Festina Lente2

Festina Lente(ゆっくりいそげ)から移行しました

再び青春 サイモンとガーファンクル コンサート

久しぶりに家人とコンサート。7月生まれの彼へのプレゼントチケットだ。
北浜の古めかしいレストランバー、ピザで軽く腹ごしらえ。
S&Gの有名な歌というのはベスト盤で覚えた世代。
リアルタイムに聞いた世代よりも少し遅れて入る私達。
ソロアルバムに至っては申し訳ないが、良くわからない。
あの若かりし10代、思春期に突入した頃、ギターの響き、
透き通るような声、デュエットの美しさ、感情移入したくなる歌詞、
英語を学び始めて間もない自分にとっては新鮮だった世界。
走馬灯のように想い出が通り過ぎる。夕闇がゆっくりと近づく。


開演10分前に京セラド−ムに到着。馬鹿でかい会場は席を探すのに苦労する。
(難を言えばここの座席は余裕がなく、隣とくっつくので座り辛い。
 アリーナで騒ぐほど元気ではないので、スタンドで双眼鏡持参の今日)
グッズを買う気にもならず、飲み物持参で陣取る。
何しろお二人とも67歳、最後の日本公演かと言われている。
期待しすぎると後が辛い。幾らか割り引いて聴かなければ・・・。
そんな身構えるとまでもいかないけれど、この10年憧れのアーティストに対する、
尊敬と礼儀と労りにも似たやるせない思いが行ったり来たり。
自分がこの歳になったのだから、仕方が無いと言い聞かせる癖が身についてしまった。


緩やかにアレンジされたインストの「アメリカ」をBGMに、
二人の軌跡が大写しにされていよいよご登場!の雰囲気を盛り上げる。
意味深な「アメリカ」、ユダヤ系の二人にとっては良くも悪くも「アメリカ」。
ルーツと人生、国と自分、世界とアメリカ、日本にとってのアメリカ、
一瞬にして様々なイメージが凝縮されたイントロの雰囲気を壊さないように、
「オールド・フレンド」の静かな歌声でオープニング。(会場どよめく)
67歳の二人の開演はしみじみとした情緒を以て歌い紡ぐ、
いかにもS&Gの貫禄あるスタートで始まった。


その歌声と歌詞は、オールドファン、昔から今まで彼らの歌声を愛し続けけて来た
熱烈なファンに対して、自分達同様人生を生きてきた者同士の再会を喜び、
挨拶を交わすかのような、穏やかな交歓のひと時を演出した。
そう、あのギター、この歌声、そうだよね、これだったよね・・・。
想い出をすり合わせるように続く「ブックエンド」、
リズミカルに軽やかに繰り広げられる「冬の散歩道」
思わず体が動き出す定番、明るくみんなを乗せて「アイ・アム・ア・ロック」
そして、しっかりと再び歌詞を付けて「アメリカ」
急に飛び出すのではなく、左右をしっかり見極めた上で歩き出すような、
じっくり会場を暖めていく(暑くてたまらないドーム内ですが)様な、
穏やかな滑り出しと盛り上げ方で進行。
そして、ウォーミングアップを締めくくるように軽く「キャシーの歌」
少し会話を入れて、その続き話を話すように歌い続けられた、
「ヘイ・スクール・ガール」「ビーバッパ・ルーラ」


きっと懐かしさの余り涙を流した人も多かったはず。
生で聴く事ができるとは・・・「スカボロー・フェア(詠唱)」
若い世代は音楽の授業や合唱で覚えたのだという。
幸い私はベトナム戦争の記憶もあるし、ハーブという言葉さえ、
市民権を得ていなかったあの当時、この曲のお陰で調べて覚えた
パセリ以外の植物(笑)、セージ・ローズマリー・タイム。
英語を学び始めたあの頃のセンチメンタルな私にとって、
「彼女はかつて私の真実の愛だった」というフレーズは感激モノだった。

