Festina Lente2

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思春期との距離感

仕事に追われる休日出勤。予定通りはかどらないので異例の休日出勤。
トレードマークが亀の私でも、こんなに遅れているのは珍しい。
哀しいことに老眼鏡と眼鏡をとっかえひっかえ掛け替えて、パソコンとにらめっこ。
細かい数字がなかなか見えない。エクセル画面は苦手だ。
字を大きくしたらしたで、全体像が掴みにくい。全くもう。
以前から老眼は、進む時に一気に進むと言われて来たが、
脳の血管が一本切れたんではないかと思うくらい、文字が見えにくい。
読書が出来ない以前に、仕事がはかどらない。


先輩達は散々苦労した挙句、近近眼鏡だとか遠近両用だとか、
視力差のある場合、遠視用コンタクトレンズだとか、
それなりの解決策を見つけているようだ。
いずれは私も、遠近両用眼鏡を掛けなければならないかと
思ってはいるのだが、決心がつかない。
境目がない眼鏡はもちろん、強近視と乱視の混じった老眼、
特注レンズの高さに泣ける。
眼鏡やコンタクトレンズに掛けてきた費用のことを思うと、
体が資本とはよく言ったもので、医療費や眼鏡の維持費がなければ、
どれだけ余裕があったかと思う。


そんなこんな不調を抱えながらも、午前中で仕事は切り上げ。
本命の研修に向かう。「思春期に対する距離感」をメインに、
20答法をワークに交えて、勉強会を行った。
思春期に対する個人個人の思い入れ、その個人的体験への振り返りを
1時間で行うのは難しい。せめて、今の若い人達の在りようを少し、
そして、思わぬ自分自身のとらわれ、人それぞれの考えを知って、
様々な捉え方・見方を共有しようというのが狙い。


相談を受ける際に、知識を伝えたいのか、処理を教えるのか、
何故そうなったか振り返らせるのか、同じことが起こらないようになのか、
自分自身の体と心を大切にするという事はどういうことなのか、
より良い関係を考えさせるきっかけにしたいのか、
思春期の相談を扱うという事はどういうことなのか。

思春期の危機をどう見るか (岩波新書)

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思春期ポストモダン―成熟はいかにして可能か (幻冬舎新書)

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様々な研修や勉強を重ねていて、克服しなければならないのは、
自分自身は「こう思う」という自分の意見や考えを横に置き、
傾聴・共感できるかどうかという基本的なこと。
そして、驚いたり呆れたり足りという個人的なショックをひとまず忘れ、
相談者に寄り添うことができるかということ。
これは、対面であろうと電話であろうと実際難しい。


貞操観念」という言葉は死語かもしれないが、
付き合っている相手を自分の物として、「モノ化」して考える若者は多い。
相手の心や体を相手の自由、尊重ではなくて、
自分の意のままにできる制限がついたものが「付き合い」だという思い込みが。
そして、女だから男だからという性役割をどこから押し付けられたのか、
四半世紀の時間を経ても変わらない、「相手好み」になることが、
円満なお付き合いの秘訣だと信じて疑わない女性も多い。


思春期前期の体の変化から心の揺れ、それを受け止める自分と家族、友達。
人間関係の不安定さが、心身にダイレクトに伝わるこの時期。
子供から少女・少年、青年期へのフォローが必要な時期、
相談を受ける側が、自分自身どのように思春期を受け止めてきたか、
その頃の自分と今の自分をどのように見つめているか、
人から相談を受ける場合、どのようや距離感を感じているか。
改めて意識するのは大切だと思う。
人は見たいものを見、聞きたい言葉を聞く。
だから、こういう機会に本当にそうなのか、そうだったのか。
他の人はどう感じているのか、分かち合う必要がある。


ここはそういう学びを必要とする場だ。
自分と年齢の差、立場の差、キャリアの差、様々な人生経験の差、
そういうも違いを脇に置いて、自分にとっての思春期は、
そして相談を受ける時、相手に対してどのような距離感を、
感じるのか感じないのか、それは距離感ではなく違和感なのか、
親しみではなく、自分が通り過ぎてきた青春への懐古に近いものなのか。
自分の今の生活との類似から来る嫌悪感、拒否感なのか。
胸の奥に感じるもの、去来する思いはどのようなモノに根ざしているのか、
振り返ってもらい、共有してもらった。


自分ひとりの受け止め方、感じ方とは異なる多くの人の思いが、
感慨・疑問・後悔・恥じらい・嫌悪・切なさ・戸惑い、
何とも名状し難い思いが渦巻く。
割り切って受け止めているのか、かろうじて付いて行こうとしているのか。
時と場合によって自分の心や体験を切り離すことが出来ずに、
巻き込まれてしまい、引きずってしまうというのはよくあること。
同性であれば、わかるというものでもない。
同性であっても、理解しあうのが難しい場合もある。


分析はしても評価はしてはならないという。
しかし、誰しも無意識のうちに自分の価値観に縛られている。
それを知っているのか、意識して差し引いて考えることができるのか、
自分がどういうバイアスを持っているのか、
どういう反応をしがちなのか、否が応でも受け止める必要がある。
気づかなければ、毎回自分の心の動きに左右され続ける。
自分が自分の思い出に、青春に、思春期にどれほどの距離を取っているか、
自分自身のスタンスを知っておくことが必要になる。


経験で埋められる事もある。何年経っても消すことの出来ない記憶がある。
その心の揺れ、振幅を常に見つめながら、その自分自身と、
相談者の中間に立つ「自分」を保っているだろうか。
少なくとも、相談を受けている最中は?
様々な自分、色んな自分、どれも自分。
そして自分の思春期との距離、スタンスが、
知っていると思い込んでいる、馴染んだはずの距離感が、
別の角度から照らされた場合、どう見えるか・・・。


思春期に差し掛かっている娘を傍らに、私はいつもその距離を思う。
思春期までの距離を、思春期からの距離を、
時には近く、時には遠い。時には甘く、時には苦い。
今日はどこまで行ったやら。
かーちゃんの勉強中、君は自然史博物館へ。
骨だらけの恐竜達に逢っているかな。
恐竜達にも思春期はあっただろうか。心身の成長の変化に戸惑うときが。
彼らが気づかなかったとしても。
恐竜にもあっただろうか、老眼が。見えず、見えにくく戸惑う時が。
彼らの寿命がどれほどのものかわからないが。
・・・そんなことを考えてみる。

いじめの構造―なぜ人が怪物になるのか (講談社現代新書)

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思春期をめぐる冒険―心理療法と村上春樹の世界 (新潮文庫)

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思春期心理臨床のチェックポイント―カウンセラーの「対話」を通して

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