Festina Lente2

Festina Lente(ゆっくりいそげ)から移行しました

平田オリザの講演を聴く

さすが。お手並み拝見、鮮やか。
あっという間の1時間半。余りにも時間が早く過ぎる。
独り芝居を見ているように、笑いを取りながらサクサク講演を勧める。
全く録音を取らせて貰えないのが悲しい。
何度でも聞きたい、第一、ナマで聞ける機会なんて滅多にないんだから。
それに、彼の演出する舞台、劇を見に行くなんて事、余りできないしね。


マチュア劇でも招待券や割引チケットがあれば御の字、
観劇は映画に比辺ればかなり贅沢。
ナマの迫力が病み付きになった人はそこから抜け出せない。
私はサバイバル組? と言えば聞こえはいいが、
もう自分の中では観劇三昧ブームはやってこないかも。


さて、平田オリザ。本名だが芸名のように見えてしまう人。
有名なんだけれど、目立たない人。
けれども色んな意味で有名なこの文化人が、何故大坂に?
どう考えても文化果つる地、大坂には縁がないと思うのだが。
な、なんと、大阪大学の大学院で教えているですと?
それもコミュニケーションデザインセンタ―なるものの長ですと?
と知ったのはついこの間のこと。


大阪大学と演劇というと、山崎正和しか浮かんでこない私は、
教科書で『水の東西』なる内容を習った世代。
でも、彼の演劇には興味はなかった。
私は野田秀樹世代で、その後のキャラメルボックスの脚本は好きだが、
舞台はなあ…という人間。何しろ、ロックオペラから入っているから、
演劇演劇している劇よりも、
二次創作に近いオリジナル性を持つ素人劇の方が好み。


平田オリザが大坂にいるというだけでも違和感があるのに、
大学院でコミュニケーションを教えているのか、
さすが、「演劇的知」でもって学生を教育する時代になったのか・・・と
ある意味感慨深い。
何しろ現代はコミュニケーション不全世代、満開。
自分が意見を言う時にはKYだと思われないように気遣う余り、
何を言っていいのかわからないでパニックになったり、
おちゃらけでごまかしてものを言ったりするのが主流。


対話するという能力どころか、会話しているという「振り」や、
意思疎通のための決まり事・お約束を守れない人が一杯。
何がルールなのか知らずに、マイペースで呟くようにしか話せない。
そういう人が増えている現代社会。
なので、人事担当者が学生に要求するのは、コミュニケーション能力。
経団連がそう申しているそうな。主体性・協調性・チャレンジ精神、
誠実さ、責任感よりも上に見ているのだそう)


思っていたよりもかなり小柄で、笑みを絶やさない平田オリザ
録音も写真も不可という誓約書まで茶封筒の中に入っているのを無視して、
ぶしつけに写真や録音は出来ない。つまんないの。
今日このの講演がなければ、ここに来なかったのに。
それはともかく「木下先生にはお世話になりました」といいつつ、
今の子ども達には『夕鶴』はちょっとね、と話を振ってくる。


そしてワークショップのスキットの話題。
話し言葉の教育には柔軟性が必要だから、嘘がつけないとね。
そんなことさらりと言うけれど、大変なんだから・・・。
今の子ども達は「読む・書く・聞く・話す」以前に、
「伝える」とか「繋がる」なんて苦手だし・・・。
ということと、コミュニケーション教育が何故必要かを絡めて、
間を取りながら、「ここは笑う所ですよ」などと合いの手を入れる。


やっぱりお芝居の世界の人だなあ。人を引きつける呼吸、
話題の持って行き方、話すことが見せること、
見せることが魅せること、興味関心を引きつけるように、
話題を提供し、繰り広げてまとめてみせる。
この「テーマのバリエーション」が実に巧みだった。
いわゆる大事な所は繰り返して、しかし、違う表現で。

演劇入門 (講談社現代新書)

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演技と演出 (講談社現代新書)

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世代間のコミュニケーションギャップ、
これを乗り越えて行くための方策は?
コミュニケーションデザインとは?
話し言葉のカテゴリー、講演、コメント、享受、対論、独り言・・・
対話と会話の区別は?
思ってもいなかった会話、価値観の違いが対話を作る。
会話は分かり合う察し合う文化、対話は説明し過ぎ?


日本には対等な立場から褒める言葉がない。
対話は冗長率が高い。
操作することがコミュニケーションの有る無し。
無駄が大事・・・。
ハンドルの遊びのように無駄がないと、新しい国語教育が出来まい。
上手な言い回しだよなあ・・・。
なんて、ふわーっと感心しているうちに、あっという間に話が終わる。
えー、もっと聞きたかったのに。講演時間短すぎ。


あれ、何だか金子みすゞの詩みたいなまとめで終わるんだね。
対話が出来るように「対話の体力」が必要。
そういう力を小中学生から付けなくては。
異なる感性、異なる価値観いあって、それを認め、
喜ぶ楽しむ受け入れることが出来る潔さを育てる。
「みんなでやったから、全然違って、良かったね」
まあ、何と難しい目標を。


こういう形で多様性を受け入れるタフな精神を、
会話ではなくて対話できる精神を、個性を育てようってか。
教育の現場にそれを望みますか。
でもって、小中高では出来ないから、
大学院生相手のコミュニケーションデザインセンター、
コミュニケーションプログラムか・・・。


小さなオリザ先生は、人に囲まれあっという間に見えなくなった。
そんな物々しく取り囲まなくてもという印象が残るほど、
ざっくばらんに話して帰ったのに、周囲の雰囲気は堅かった。
一期一会。ナマ平田オリザ
やっぱりナマワークショップでないと、楽しくないかも。
本日はこれにてお開き、丸一1日、思いのほか長かった。

ニッポンには対話がない―学びとコミュニケーションの再生

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コミュニケーション力を引き出す (PHP新書)

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対話のレッスン

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