サイモン&ガーファンクル詩集

サイモン&ガーファンクル詩集

サイモン&ガーファンクル 全曲解説

サイモン&ガーファンクル 全曲解説


その後は往年のファンに対するサービスをここぞとばかり、有名どころ。
S&G懐メロオンパレードと言ってもいい粒よりの曲が続く。
「早く家に帰りたい」「ミセス・ロビンソン
この曲を聴いた時に、映画『卒業』の内容を知らなかったので、
後からぶったまげた想い出も懐かしい。
思春期の少女にとっては刺激の強かった映画だったのだけれど・・・。
(あの程度の内容でと今時の中高生には鼻先で笑われそう)
その想い出を刺激するように、曲の背後に『卒業』のビデオ映像が。


過去を少しクールダウン「スリップ・スライディン・アウェイ」
ファンは萌えーというか、「誰でも知って入るでしょう」的な曲に盛り上がる。
印象的な前奏で会場の空気一変、「コンドルは飛んで行く」
あっという間にアンデスの空気が流れ込んできたか、
(この2・3年は鳥の飛ぶ映像と「テルーの歌」が脳内リンクだったが、
久しぶりにコンドルが飛び回る映像が蘇ってきた)
縦笛で練習しませんでしたか、この哀愁溢れるメロディー。
オカリナやケーナなんて楽器、身近になかったものね。


そして、S&Gではなくて、ソロでやってきた歴史を披露する様に、
それぞれのコーナーが続く。マニアックなファンには嬉しいだろう。
私達には余り馴染みの無い曲が続くが、何といってもびっくりするのは、
アート・ガーファンクル、彼の歌声が「天使の歌声」と言われた、
あの高音をまだ十分保っていたこと。
むろん往年の高さをそのまま維持しているわけではない。
でもこの年齢で、浪々と歌い上げる清涼感のような雰囲気を醸し出すのは、
ただ者ではない、さすがアーティ。
なのにたどたどしい日本語の会話は「おでん」「ふくい」???
(日本を横断した旅行の話だったらしい)
歌声と天然?の落差についていけない・・・。


ポール・サイモンの小柄な体から引き出されるパワフルな演奏。
本当に67歳? おみそれしましたベテラン、円熟の技、
一流どころのバックミュージシャンのお陰ではなくて、彼自身の技冴え渡る、
そんな力技を披露したポールに改めて敬意を表して。
それにしても簡素なアートの白い服に比べて、ポールの衣装というか柄、
おしゃれと言うべきなのか、悪趣味と言うべきなのか・・・。微妙。


アート・ガーファンクル・ソロ】
ブライト・アイズ」「ハート・イン・ニューヨーク」
「パーフェクト・モーメント〜ナウ・アイ・レイ・ミー・ダウン・トゥ・スリープ」
ポール・サイモン・ソロ】
「ボーイ・イン・ザ・バブル」「グレイスランド」「時の流れに」


それぞれの曲をやり終えて、自分達のルーツに戻って振り返り。
まことに良く出来た構成。燃焼とクールダウン、あくまでも前向きに未来を、
そんな過去から現在を経て未来へのメッセージを送るよう。
「3歩進んで2歩下がる、汗かきべそかき歩こうよ♪」進行とでもいうか。
なので、曲目は「ニューヨークの少年」「マイ・リトル・タウン」


この曲抜きでS&Gは語れないという名曲中の名曲。「明日に架ける橋」
(日本に訳した人が偉い。とらぶってる水の上の橋じゃ駄目だよね)
この曲の成功の一つは、巧みなピアノアレンジと最後に付け加えられた歌詞、
ダイナミックなアレンジと、傷ついた人の心を癒し励ます内容にある。
思わずそれを期待していただけに、昔のものとはかなり変えられてしまっていた
ピアノアレンジに付いて行けず、少々戸惑ってしまった私。
ライブだということもあるし、スタ録でもなく、何十年も経っている事も含めて、
差し引いて聴くのが当たり前だとは思うけれど、納得できず消化不良。
自分の心の中の「明日にかける橋」よりも、肥大化していたというか、
どういえばいいのか、とにかくこの曲を持ってコンサートは締め。

明日に架ける橋

明日に架ける橋

むろん客はアンコールを当然のように待つ。
何しろまだ演奏されていない名曲がわかっているだけに。
そしてお待たせしました、アンコール曲。
サウンド・オブ・サイレンス」やっぱり泣ける。
若かった頃、辛かったこと、心の中を突付きまわしても、
自分を追い詰めるだけで、どうしていいかわからなかった頃が、
二度と戻らない日々も、若さの素晴らしさも、理解することなく、
自分ひとりが空回りして、傷つくことばかりが多かった頃。
そんな頃を否が応でも思い出してしまう。


