育て始めた頃は、健康で五体満足で、心素直な、
安らかな成長だけを願ってきたけれど、実際に小学生も半ば、
この年齢までくると将来のことが迫って来て、何とも世知辛い。
丈夫になるように水泳を、歌って(踊れなくてもまあいいけれど)
楽器の一つや二つ弾ければ楽しかろうと音楽教室に行かせ、
勉強らしいものは何一つさせて来なかった、能天気なかーちゃん。


お習字や算盤もさせておくべきだったか、いやいや、
ガールスカウトやその他の体験教室に放り込むべきだったか。
学童保育が終わったのだから、塾に行かせて最新の受験勉強の
ノウハウを叩き込んでやるのが親の愛情なのか。
学習塾にも予備校にも行ったことのない人間には、とんとイメージが沸かない。
だから、『体験』なるものが必要なのだろうか。
「何事にも先達(せんだつ)のあらまほしきものかな」だから?
しかし、それは、先達と呼べるものなのか?


職場の同僚と話題にする。自分達は何も知らずに大きくなったねと。
どこかに先駆者がいて、徒弟制度、付き人のようにくっついて、
何かを盗み覚えて自分のものにして、そういう世界で生きてきたわけでもない。
来る日も来る日も論文を書くために思索・実験を繰り返し、
己の一生を捧げる研究テーマに没頭するという生活を送っているわけでもない。
国の政治を動かすために、「桐一葉」に世の動きを察知するような毎日でもない。


日々の糧を得るために、親の後ろ姿をどの様に見せているかと問われれば、
少々考え込まざるを得ない。作文や思い出の中にある親の姿が、
特にサラリーマンの家庭の子供が、休日疲れて寝ている親の姿しか思い出せない、
そういう話はよく聞く。我が家もそれと大差ないではないか。
一日出かければ、翌日はぐったりしてしまう。
20代30代の若い両親のように振舞うことなど、心身共に無理な私達。
親子揃って出かけるよりも、交代交代で何とか持っている。
そんな感じの家族行事。何から何まで手作り体験の知識は持たないから、
お任せ企画は楽ではあるものの、それはそれで、悩んでしまうかーちゃん。


何かを選ぶということは、何かを捨てるということ。
選択する自由は、多くのものから選べるというメリットだけではない。
何をどのようにして選べばいいのかわからないという、迷いを生じさせる。
ただでさえ、昔なかった仕事が、職種が、雨アラレ雨後のタケノコ状態。
親は仕事・職業に対して、どこまでアドバイス出来るものやら・・・。
社会に送り出すには精神年齢が余りに幼い学生達を、
溢れる情報に囲まれて、肥大した自己を持て余して成長した輩を、
「ご恩」「奉公」に見合うものが得られないと「荒れる」だろうに、
この不況の世の中で、モチベーションを持ち続けることが出来る、
一生の仕事を選ぶことが、本当に可能?


仕事が一を選ぶのだという発想ではなく、人があくまで中心なのは、
何かしら恐ろしい気がする。
この仕事には人が必要だから、この技は残していかなくては、
守り伝えるべきだからという発想からまだまだ遠く、
やりがいを見つけるまでの過程をすっぱ抜きにして、
「型から入る」が、安易なお仕事体験ではまずいのではないか。
それともこれを、初歩の初歩の「型から入る」として、評価すべきなのか。
物作りの現場は、お上の鳴り物入りでも人が集まらず、一寸先は闇。
ドイツのマイスター制度のように優れた技術・鍛え抜かれた技に
尊敬と憧れ・賞賛が寄せられるような世の中でもなく、
また、そういう世界があるということを、殆ど教えずに来た世の中。


デパートの物産展では、まるで客寄せのパンダのように
職人が技を披露しながら「実演」と称して人目を引いている。
しかし、そこに集まるのはシニア世代で、若者や子どもはいない。
「パティシエ」は人気があっても、菓子職人は目立たない。
いくら朝ドラで取り上げてみたところで、子どもの見る時間帯ではない
朝ドラは、若者や子どもに影響を与えることは少ない。
ちりとてちん」の世界も、子どもや若者が熱中したのではなく、
私達のような大人と呼ばれる世代が、熱狂的に喜んだらしい。


目に見えぬ話芸。生身の師弟関係から伝えられる技、技術。
そういうもの、仕事の醍醐味、辛さ切なさを知ることなく、
ある側面だけを体験した(つもり)のまま、
職業体験というものを鵜呑みにして成長した子どもが、
自分の職業観をどの様に育てていくのか。
親はどの様に育てていけばいいのか、見守ればいいのか。
娘を抱える身としては、なかなか思い悩む。


当座は毎週のように舞い込む、塾の宣伝、公開模擬テスト、
体験講座、夏の集中講座との戦いだ。
小学生から受験。かーちゃんには想像がつかない。
そして、公立不信。進学、受験、就職活動。
より良い環境、より有利な就職活動、
職業選択の自由は親の経済力に掛かっているのだという。
途方も無い話、途方も無い世界の話。


カウンセリングスクールでは「仕事が見つからない」が一つのテーマ。
何がしたいか、どうしてやめたのか、何故選んだのか、
何が問題だったのか、どうしたかったのか、何ができなかったのか、
具体的に問題を解決する能力を持たないまま、迷いの中にある人間を、
受け止め育て直すのが主流の向きもあるというのに、
「生活するため」に選ぶのではなく、
自己実現』を高く掲げた就職活動は、理想に長けていても、
現実にはどうか・・・。


「自分探し=仕事探し」というのは本当だろうか?
当たっているようで、どこか煙にまいているような気がする。
何故なら、仕事が自分を鍛えて変容させてくれる前に、
自分には向いていないとすぐに諦める人の方が多いもの。
「したいことと、しなければならないことは違う」という前提を、
一から意識させなければならない、今の時代は恵まれすぎていて
本末転倒。贅沢な「職業選択の自由」もしくは、
何も努力しないまま、もしくは切り捨てられてきたまま「職業選択の不自由」
体験したことが仇になり、散漫な「ないものねだり」のスパイラルに
陥ることが無いように見守らなくてはいけない時代。


悩ましい、悩ましいよ。キッザニア
普通の遊園地よりも「たち」が悪い。
3Dのような、立体的擬似空間、「電脳コイル」じゃないけれど、
はまりたくない、慣れ過ぎたくない。
そんなふうに考えてしまうかーちゃんは、職業病か?
・・・かもね。

キャリア・ダイナミクス―キャリアとは、生涯を通しての人間の生き方・表現である。

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先生のためのキャリア・カウンセリング事例集―導入に向けての基礎の基礎

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