Festina Lente2

Festina Lente(ゆっくりいそげ)から移行しました

20の私

よくあるワークなのでご存知の人も多いはず。
人にするのは簡単だが、意外と自分にするのは難しい。
その時で結果は変わるから、きちんと取り組めばそれなりの結果が。
その結果に向かい合って分析すると、自ずと今の自分が映し出される。
退屈でありきたりな研修で、またこのワークかと思ったけれど、
久しぶりだったので、取り組んでみる。
その時の気分、ありようで結果が変わるということも知っているし、
これを20書き出すのに素直に書けるか、抵抗を覚えるかという事が、
何を意味するかわかっていても、やってみるにしくはない。
素直に取り組めるかどうか、要はそれが問題。


世間では、「20答法」としてよく知られている、
ロールシャッハにも通じるものがあると言われている、
心理テスト。自分を知りたい素直な人にはそれなりに、
欺きたい人にはそれなりに結果が現れる。
どんな心理テストもそうだし、ワークだってそうだが、
「評価される」ことをことさら恐れる人は、抵抗が大きい。
本日の研修でこれをする意味は何なのかな。
まあ、こういうアプローチを通して何を得るか、
何を気付くかも本人しだいだけれど。


20の私。自分の中の様々なこと。様々な思い。
その時に思いがけず浮かんで来ること。
どう分析するかは分析する人間のものの見方が反映されることもあり、
客観的な汎用性と言われると? の部分もあるらしい。
けれども、私達が現場でしみじみ感じていること。
それは、お客さん達のほとんどが20を書きとおす事ができないこと。
「私は〜。」このパターンを20続けて自分を書き出す事ができないということ。


さて、皆さんはいかがですか。
気軽に20の私を書いてみませんか?
制限時間は5分。あまり難しく考えずに思いつくまま、どうぞ。

<ほんとうの自分>のつくり方 (講談社現代新書)

<ほんとうの自分>のつくり方 (講談社現代新書)

自己開示の心理学的研究

自己開示の心理学的研究

 


いつも自分が何者かなどと考えて生活しているわけではない。
それでも、ふと自分って一体何なのだろうと思わざるを得ない時もある。
役割を意識し、与えられた仕事をこなし、自分の存在価値を高め、
必要とされ、尊敬と愛情を勝ち取るために、自己を高める。
・・・なんて理想を常に意識して行動できれば、
人間の生活は高潔高邁なものかもしれないけれど、こちとら凡人。
凡人は凡人也に悩みを抱えつつ、あるがままに、気まま我がままに、
時には無理難題に青息吐息で、倒れてのち止むの心意気で、
あるべき自分を求め、演じながらどうにかこうにか生きている?


普通そんなに極端に自由人と、あるべき理想の間にあるのではなくて、
自分の居心地の良い部分、都合の良い部分でバランスを取って、
日々をやり過ごして入るのではないかと思う。
社会的な役割を担う以前の子ども、学生、
仕事の重圧を背負いながらも自負と共に取り組む世代、
親として子として、師として弟子として、立場の違い。
引退してそれまでの役割を持たなくなった人。
様々な立場から描かれる、20の私は?
年齢、世代、置かれる立場によって答え方は色々。


なのに、20も書けずに挫折する人が多い。
とうか、10も書ければ十分。
それどころか、5つぐらいでギブアップしたがる。
20の自分全部が気分や感覚のみで表現されていたり、
20の自分がペルソナの羅列であったりしたら・・・。


自分の所属・役割・繋がり・位置・関係を示すものなのか。
単なる気分・願望・快不快などに根ざすものなのか。
どちらの自分が先に出てくるのか、個数にして多いのか、
まとまって出てくるのか、ばらばらに出てくるのか、
投げやりに同じ内容のバリエーションの羅列か、
自分を何とか表現しようと努力しているのか。


20の私・・・。見せたい自分、隠したい自分、
見たい自分、見たくない自分、隠そうと思っていても何時の間にか、
そう、20書く内にいつの間にか深層心理にも似た自分が表現されている、
そんなこともあるでしょう。
自分を出せる人、出したくても出せない人、出し方がわからない人、
出したくない人、わざと違う自分ばかりを出そうとする人。
20の私。・・・皆さん素直に取り組めましたか?


ちなみに私は・・・5つ目までは自分の所属や役割・人間関係上。
それ以降は、忙しい・時間が足りない・疲れている・もっとゆっくり過ごしたい。
そんなふうに続いていきます。我ながら、やれやれ・・・です。
皆さんはいかがでしたか? どんな自分を、今日、今、見出しましたか?

心理テスト法入門―基礎知識と技法習得のために

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自分発見「20の私」

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