Festina Lente2

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何もかも重なる

昨夜娘は大爆発。学校に行きたくないと泣きじゃくる。
昨年もあったいじめの件とは別件で、色々あるよう。
担任の先生の何気ない一言、それに付随するクラスメイトの発言、
ちょっとした心無い悪口にも傷つくお年頃。
むきになって言い返せば、余計にバッシングされる。
グループ間の対立もこの頃からきつくなる、ギャングエイジ。
私に似ないでもいいところばかり似た、1匹狼の君には辛かろう。


涙目で、ことの顛末を語る君。
「親友がいれば苛められてもかばってくれる。
 でも、クラスには親友がいないもの。
 私にはいつになったら親友ができるの?」


その問いにかーちゃんは答えてあげられない。
親友は一朝一夕にできるものではないし、
自分と同じ趣味やものの考え方、遊びができる友人を
そっくりそのまま相手に望むことはできない。
増してや小学校の同じクラスの中で、親友ができるかどうか。
それは、いかんともしがたい。


単に気が合うだけ? 力関係? 利害の衝突が無い。
趣味が同じ。好きな物事が似ている。家庭環境?
習い事? 帰り道? 家が近所? 何がきっかけで親しくなり、
何のせいでいきなり不仲になるのか、わからないお年頃。
自己主張も強くなり、子供の世界は大人にないストレートさで、
人を傷つけまくるから、始末に終えない。
それを純粋というか、野蛮というか。


娘よ、君が嘆くように、かーちゃんも嘆いた。
その昔。運動ができる子がヒーローになり、
声の大きい元気な子が人気者になり、
教室の片隅で本ばかり読んでいる、夢見る夢子はお邪魔虫。
いてもいなくてもいいような感じで、6年間ずっと過ごし、
親友といえる友達に巡り合ったのは、引っ越した先の中学。
小学校時代は長い暗いトンネルのようなものだった。
君も同じような思いで生活するのだろうか。

教室の悪魔 見えない「いじめ」を解決するために

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いじめの構造―なぜ人が怪物になるのか (講談社現代新書)

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こんな日に限ってPTAの役員の集まりがある。
でも、こんな日だから学校で先生に会える。
今の状況を説明、相談したほうがいいだろう。
そう思って出かけていくが、気が重い。
また、こういう日に限って仕事が多い。
どうしても約束の時間までにいけそうも無い。
遅れる旨を連絡して、出かける道のりの遠さ。
とっぷり暮れた秋の日の夕暮れに責められるような気持ちで、
ハンドルを握る私の心も、暮れなずんで哀しい。


打ち合わせの会場に出向く前に、担任の先生に会う。
取りあえず、娘のことを簡単に相談。
(なかなか私に渡そうとしていなかった、
 色んなプリントのお返事等も渡し・・・)
クラスでうまくいっていないこと。
すぐに向きになってしまうこと。
体の変化についての男の子たちからのからかい、
(それは注目の的なんだろうけれど)
何気ない先生の一言、言動が娘には堪えたことなど、
手短かに説明。


PTAでの打ち合わせ。申し訳ないことに半分ぐらい済んでいた。
幸い持って来た資料が必要事項の残り殆どを埋める形になり、
ほっと一安心・・・。
娘の2年の時の先生にも相談。
何が娘の気持ちを引き立てることができるか、
親としてどんな風にフォローしていけばいいのか。
他人の相談に乗ったり、仕事として手順・マニュアル通りに
さくさくこなしたりするのとは異なり、
身内の事は全く別の重さでのしかかってくる。


親としての感情のバイアスも入る。愛情は目を曇らせる。
心をかき乱す。すれ違った思い、娘の向こうに見える自分の子ども時代の亡霊。
いやな思い出の二の舞が、私の心を脅かす。
全くいじめの経験というのは、トラウマになるはずだ。
この年齢の私が、娘の一方的な思いを受け止め切れずに、
仕事のように受け止めて距離を空けがちになってしまう。
ここで中立ではなく、全面的に抱え込む形になった方がいいのか、
どうすればいいのか、方法論として探ったり、
本能的に抱きしめてしまいたくなったり、
どちらがいいのか、わからなくなる。


娘の問題の向こうに、解決されていない、
自分の子ども時代の思い出が亡霊のように立ちはだかる。
忘れていた、克服したと思っていたのに、実はまだまだそうではなかったのだ。
そういう思いが、自分を愕然とさせ、また苛立たせもし、
複雑に絡み合った思いで、娘の気持ちに退治せねばならぬ、
この分裂した自分の思いに戸惑いながら、
親であること、その難しさを思い知る。


食欲の無くなってきた老父。
その老父が心配する年内持つかどうかの年老いた愛犬。
まだらボケのまま、頑として老父が付き添っている老母の日常。
全てが危ういバランスの上にある。
そのや何とも危ういじろべえの上で、
元気に笑いながら大きくなってきたはずの娘が、
背が高い云々、難癖を付けられてやる気を無くし、
忘れ物も増え、元気をなくして・・・。


でも、運動会が終わってほっと一息のはず。
泣きながら本音が出たのをきっかけに、どうにかこうにかガス抜き。
頑張りたいね、無理をしないでもう少し。
私自身の対応も、家族の体調・健康、仕事、
色んな事を敏感に感じ取って、心穏やかならざるおませな娘に、
どんな話をすればいいのか。


甘やかさず、かといって、冷たくならず。
「これから先まだまだいろんなことがあるのよ、これくらいで」と人は言う。
私が落ち込んでいたときに、母にそう言った人はいただろうか。
私は母から励まされたことがあっただろうか。
苛められっこで本ばかり相手にしていた娘を、
親はどんな思いで見つめていただろうか。


いつもいつも、記憶の仲にある自分を重ね合わせて、
いやいや、別の人生を歩んでいるはずの娘を、
親のイメージの中に取り込んではいけないと言い聞かせつつ、
やるせなくやり場なく、心倦み疲れたる金曜の夜。

子どものトラウマ (講談社現代新書)

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トラウマ返し―子どもが親に心の傷を返しに来るとき

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