Festina Lente2

Festina Lente(ゆっくりいそげ)から移行しました

篠田の火祭り

花火好きの私たち、これまであちこちの花火を楽しんできたが、
今回の花火、3月末に訪れたの瓦ミュージアムで見た1枚のポスター。
その時は是非見ようと思い定めていたわけではなかったが、
家人が気に留めていてくれたらしい。この日に宿を取ってくれていた。
この祭り、実際は花火ではなくて大松明の火祭りがメイン。
単純に花火を想定していた私たちは度肝を抜かれた。

宿の人に駐車場は無い、田んぼの真ん中の神社の行事と聞いていても、
そこはそれ、適当に車を停めて火薬の匂いのする方へ行けば境内。
わんさかと黒山の人だかり、大松明と言っても薪ではなくて、
藁を束ねた巨人のような松明が2本。まるで夫婦のように立っている。
いつ火をつける予定なのか、21時過ぎにしてのんびりと口上がマイクで流れる。

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合間合間に打ち鳴らされる太鼓は、そのメロディもリズムも馴染みが無く、
どういうしきたりや規則にのっとって鳴らされているのか、皆目わからない。
酒によっているのか、太鼓を担ぐあんちゃんたちが荒くたいので、
喧嘩になりかける場面も。観客よりも、祭りの中心の人が揉めては・・・。
町毎にある太鼓、松明、それぞれ昔は神社に捧げる神聖なもの。
田植え前の稲魂を招霊する儀式に基づくものだったのに違いない。
大きな音を立て、光を放ち、稲妻にも似た音と光で目に見えぬ力をを揺り醒ます。
稲の生育を祈り、水争いの無いように村毎まわり持ちで祭礼を請負い、
祭りを成功させることで、村々の団結力を競い合うものであったに違いない。

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スポンサー名、花火の種類、製造会社とその所在地、(中国のものも)
おまけに新幹線が通る度に、安全確保のため打ち上げが滞る。
ようやっと松明に日が? その前に仕掛け花火やナイアガラ。
この辺まではどうという事も無かったが、どでかい看板のようなものに
火が着いた途端、空襲に遭うとはこのようなものかと思ったくらい、
爆音・閃光が轟き、ひゅうひゅうと巨大な風車が回り、
パチパチバチバチ、一千個の線香花火とねずみ花火が一斉に火を噴いたか、
何と形容していいのか、モウモウたる煙と火薬の匂いに包まれ、
仕掛け花火と認識していなければ、パニックで叫びだしそう。

それにしても・・・、この仕掛けの巨大さと、松明の見事さ。
「国の選択無形民俗文化財。花火の画題はその年に話題を呼んだもの。
下絵を高さ約15m、幅約20mの画面。化学薬品を一切使用せず、
硫黄・硝石・桐灰を調合して作り上げられる『和火(わび)』という日本古式花火。
午後9時頃、火薬を櫓に組んだパネルに点火すると、一面煙に包まれ、
しばらくすると、煙の中から、蛍火に似た花火絵が浮き上がり、
数分間美しく燃えつづける」というものだと後から知った。


火の着いた松明を何度も繰り出す有様は、怪我人が出ないのが不思議。
お水取り同様、火でもって邪霊を浄め、土地を清め、人心を新たにし、
稲同様人間にも新しい命が宿るような、そんな祭りなのだろう。
稲藁を大切に縒り上げ編み上げて、大松明を焚き上げてうまく燃やし尽くす。
それはなかなかに技術のいることだ。
新年の左儀長で祓えをするように、田植え前の神事は農事を左右する。



火を見ると古代からの血が呼び覚まされ、騒ぐような気がする。
そんな思いを受け継いで、生きているか現代人。
飛んで火に入るではないが、何かに魅せられて突き動かされるような、
そういう衝動に駆られながら、燃え尽きてしまいたいような、
そんな生き方をしているか、現代人。


燃え盛る火の向こうで、見知らぬもう一人の私が見つめているような気がする。
火の熱さ知るもう一人の自分が、早乙女であっただろう大昔の私が、
水と土でこねられたままの肌を乾かすために太陽にその身を晒した自分が、
真っ暗な闇の中に呑まれている。
火の落ちた闇の中で、灰まみれになった私たちは現実に帰る。
火の粉のせいで、焼け焦げたカバン。
火薬臭くなったお互い。


裃を着けた人々がふざけ合いながらお社に近づく。
神様はご帰還の時間。再び社の中で鎮座まします。
かしこみかしこみ・・・神主の祝詞の前に人々は額づく。
再び小さな松明が繰り出され、人々は名残を惜しむ。
幾たびも幾たびも燃やされる、灰にされる。
そして蘇る。稲魂はこの地に宿る。新しい稲に宿る。
篠田の火祭り。奇祭は幕を閉じた。

日牟礼の火祭 (1966年)

日牟礼の火祭 (1966年)