Festina Lente2

Festina Lente(ゆっくりいそげ)から移行しました

波々伯部神社祭礼へ

写真が多いので、お祭り本番は分けてアップします。

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昔から祭りが好きだったわけではない。
たまたま地車だんじり)が盛んな土地に育ったが、
親が大阪の人間でなければいつまでもよそ者扱い、
祭礼や産土はその土地の人間のもので、よほどの事が無い限り、
その中心に近づく事はできない。それならば徹底的に通りすがり、
観光客、傍観者に徹して観るに限る。


6月の末に家族で訪れたバス旅行の丹波篠山の鄙びた景色、
(土地の人には申し訳ないが、緑豊かな田舎の癒し空間に見える)
観光パンフレットで8月の最初の土日に祭礼があると知った。
それがこの波々伯部(ほうかべ)の祭礼。
今年は残念ながら何年かに一度の特別な祭礼ではないらしいが、
小京都、丹波篠山の祇園祭として有名だそう。

本番前の天狗のお面とかつらが置かれているのが見えますか?


夏休み中、娘のキャンプと重ならないよう家族ドライブ。
家人宅からは思いのほか早く、能勢越えをして1時間半ほどで到着。
稲の花咲く田んぼが広がる旧道沿いに、堂々とした参道、
田舎のこじんまりとしたさびれた風情の神社はかつて、
もっと威容を誇っていたのではと想像させるに十分だった。
そう、ここは京都に向かう篠山街道沿い。
白鳳時代に創建され、戦国時代には消失・再建、時代の荒波を超え、
たくましく生き残ってきた地元の信仰の拠り所。

この神輿鉾は御祭神・妃神・御子神達のものと3本。


記念のお守りを求めたついでに、神主さんにお話を伺う。
昔はお神輿も村中を練り歩いたものだが、今は人手も足りず、
彫金の鳳凰の神輿は重くて担ぎ切れないので、参道と神社周囲だけ。
だんじりは田んぼの中のお宮さんまで行列を成して行くのだと言う。
各村からのだんじりが神社に集結するのは14時過ぎ、
この地のだんじりは変わった形をしていて、舟形のものがあり、
祭り装束の男達が田んぼの畦道を曳行する有様は、
稲穂の海に白い波しぶきが立って船が進むかのようだという。

今朝の土砂降り、昨夕の夕立で前夜祭は無かった様子。
真昼の休憩時なのか、神社にはまだ殆ど人が居ない。
普段着の宮司は、今の人は体は大きくても力が足りず、
なかなか渡御ができぬ(神輿が担げない)と嘆いていた。
まがい物ではない飾りは重く、落とせば壊れてしまう。
今風の軽い素材に金箔ではなし、相当重いから担げない。
本当は担ぎ手の肩の高さが上手に揃って神輿を担ぐと、
飾り金具が揺れて絶妙なる音を奏で、楽を奏するが如しの風情。
なのに、その音が聞かれなくなってしまって久しいと語る。
隅瓔咯や板瓔咯、キラキラと輝く飾り物が風鈴のように、
楽を奏でるとは知らなかった。


その神輿も雨が掛からぬようビニールシートに覆われていて、
全容が見えない。せっかく境内に飾られているのだが。



とにもかくにも祭り本番まで時間はあるので、
篠山市内でランチでもとしばらく車を走らせると、
「村」と呼ばれる各地区のだんじりが、
飾り付けをしながら出番待ちをしている所に遭遇。
なんてラッキー。こんな機会滅多に無い。
これは祇園社の文字を掲げた、神社お膝元のもの。


次は上と称する地区のもの。
ああ、こんな風に準備するのか・・・。
少しこの場で見学させて頂いた。市の中央に出るまで、
だんじり2台の飾り付けを間近に見て、岸和田のだんじりと異なり、
祇園祭」というだけあって、木彫りよりも刺繍や縫い取りのある掛け物、
だんじりによって異なる飾り付けが見られるのが楽しみだ。


篠山城が400年記念祭、スタンプラリーやサイクリングも。
残念ながら今日はそんな暇は無し、せめて昔の町役場、
今は大正ロマン館となった建物で、名産黒豆尽くしのランチ。
昔のミシンや電話、人力車などがさりげなく置かれていて、
「みるくほうる」の時代を髣髴とさせるちょっと趣のある場所。
まだまだ見どころがありそうなこの歴史溢れる町。


デカンショにまつわるモニュメント、
町おこしに一役買っている土地キャラ猪「まるいの」
酒蔵や武家屋敷と興味は尽きないが、神社に戻らなくては。
まくわ瓜や白瓜、ジャガイモなど直売で購入。
14時を過ぎている、大急ぎで波々伯部神社へ取って返す。