Festina Lente2

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新任の先生の家庭訪問

仕事を切り上げた。というか、
中途半端に残したまま、周りにゴメンとダッシュで帰った。
何しろ今日は娘の担任の先生がやってくる、家庭訪問の日。
残念ながら工事が続いていて、家の内外はひっくり返っている。
だから、連休中は家を脱出せざるを得なかったのだけれど。
でもって、本日工事が終わる予定で、玄関前だけが整備。
とても中に上がって貰う状態ではない。
部分リフォーム(床・壁の張り替え等)の結果も見終わらないうちに、
先生登場。(だったよう)
帰宅すると、先生の車が既に家の前に止まっている。何故?
予定時間の30分前に帰ってきたのに。もうー。
必死で帰って来た意味が無いじゃないかー。
心の準備も家の準備もあったもんじゃない・・・。


娘の今年の担任の先生は、大学出たての初々しいお嬢さんだ。
はっきり言って私の年齢ならば、自分の娘の年齢だ。
そう思うと、かえって緊張してしまう。
ある意味、小学4年生の時の自分の担任の先生も新任で、
激烈ないじめと派閥グループのいじめに巻き込まれ、
辛い思いをした記憶とその先生の思い出がごっちゃに。
ある意味「今更考えてもしょうもないトラウマ」と。


幸いなことに、かつての思い出を払拭するような
全くタイプの異なる先生で、娘も「授業はまあまあ」と。
去年よりは楽しいようで、何より。
母親としてはまずまずの滑り出しと安心している次第。
1年生の時の先生とは異なり、2年、3年と毎年担任が変わる。
私達は原則1・2年、3・4年、5・6年と持ち上がりだったのに、
毎年先生が変わるし、学年には昨年からの持ち上がりが一人だけ。
こんなことでいいのかなあと少々不安な小学校。
何しろ1学年が5,6クラスあるマンモス小学校。
親としては、学年が上がるにつれて取り残されていくような感覚が募る。


きっと、6年間の保育園生活が身にしみついたせいだろう。
濃密で先生とのやり取りが多かった保育園生活から小学校に上がると、
学校の様子が本当にわからない。子どものいうことから見た学校は、
娘の視点から述べられる学校像・先生像でその他の情報は、
学校からのプリントということになるのだが、
隅から隅までしっかり読んでおくと言うより、予定表のみ確認。
それで仕事に向かっている。生活優先、仕事優先、そして小学校の予定。
そんな感じで回っている。


昨年、いじめがあった時、2学期の終わりの懇談で知らされた。
もっと早くに言ってくれれば、娘と話すことも出来たのに。
なかなかそういう事を親に言うのは難しい事柄なのに、
学校側が懇談まで何も行ってくれなかったことに、即不信感。
かつての自分の時もそうだった。
スケープゴートにされた人間、クラスでスポーツが出来て腕力のある、
口の立つグループのボス的な人間にクレームを付けられると、
学校人間関係では生活は泥まみれ。
担任教師はクラスにそっぽを向かれるのが怖くて、
揉め事に口出しせず逃げるものだというイメージが、
小学校時代から染み付いて、人間不信に陥っていた時代が長い自分。


まあ、文学少女は本の世界に常に緊急避難しているので、
現実離れした言動で周囲から浮いていたのだろうとも思えるが、
娘にその轍を踏んで欲しくはない。同じパターンで、
乱暴な男子やボスザル女子に揉みくちゃにされては困る。
そういう思いだけが、母の胸に渦巻いて蘇ってくる。
ああ、この歳にしてなんて情け無い母親。

家庭訪問&個人面談早わかり (教育技術MOOK COMPACT64)

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とうさんの家庭訪問 (だいすきBOOKS)

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予想に反して、新任の先生は娘の事を沢山ほめて帰っていった。
というよりも、新任ゆえ指導教官から保護者たる親の職業を聞いていたようで
却って気遣い? 構えて来ていたような節も。
朝ばたばたして、(私自身が早起きしても、のんびり家にいるタイプだから)
ぎりぎりに娘を送り出し、滑り込みセーフで出勤する私に似て、
娘の登校ものんびりゆっくりぎりぎりだ。


先生にしてみれば、娘に対する心配事は、いじめや揉め事以前に、
「朝早くから学校に来ないでお友達と遊ばないのは、何故?」だったよう。
いつも、休み時間本ばかり読んでいて、「あんな本を読む子はいない」のだそう。
別に世界の名作文学を読んでいるわけでもなく、普通のごくごく子供用の、
シリーズ本に熱中しているので、私にすれば物足りないのだけれど。
いつかは、ハリポタ以外のファンタジーだって読んで欲しいのだが・・・。


でも、一生懸命娘のいい所を見つけて語ってくれる先生は、
親にとってはありがたい。親子関係、まだ浅い溝だけれど・・・。
どうしても距離が近い分、期待と夢と要求過多でアップアップしてしまう。
親も子も、すれ違ってギクシャクしてしまう。
先生になりたての若々しい感性豊かな先生が、
一生懸命自分の生徒、初めての生徒に寄り添おうとしてくれる、
その姿勢が親にとっては限りなくありがたい。


親は子どもに対して謙虚になれず、我がままな夢を一杯抱いてしまう。
良かれと思って、「小さな親切、余計な御世話」をしてしまう。
愛情の裏返しの口うるささ、良い所よりも欠点に目が行き、
必要以上に厳しくなってしまううるささ・・・。
子ども時代に経験して辟易としているはずなのに、
同じ過ちを繰り返してしまう。


親の病気や入院、祖父母のとの関係で、
寂しい思いも我慢していることも、一杯あるだろう。
友達関係でも話せないこと、抱えていることが山ほどあるだろう。
だから、先生。
一日の中でもっとも長い時間を過ごす先生が、
娘に寄り添っていただけるよう。
親としてはそれだけが切実な願い。


教え方の技術よりも、子どもに寄り添う温かい気持ちが先決事項。
技術は後から付いてくるもの。
今はただ、冷静に、そして温かい目で指導をお願いしたい。
スーツ姿も初々しい小柄な先生を見ていると、
何だか自分の娘が大きくなって仕事をしているような錯覚に陥る。
(友人の子ども達も大学を終えて働き出している)
何だか職場で、若手に面接・面談でもしているような気分。
ああ・・・。


小学生の親というには余りに微妙な年齢のかーちゃんは、
ひたすら先生に頭を下げる。
そして、先生に期待する。
一生に一度だけの初めての担任真っ最中の先生に。
心の中でエールを送る。
娘よ、先生と一緒に頑張れ。先生と一緒に伸びて。
かーちゃんは、二人娘がいるみたいな心境。


まだ1件まわる先生に、庭の芍薬を切って渡した。
立てば芍薬・・・? 先生、あと一件頑張ってね。
何だかかーちゃんは複雑な心境。
不思議な気持ち。
先生なのに、娘の担任なのに、
娘が二人いるような心境。

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