Festina Lente2

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「世界最速のインディアン」

本日娘の1学期保護者懇談。通知表って予め見せられるものなのね。
昔はというか、保護者懇談なんて学期ごとにあったっけ?
小学校時代の記憶は定かでは無いが、とにかく娘の通知表。
去年色々あって少々落ち込んだことを思えば、
ちゃんと復活、偉い偉い。根本的にまじめだモンな、君は。
自分の娘の通知表以前に、先生の話してくれる君の姿、
家とは随分違うなあ。もちろんそれが当たり前だけれど。


掃除、黒板を綺麗にする係、筆で隅々まで綺麗にしているんだね。
友達とどんな風に過ごして入るのか、
全然かーちゃんにはわからないけれど。
友達が家に来ることも無いし、遊びに行って入る姿を見ることも無い。
仕事が終わって帰宅すると、君は家で留守番をしている。
何だか、本当に立場が逆転している。
家で親が子どもの帰りを待つのではなくて、
子どもが親の帰りを待っている。


かーちゃんは自分の娘といってもおかしくない年齢差の、
新任の先生に色々君のことを褒めて貰った。
教室にはってあるお習字も見てきた。
君は気にしていた。でも苦手科目があるのは当たり前。
ましてかーちゃんの娘の君。とーちゃんの娘の君。
ちょっぴり運動は苦手だよね。仕方ない。
気にしていないよ。君は凄く気にしている。
初めて「がんばろう」が付いちゃったよって。


「がんばろう」「できる」「よくできる」この3つに縛られて、
評価されることを覚えて、だんだん臆病になって行く。
自分の思った通りに動いたり発言したりしにくくなる。
君は拗ねるんだってね? そんな所もかーちゃんに似たなあ。
できないことやわからない事がどんどん増えてくる、
それを意識して、どうにか何とかやって行く。
そんなふうに成長して行く。
大きな夢や小さな夢を叶えるために、
できるだけ広い広い世界を、広く深い世界を。


娘と懇談での話をひとしきり、おそおその夕食。BS洋画劇場は、
アンソニー・ホプキンス演じるタフなじーちゃんが夢に向かって
ひたすら頑張る映画を偶然一緒に見ることに。
早く寝ろーと叫びたいところだけれど、何となく一緒に見てしまった。
見るのを許してしまった。一緒に見たかったというのが本音。
「世界最速」の記録を出すために、淡々とバイクの手入れをする老人、
唯一孫だけが向かい合ってくれていて、息子夫婦には呆れられつつ、
離れで黙々と1920年型インディアン・スカウトを整備。


目標を持ち、何かに打ち込み、成功をイメージしながら、
淡々と頑張り続ける。一つ一つ色んな手続きをこなしながら、
着々と計画を実現する。諦めない、決して諦めない。
愚痴らない。周囲のせいにして「ぶーたれる」ことの無い、
自分の夢に対して誠実な確かさが、ひどく新鮮。


ああ、娘よ。こんなじーちゃんが身近にいたら?
自分のやりたいことのために、周囲から呆れられたり、
馬鹿にされたり、ののしられたり、蔑まれたり、
そこまでひどい目にあわなくても、変な目で見られる、
取りざたされる、もしくは相手にされない、
こんなこと、人生ではよくあるんだけれど、
主人公のおじいさん、めげないね。
本当にめげない。凄いね。凄い。
記録樹立云々よりも、そのことに驚く。

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少々落ち込んだり、めげる様な事があっても、
突発の事故や、無理解、偏見、そういうことは当たり前にある。
そこで余計なエネルギーを使って苛立ったり、つっかかったり、
躓いてしまうのは私。主人公はそんなことはしない。
見知らぬ人と仲良くなり、ある時は旧知の友人のように振る舞い、
ある時は粘り強く交渉し、一期一会を楽しみつつ過ごしている。


俳優ではなくて怪優じゃ無いかと思っていたアンソニー・ホプキンス
「羊達の沈黙」の時の印象が強すぎて、(その後の作品も)
爽やかな感じの作品での役柄が、あっさりし過ぎているというか、
余り印象に残っていなかった彼が、こんなふうにしぶとく、
淡々と夢を追う、いかにも長年生き抜いてきただけの値打ちと
実力を備えた魅力的な老人、主人公を演じる。

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ニュージーランドの片田舎からアメリカまで。
広大な大地が塩で真っ白になった場所、そこで思いっきり走り、
新記録を打ち立てることを夢見て、夢見て、夢見て行動。
最初、なかなか本筋というか、本論にたどり着かないような、
寄り道している映画だなあという印象が強かったけれど、
そうか、目標に至るまで「寄り道」にも見える様々な場所での、
様々な出来事や出会いに誠実に向かい合うことで、
一見時間を無駄にしているように見えても、堅実な前進。


そういう「根気」から遠ざかって、気力体力の衰えばかり気になり、
だんだん誠実に仕事の一つ一つに向かい合う事が面倒になってきた、
自分自身を恥ずかしく感じるような、そんな映画進行。
かーちゃんの横で君はどんな風に感じていた?
まるっきりノンフィクションで創られているのではないけれど、
実話に基づいて創られたこの映画。


世界最速というスピードの世界よりも、そこに至るまでの努力や苦労、
人と人との繋がりが眩しいように輝く。
ああ、老人にとって明日はわからない。
今日より若い明日は無いからと思いつつ、それは誰にとっても一緒。
老人にとってだけではなく、自分自身、娘のような子どもにだって一緒、
なのにどんな毎日を過ごしてきたかと、改めて恥ずかしくなる。


保護者懇談も、通知表も、映画の世界から見ると小さな日常。
その細切れの小さな日常生活のなかで、どんな風に過ごしている?
私、私は最近根気もやる気もどこへ行ったか不安定。
この映画の主人公のようにへこたれず、情緒安定した人間じゃない。
だから余計にこの主人公のこの映画での描かれ方に惹かれるのか。


一本のペンのような細いロケット型の弾丸のようなバイク。
1920年型インディアン・スカウト。
自然と対話する映画は多いけれど、手塩にかけて整備したバイクと、
たった二人で広大な塩だらけの地面をひたすら走る姿は、
馬にまたがり、砂漠や草原を駆け抜けて行く姿と同様に美しかった。
演出だとわかっていても、憧れや夢が形になる姿が。


娘よ、私達もそんなふうに何かと共に生きているだろうか。
評価されることを気にせず、自分自身の内部に根ざして、
倒れぬコマのように回り続ける強い心棒を持って。
幾つになっても持ち続けることのできる夢と共に。
夢を見ることのできる心の強さと共に。

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