そして、「ボクサー」泣きながらでも進んでいかなくてはいけない毎日。
時間が待ってくれない戦い、自分自身に対しても世界に対しても、
何もかもが四角いリングの中で、どうして戦わなくてはいけないのか、
自分自身「戦い」の意味がわからなかったころでさえも、
胸を締め付けられるような気持ちになって聴いた「ボクサー」
(リンクして思い出す吉田秋生の『カルフォルニア物語』のエピソード)
この曲の間奏で、初めてテルミンの生演奏を聴いた。
のこぎりハープのような音が、テルミンだとわかった時ちょっと感動。


でも、何かが違う・・・。そう、S&Gの二人も、私自身も歳を取った。
戦いも、戦いの意味も、戦いそのものさえも様々なものを経験して、
あの若い頃の熱くたぎるような叫び・悲鳴にも似た「ライラライ」のフレーズが、
もう歌えなくなってしまっているのか、心に響いてこない。
今日のこの曲は私の知っている「ボクサー」じゃない。


嘘だ、嘘だとわめき続けていた思いにも似て、
歳を取ってそのフェイクな毎日を人生だと思って生きて行くのが大人だと、
そういう生活が身についてしまったからなのか、燃料切れなのか、
彼らの歌う「ライラライ」の歌い方は往年のフレーズとは明らかに違う。
声量でもなくリズムでもなく、根本的なものが違う。
それとも聞いている私自身が変化してしまっているから?
家人に聞いても「昔と歌い方が違う」と言っているので、そうなのだろう。
メロディそのものが、変わってしまっていたのか。


やはり、昔聴いた曲をライブでうん十年ぶりに聴くのは、この辺が辛い。
懐かしい半分辛い半分。心の中のイメージ、自分ひとりの世界、
今までの自分の支柱となるべき虚像、虚構が突き崩される感覚。
しかし、実際はこの経験が必要なのだろう。
あの頃は2度と戻らない。今と昔とでは何もかもが違う。
音も音楽も一瞬の芸術。2度と同じ演奏は無い。
青春も、想い出も、全てが各人の一期一会。


さて、「ボクサー」でアンコール締めのはずが無い。
たった1回のアンコールで終わるはずが・・・。
再び二人が戻ってきて、再び「ボクサー」・・・ええ?
同じ曲? ファンサービス? 同じ曲なのは、ちょっとなあと思う私は、
超贅沢者なのか? 歌人が訊いてくる。「まだしてない曲ある?」
私即答「セシリア」予想通り、2度目のアンコール用に取っておいたのでしょう。
お取り置き。ですので、アンコールの2回目は「ボクサー」「木の葉は緑」
そして「愛しのセシリア」を繰り返して、メンバー紹介を交えて賑やかに終わった。


アンコールは喝采喝采。アリーナ総立ち。
(明日の仕事に備え、スタンド席で体力温存中の自分が哀しい)
実は場内のモニターには照明が当たった二人が大写しされていた。
高度なテクニックによって演出され、他のアーティストはもちろん、
見せ所を大写ししたり、二人が格好よく見えるアングルでカメラを回していた。
その大写しの二人は若々しく、昔のアルバムジャケットの二人を連想させる。


天体望遠鏡ではないものの、地学観察用の双眼鏡で見る二人は、
それなりに年老いて、大写しの画面とは少々ギャップ。
それでも私達への演奏は、ファンへの愛情に溢れていたと思う。
背の高いアート・ガーファンクルは何度も両手を上げて、
会場へ手を振っていた。私達への別れの挨拶。
S&Gの曲が青春のBGMだった私達への思い出への別れのように。
何度も何度も手は大きく振りかざされた。


さよなら、私の青春。私達の青春を彩ったS&G。
素敵なコンサートでした。
さようなら、サイモンとガーファンクル
懐かしい曲をありがとう。

サイモン&ガーファンクルのすべて

サイモン&ガーファンクルのすべて