Festina Lente2

Festina Lente(ゆっくりいそげ)から移行しました

波々伯部神社のだんじり

昨日の丹波篠山の波々伯部(ほうかべ)神社の祭礼、
1日遅れで申し訳ないが、ようやっと仕上げて見ました。
沢山の写真を撮りすぎて、どれをアップしたらいいのかわからない。


とりあえず、何枚か選んでみた。本祭りの様子を娘に残しておきたい、
私自身が子どもの頃、その素晴らしさを分からずに過ごした景色。
両親の故郷、米どころ宮城を思い出させる田園。
旧暦の七夕に提灯を持って歩いた思い出が蘇る。
自分の故郷ではない土地の祭礼にも、何かしら思い出のよすがを見出す私。


娘に広々とした水田の景色を見せることも出来た。
一枚一枚の田が花が咲いているものもあれば、穂も出ていないものも。
そして風が渡ると、さわさわと稲の葉先・穂先が揺れていく有様。
ここに来るまでに昨日の大雨で増水した川、山肌から流れる湧き水を見せた。
祭に来るまでに、この祭りが自然の中で行われるもの、
「夏祭り」そのものが「水無月の祓え」と同様、災厄・疾病を払うのと同時に、
秋の収穫を祈る予祝であるということを、肌で感じ取ってくれればいいのだが。


神聖な祭礼をと思われるかもしれないが、人気の無かった午前中・昼下がりに比べ
結構プロ・アマ・カメラマンも集まってきた。
祭りにかかわる子ども達の保護者・男衆、全部入れても人数的には知れている。
丹波篠山の祇園祭と言えども、手作りの田舎の祭りという雰囲気が多分にあり、
それが何ともいえない郷愁をそそる。つまり、人混みに毒されていないというか、
他人の手垢が付いた観光ベースの祭りというよりも、あくまでも地元の祭り、
地域の祭りという、この凛とした雰囲気が良かった。

  


まずはランチを終え、神社にとって帰した時、殆どのだんじりは集結済み。
宮入りの時の儀式がこれ。走るスピードを競うのではなく、
その動かし方(上下に揺さぶる高さ?)に大きな特徴。
囃し手の子ども達は中で酔っていないか、心配になるくらい。

  

  


こうして広い境内が狭く見えるほど、8台のだんじり勢ぞろい。
村から神社まで曳き手は疲労困憊。次の神事に備えて休憩中。
みんなは一服している間に、神主が祝詞を唱え、神事は粛々と進む。

  

  


格子窓・飾り格子・彫り物・飾り幕、どれも意匠を凝らしたものばかり。
大抵は英雄物語が多い岸和田のだんじりと異なり、
こちらでは縁起物の鶴亀や十二単衣のみやびな姫君等も見られる。
獅子や大江山伝説、酒呑童子の鬼退治と渡辺綱等が描かれたものも。
一つ一つのいわれを知ればもっと面白いのだろうけれど・・・。
この神社は蘇民将来の札があるというから、それに関するものもあるのかも。
一つ一つのだんじりを全部ゆっくり観ることは出来ず、残念。

  

  


世話役の御払いが終わると、だんじりの行列の先を行く人々の準備、
踊り子と称するかわいい稚児たちの御払い、そしていよいよ出発と相成る。

  

    

  


人が神と接するためには常ならぬ姿にならなければならぬのか。
又は、神が光臨するから常ならぬ姿に変貌するのか。
神と人との交わりはハレの場の装いが必要。
老いた世話役も、7歳までは神のうちの幼児達も一様に装束をこらし、
神に近しい姿となって祭りの場にある。その不思議な明るい眩しさ。
光と闇、無垢なる若さと老獪なる智慧、両者揃って全きものとなる。

   
   


田んぼの中のお旅所に向けてだんじりも出発する。ここからの景色が、
カメラマンが狙う景色となるのだが、生憎の空模様。
今にも降ってきそう。神主さん曰く「名物の夕立」が。

    



神主さんが話してくれた稲穂の上を行くだんじりが、
曳き手の衣装の青と白とあいまって、波しぶきの上を走る船の如く見える。
そういう景色に憧れて眺めている私。祭りの行列の道筋を予め知っているファンは、
ポイントを狙って三脚を立てて待ち構えている。私はコンパクトデジカメで、
ズームして映してみるものの、皆様にどれほど雰囲気をお伝えできるか。

  

  

  

  

  


黒豆と稲の向こうにだんじりが列を成していく。
8つの集落のうち、二つが舟形の曳山、遠めには確かに稲穂の上を行く船だ。
屋根の上に何をあげているのだろうと見る人は思う。
そう、少々無粋なビニールシートが折り畳まれている。
しかし、これは夕立に備えて毎度の準備らしい。
そうこうしているうちに、お旅所に付くまでにとうとう雨が降り出した。
地球温暖化時代の祭りは、こういうスコールにも備えなければならない。

 

 


大事な村の御宝を守るべく、大急ぎで覆いを被せる。
無粋だろうが何だろうが、こうでもしなければ刺繍縫い取り・織物・飾り紐で
美々しく飾られた見送り幕が台無しになってしまう。むろん、だんじりそのものも。
土地の人はこの雨には慣れっこらしい。
ある意味昨夜の大雨で宵宮が流れてしまって、提灯を灯すことはできなかった。
祭りを行う側からすれば、この本祭りだけはきちんとやりたいだろう。


木立に囲まれたお旅所は、枳殻(からたち)の枝が刺してある所も。
飾りなのか、何かから守っているのか、ささやかな鉄条網。
神主は淡々と神事を執り行い、神と語り合い、再び人々に向き合う。

  

  


さて、お旅所での神事が終わり行きはよいよい、帰りは怖い。
いや、行きは並んで行くが、帰りはばらばらに神社に戻るとのこと。
お日様がようよう顔を出してきた帰路。
足元から熱気が立ち上がってくる。

  


あとは神輿神事だが残念ながら時間が無い。夕刻までずっと残っていたかったが。
担ぎ手の肩が揃えば、飾り金具がえもいわれぬ音を奏でるという、
その雰囲気を少しでも味わってみたかった。
せめて、覆いを取った御神輿の写真だけでも。

   

  


こうして、暑い夏の一日。にわか追っかけの丹波篠山祇園祭りは終わった。
稲穂の花咲く旅路を辿れば、自然から恵まれた生気が眩しく、
分不相応さに眩暈がする。晴れの日の美しさに憧れるほど、
やらなければならないこととやりたいことが乖離した日常生活に引き裂かれる。
そんな自分を振り返らずに、ひたすら異邦人として、マレビトとして、
祭りの場に遭遇する一日の私。

祇園祭の大いなる秘密―日本神仏祭祀の謎を読み解く

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結構有名なお祭りらしく、後から探せばあちこちに丁寧に書かれていた。
神社のについて→http://www.harimaya.com/o_kamon1/syake/view/hokabe.html
祭りの様子など、詳しい写真入のもの。
http://www.ne.jp/asahi/maroudo/somin/contentsmatsurisaijiki/hookabejinjyareisai.html