Festina Lente2

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射流

(この記事は3月30日、当日書いたものを、かなりの時間を置いて
 載せています。リアルタイムでアップするのに
 抵抗があったからです)


「射流」という言葉を生まれてはじめて知った。
陸前高田では川を遡って8kmも内陸まで濁流が押し寄せた。
山間の狭い谷、海から一直線に伸びる川を一気に、
昔、NHKの映像で見た南米や中国のポロロッカどころではない、
恐怖の遡流を想像するだに恐ろしい。


子供の頃、大水が出た話を母からよく聞かされた。
阿武隈川の氾濫、近所の川の水がどんどんせり上がってくる様子。
足元がびちゃびちゃになって濡れながら、必死で家まで走った話。
溢れる川の水が怖かったと、言葉少ななに語る母の子供の頃の話。
内職や家事に忙しく、子育ての時期を経て
復職した後はもちろんのこと、私が大人になってからも、
女同士の会話とて少なく、お互い仕事をする人間の常として、
同居していても会話も殆ど無いまま来てしまった。


幼い頃とて、滅多に昔話などしてくれる母ではなかったが、
語られた思い出話の数々は、残念ながら楽しい話は殆ど無かった。
愚痴に等しいことばかり。しんどかったこと辛かったこと、
怖かったこと、嫌だったこと。人間の記憶ってこうなのか。
こういう仕組みでできているのか。それとも人それぞれ。
それとも私がほんの少しのことで落ち込みやすいのは、
母譲りの、こういう会話パターンで育って来たからか。
思わず、そんなふうに振り返ってしまう。


怖かったこと、大変な思いをしたこと、苦しかったこと、
そういう体験を語り継いでいくことは大切だと思う。
決して忘れてはならない苦い思い出は教訓になる。
そうして語り継がれた記憶が子孫を助ける知恵や知識の拠り所、
家族の記憶になって、一族を救ってきたはずだったのだけれど、
人が長生きし過ぎる今の時代、どうなのか。


語り継がれるのではなく、みんなが誰に向かうとでもなく、
勝手につぶやき続けるツィッター全盛期の今。
テレパシーが使えなくても情報は共有できる、
便利だよねとその機能の良き部分を謳歌する人々。
震災用インフラとして重要なネットと騒がれている。
それはそれでいいけれど、情報の選択以前の問題で、
見聞きしなくてもいいものに接して摩滅していく部分が怖い。
鈍くなっていく部分、敏感になるのではなく、
人の思いや気付き、ちょっとした意識の表層の流れに、
必要以上に深くとらわれたりすることが。


表現してしまった以上は、誰かに読まれるということが前提。
表現したいのか、してもしなくてもいいのか、
その選択を意識せずにつぶやき続けることが単なる習慣、
無意識の発信、垂れ流しの情報、風評になっていく過程が怖い。
便利で安全なものが牙を向く、
知らなくてもいいことが突き刺さってくる、
その道具を手にした途端、それを手放さずに
覗き込まずに入られない、そんな状況、
精神状態のほうが、私にとっては「射流」のイメージに近い。

やめたくてもやめられない脳―依存症の行動と心理 (ちくま新書)

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ケータイ世界の子どもたち (講談社現代新書 1944)

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私はケータイを使わない。ツィッターをするほど暇でもない。
自分のためにブログを書いているけれど、
個人的な日記であって、断じて「呟き」ではない。
単なる覚書でもない。何かとは限定できないし、
確かに思ったことを綴ってはいるけれど、呟きではない。
人の切れ切れの思い、それを音声にする単発的な呟きは、
現実の世界で口にすれば、確実に不穏で不快なものだ。
音声として発し、口にし続ければ確実に不気味でしかない。
それを、文字だから構わないと呟き続ける、
その発散の仕方、表象の仕方がある種の病を連想させる。


その批評家が生きていれば、どう言ったか分からないが、
一億総白痴化」等という言葉ではなく、
もっと別の表現をしただろうか。
一人一人が個々に呟きながら、実は同じような内容を呟いている。
そのことを文字で確認して自分の立ち居地を確かめないと、
安心できないような気持ち、乗り遅れている、立ち遅れている、
時流に乗れない、誰も自分に同意してくれない、
フォローしてくれないと不安でたまらないと、
必要以上に自分を追い込んでいくのであれば、困る。
(本人は安心この上ないツールだと思っているのだろうから)
麻薬のように呟くことから離れられないのは、
明らかに異常だと思えるのだが・・・。

目に見えない人の呟き、人の思念、時にはプラスに、
時にはマイナスに、どちらに傾くかわからないものを、
狭い川をどこまでも一気に逆流する、遡流する、
その意識の流れが切り崩す日常生活を支える、
土台とも言うべき生活意識・常識・信念・理念が、
堅固になるというよりも、こそげ落とされていくような、
そんな感覚にとらわれている。
「射流」という言葉は、V字型に深くえぐられていく
自分の心の中を連想させる。
日々押し寄せてくる、様々なものにえぐられていく心の中を。

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