Festina Lente2

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「ミッション:8ミニッツ」

先日の日曜に見た話題作、あれこれ意見はあるだろうけれど、
とにかく自分としては好みのタイプの映画。
謎解き映画、スリルとサスペンス、驚きの結末。
どんでん返し。え? ここで終わらないの? のオチ。


ミッションという単語は余り好きではないのだが、
「やらねばならぬ」という必然、前提、使命が無いと成り立たない。
本当に主人公がこの使命を望んで志願したのかどうか、それも疑問。
「肉体が無くても脳だけあれば役に立つ」という、大義名分の元で
消耗品扱いされる人間の存在は、映画の題材にはもってこいだから。
昔読んだSF『ドノバン博士の脳』ではないけれど、脳の世界、
脳の力、可能性は未知数。そこに目を付けて、謎の8分間。


どうせ体は死んでいるんだし、電気信号を送れば機能するのは8分間。
何度仮想空間の中で死んでも、外にいる人間は「使命達成のため」とにべもない。
作戦コードや記憶操作のためのキーワードが繰り返され、
少しずつ微妙に変わっていく世界の中で、
どう考えても死者の意識の中にワープしていくこと自体が、
今一つ納得できないのだけれど、謎の8分間が延々と繰り返され、
主人公は一つの結論に達する。


問題を解決して、この爆発を無かったものにする。
過去の問題を解決して未来を変えることは可能。
その信念の貫き方が主人公の個性によるものなのか、
軍人としての使命達成意識に依るものなのか、
現状況から逃れるための必死のあがきなのか・・・。
その過程の中で自分がとっくに死んでおり、死後も生き死にを握られ、
「脳だけ活用」されている存在、生きている死人、あれ?
死んでいるのに他人の脳をまさぐって、その存在になりすまさざるをえない自分。


軍は問題の解決、犠牲者を出さないためのミッションの達成をせかす。
その道具とされている人間の個人的な感情は、全く考慮されない。
少しずつ映像の中で荒廃していく主人公のポッドの中。
肉体が死んでいく、自分自身の脳そのものが物理的な棺桶と化していく、
その視覚化が面白かった。
血流も少なく体温も落ちて、生物学的な危機的状況が
「寒い部屋の中に閉じ込められた閉塞感」として表現される。


結果的に他人の意識に入り込んだまま、問題を解決し、
根本的に彼自身がこの世にとどまった理由となる
「やり残した仕事」=「父親との和解」という行為に出る。
自分自身としては戦死している(という形な)ので
誰とも直接コンタクトを取れないまでも、
自分自身の言葉を占有が語る形で伝え、父の言葉を受け止める。
「思い残すことが亡くなって成仏」で終わらないのが、
この映画のもう一つの醍醐味。


ヒーローの鉄則。パラレルワールドでもう一人の自分は生きることが出来る。
別の世界で死んでいる自分とは全く異なる姿で生き延びることが出来る。
別の世界では過去を変えることが出来る。
パラレルワールドの接点となり得る、意識の世界、驚異の8分間。
未来を知る彼は過去、そして今、そして未来の自分自身を同時に救おうとする。
パラレルワールドの中の時間の逆行、過去の改変に伴う現在の変化、未来の変容。


それを単純に、ハッピーエンドと取ることが出来れば、楽しい。
孤軍奮闘の末、周囲誰もが予測できないハッピーエンドがあって良かったねと。
誰もがトゲトゲとした他人のまま、突然の事故に巻き込まれてこの世を去る。
ではなくて、たまたま乗り合わせた電車の中で和やかな朝のひとときを過ごす。
そして目的に到着し、再びそれぞれの未来に向かって歩き出す。
主人公が選んだ問題の解決の仕方は、この装置の開発者の意図したものではなかった。

Source Code

Source Code


一人の人生が変わったのならば、死ぬはずの人間が多数生き延びたならば、
どれほど運命は動いていくのだろう、変わっていくのだろう。
予測の付かない無数の枝分かれ。運命の織りなす綾の複雑さ、巧みさ。
メビウスの輪のように、元に戻りそうでそれで居て戻らない微妙なずれ。
死んだはずの人間が生きている。
そして、その彼の意識が宿っていた体の本当の持ち主の心はどこへ?


そんなつっこみどころも含めて、色んな?があるものの、
見ている時間の長さを感じさせない仕上がり。
人生最後の8分間が、何度も無限に繰り返されるループ。
そのほんの少しのずれを渡り歩いて、主人公の意識は死から生へと
試行錯誤のスライドを繰り返す。
その地道さ、時には無念と怒りで、時には絶望と落胆で、
せっかくの苦労が延々と繰り返されるのを見て、
徒労を死後の世界で繰り返さざるをえない脳の働きなんぞ、
因果なものよなあと思い、まずまずの結末であることを喜び、
もう少し別の邦題は付けられなかったのかと嘆息。


人生最後の8分間。自分だったら何を望む。
再び誰かに成り代わり、転生し、生きながらえる?
いや、ただ不幸な事故に巻き込まれて死んでしまったり、
名誉の戦士という言葉で飾られて英霊となってまつられるよりも、
その意識だけでもパラレルワールドの彼方で
幸せにクラス別の人生を歩んでくれているならば、
という希望、願い、鎮魂が込められているからこそ、
味わい深く思えるラストシーン。


なかなか面白い映画だった。
ちなみに監督はデビッド・ボウィの息子だとか。
何だか、感慨深い。
そして、主演のジェイク・ギレンホールが何となく、
何となく東洋的な雰囲気を持っている感じがするのが、
(前作「プリンス・オブ・ペルシャ 時間の砂」のせい?)
犯人役が余りにも白人白人した雰囲気との対比で興味深い。


あれ? そういえば「時間の砂」の主人公も一度死んで時間を遡って蘇る、
そんな話になってハッピー・エンドだったな。
よくもまあ、似たような話に主演しているものだ。
そういうストーリーに縁があるのか?
なんてことまで考えてしまった。


そうだなぁ、時間が遡れるなら、もしくはパラレルワールドに行けるなら、
今よりも若くて五体満足で、体のあちこちにガタも痛みもない世界、
そんな世界でもう少し前向きに仕事しながら、笑って暮らしたいなあ・・・。
この間の日曜日に見た映画もあっという間にうろ覚え。
残っている印象はこんなもの、か。
世間がポッキーの日だと騒いでいる2011・11・11。
私には痛い痛い痛いと見える11の連続。