Festina Lente2

Festina Lente(ゆっくりいそげ)から移行しました

引き波が強い

新学期を迎える娘の背丈は150センチを超え、追いつかれそう。
中学に入るまでに本当に追いつかれてしまうのではないか、
そんな風に思えるほど、若木の如くぐんぐん伸びて、6年生。
早いものだ。娘を見ていると、宮城県人2世としては、
復興とはこのように、明日に向かって伸びていくイメージ、
変化していくエネルギーなのだなあと思わされる。


音楽部の顧問の先生が転勤し、春休み中に異動のお知らせの葉書。
娘は最上級生としてソプラノパートを頑張ろうと思っていただけに、
ちょっとショック。でも、仕方が無い。会うは別れのはじめ。
1年間、前向きに頑張ってきただけに出鼻をくじかれた思い。
分かる、わかるよかーちゃんも。
そうやって、自分なりに努力して組み立てて、次の計画に移そうと、
なのに土台から根こそぎに崩される。自分の力の及ばないところで。
人や物の行き来は自分の努力の範囲外。
偶然の産物といわれればそれまで。


運も実力のうちといわれる水物のテストじゃあるまいし、
そう思ってみても理不尽な展開に唖然とすることが続く、
それが実社。君の6年生のライフスタイルが、どう変わるか。
ちょっとかーちゃんは心配。こもって何かに熱中する、
それはとーちゃんかーちゃん譲り。でも、今は、
若い今は誰かと一緒にみんなと共同で、この持ちつ持たれつの、
微妙なバランスを取る事を経験しながら、
集団でないとできない経験を積んでいってほしい。
この耐性が修練会得できていなかったばかりに、
今かーちゃんは年を取ってから苦労している、そんな気がする。


昔逃げたことのツケが、今倍返しどころか、10倍返しになって、
1人静かに好きなことに没頭したり、一歩引いて傍観者であったり、
アウトローであったりしたことが、どこぞの識者が唱えるような、
「上手な仲間はずれ」にされる才能を持たなかったばかりに、
大縄跳びの縄を飛び損ねる、そんな自分を創り上げてしまった、
そういう苦い思いばかりが湧き上がってくる年度始め。
かーちゃんは、群れの中の孤独にも強いようで弱く、
一匹狼の孤高を貫くほどの実力も持ち得てはいない。
だから、集団の中で隙間を縫うように仕事をしている。
溝の中に投げ捨てられる、両側の壁から降ってくる仕事を、
目立たぬ役目をこなしている。


クラブに打ち込めること、練習できること、
先生や先輩、仲間と共に過ごすこと、揉めること、
その全てが自分の変化を助ける、自分の強さ脆さを鍛える時間。
誰かと共に在るということは、誰かの影響を受ける。
自分の世界は一瞬狭くなったように感じるかもしれない。
でも、それは逆に高く飛ぶ前に低くかがむこと。
ジャンプ力を付けることになる。
人の肩を借りると、自分の背丈よりも遠くが見越せるように、
自分の世界は人と共に在って広がっていくもの。
縦にも横にも。

齋藤孝のイッキによめる! 名作選 小学6年生

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高橋悠治ソングブック「ぼくは12歳」(紙ジャケット仕様)

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なのに、かーちゃんは1人で自分と過ごすことが多かった。
思春期前期の打たれ弱さ、自己閉塞感がいつまで経っても、
自分のコンプレックスの底に横たわっている。
自分が生まれた春という季節の生命力沸き立つような力強さが、
自分には制御し切れない、有象無象の訳の分からない力、
一線を外れた、外してしまった度し難いもの、
羽目を外すことが苦手な物を無理やり引きずり込むような、
そういう禍々しさに感じてしまうことが多いんだ。


賑やかな雰囲気も心地よいよりも、気後れする。
華やかな春の装いも自分には縁遠い別の世界の異装のように、
とにもかくにも場違いに感じてしまうんだ。
今年のかーちゃんは、任され続けた仕事が押し付けられ続けている、
拒否できなかった自分の象徴のように思えて、
「誰もやらないなら、やったるわい!」と最初の頃のように、
ドンと受けて経つ気力や体力を失ってしまっている。
だから、心や体の中から何かが流れ出てしまっているように、
心もとない。何かが押し流されていってしまったかのように。


自分のところに押し寄せて来るものも色々あるけれど、
この新年度は、引き波が強い。
心の奥底、裂け目まで詰め寄られ、一気に引いていく、
今まで積み上げてきたものを壊されて。
そんな思いが募る日々。引き波が強い毎日を繰り返している。
そんな心の中、心象風景なんだ。


若い君なら、この波にもめげずにいられるのだろうか。
心の波はまだそこまで高く、うねってはいないか。
小学校生活最後の学年、最高学年を迎えてた君は、
新しい仲間、先生、クラス、どんなふうに過ごしている?
そして、かーちゃんはどんなふうにこの1年を開いていけばいいのか。
幾つになっても迷っている。特に今年は出鼻をくじかれ、
足元を掬われ、内にも外にも気を許せぬまま出発進行?


体調が思わしくない。新年度が旧年度の重みを引きずって、
更にのしかかってくるというスタートなので、精神的にばてている。
「引き波が強い」という津波のイメージがまさに、自分の心象風景。
現実に津波の被害を受けているわけでもなんでもないのに、
任された仕事の量と責任と、周囲からのあれこれ、
福島原発の影響を受けている農作物の風評被害に比べれば、
全くどうということも無い日常であるはずなのに、
人事異動もさることながらこの仕事の引き継ぎならぬ有様、
自分の土台を根こそぎとまでは行かぬまでも、引き倒され、
心は泥沼状態。引き波が強い津波の心象風景。


旧年度精魂傾けて来たこと、旧年度ならずとも、
今まで精魂傾けてしてきたことはなんだったのか、
はなはだ士気の下がった状態で、無理やり体を動かしているので、
体調が思わしくない。むろん精神状態に引きずられている。
眠れないし、熟睡できない。
だんだん、何を食べてもおいしくない。
そんな感じになってきている。まずい兆候。


今日一日過ごせば、あすは休みになる。
それだけが心の支え。
今日一日過ごせば、そんな風に近視眼的に物事を見ていては
いけないんだと頭では自分に言い聞かせながらも、
心は今日の空模様と同じ、降ったり止んだり曇ったり。
春の天気は心もとない。
自分の心も引き波が強い。
その波の下に埋もれて「自分」は何処にいる。