Festina Lente2

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研修はしご

金曜日からの一連の研修が、今日でひとまず区切り。
土曜日曜、家族で過ごした時間の余韻に浸る暇もなく、
週明けも体だけは研修場所に運んだ。
6月中に立てた予定に動かされているものの、心は空ろだ。
忙しく動いているのは、仕事をしている実感よりも、
仕事をしているという感覚を保つための擬態に等しい。


仕事をするのは生活の糧を稼ぐ為だけではない。
でも、自分がしている事が何に繋がるのかわからなくなる事がある。
この歳になっても、だ。自分の理想とするところと、
やらなければならない事が重なっていれば苦労はしないが、
現実は厳しい。というよりも、うんざりする事が多い。
体の苦痛も難儀なものだが、精神的な煩わしさは楔のように、
心の平静・平常心を揺らがせていく。


美味しいものを美味しいという事ができない。
「うまい」「うまくない」でないと、現場に密着していないという。
わからないことをわからないと呟くのは許されない。
「どこができない」か、意識できているかどうか、
それが問題であると気付かせていないからだと責められる。
今までのやり方が悪いのではなくて、物の見方が変わったのだと
学問的な体系に基づくものの見方の説明や、法的な見解を聞くが、
面白いとは思うものの、実際まいた種が育つのを見る時間が
どれくらい残されているか、そんなことを考えると、
萎えて行く気持ちに逆らえず、疲れが募る。


昨日今日、行ったり来たりしながら、
できることできないこと、したいことしてみたいこと、
目鼻立ちが付くものはよし、お国のお偉方の方向転換の
旗さし物にされてはかなわないなあと、
胸の奥から呻き声にも似た溜息が漏れてくる。
研修、それを重ねて、何時? 何ができる?
何時まで時間が残されている? 
何かに手をつけると期限が来て、チームは解散、
メンバーは一新、その繰り返しの中で受け継がれていくべき、
仕事のDNAが無い。曖昧で、納得できない。

企業内研修にすぐ使えるケーススタディ

企業内研修にすぐ使えるケーススタディ


研修の現場が柔軟なのに、手続きを行う所が優柔不断で四角四面。
出先機関がOKを出しても、派遣元は許可を出さない。
直前に計画が変更になり、変更をすぐに伝えても、
計画通りでなければ実行は認められない。
個人の裁量も、意志も、判断も認められず、
あるべき形、筋にのっとり、その時間そこに貼り付けになること。
もしくは、休日を返上してもこの内容に取り組みたいとしても、
許されない、許可されない、変更は、
予定されていない変更は、良い方向に向かうものでさえも許されない。


助かる道、楽になる道があり、広い知識や体験への機会があったとしても、
認められず、次の機会を待てと言われる。
次が何時あるか、わかりもしないのに。
研修が進むにつれ、ワークショップ形式には体が付いて行くものの、
講義形式には空ろな頭だけが座っていただけだったような気がする。
今、これが、何に結びつくのか、それを思うと
ひたすら静かに休んでいる時間が欲しい。
そんな望みばかりが募った。


家族と過ごす時間の楽しさは、仕事の対極なのか?
そんなことは無いはずなのに。
生活の目的、目標、仕事における自分の目標、
しかし、目標は立てても、ある程度まで達成できても、
やりたくてやっているのではなくて、必要とされていることに対し、
忠実であろうとする、過剰適応に近い形では息切れしても仕方ない。
求められる形で仕事をする、要求を受け入れる。
それで、その先どうなると?
そんな思いばかりが渦巻いて、疲労困憊、帰宅した。


焦土作戦。義務付けられた資格審査も免許制度も、
用意された研修も、支援というよりも罠ののように思える。
自由な意思で行動し、自由に読み書き算盤、
異業種間の交流、何もせずに済む空白の休養時間の確保、
そういうものを端から認めず、レポート提出や研修報告用紙。
しかしそれを提出しても、何と言う事も無い。


個人的な興味関心を束縛・評価されることが、
どれ歩と苦痛を伴うものか、上の者は知らない。
管理することが最善だと思っている。
勝手無益なことをさせないために必要なことだと。
檻の中に入れられて、自由に振舞ってみよと覗かれているような、
そんな学びの中で、意に沿う動きをするかどうか、
絶えず監視されている中で。


そういう思いが日に日に強くなってくる。
30代の頃、10程年上の天然でユーモアたっぷりの先輩が、
「この年になったら我慢できないことが増えてきて、
 苛々することが多くて大変なのよ」と発言してビックリしたことが。
単なる更年期なのか、それとも定年を見据える年になって来て、
自分の置かれた立場や仕事内容に苦慮することが多かったのか。
今その年になって見ると、苦々しいものがこみ上げてくる日々。


暑い夏に静かな休暇など望むべくも無い。
ただ、娘と過ごす時間・予定を、仕事の隙間に入れて、
どうにかこうにか距離を取ることを意識するだけ。
特に今年の研修はしごは、自分の糧になる実感よりも、
打算と擬態の産物であるような自虐的な思いに満ち満ちて、
不必要に落ち込みがちな私に迫ってくる。
苦く暑い8月の始まり。

仕事は楽しいかね?

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武満徹:ピアノ作品集

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