Festina Lente2

Festina Lente(ゆっくりいそげ)から移行しました

美味しい麦茶、何処

よその家にお邪魔することもなく、人を招くこともなく、
仕事の合間に夏期休暇と有給休暇を放り込み、
駆け足で過ぎて行くお盆前後。思い出せば懐かしい。
田舎に在らば、お客さんや家族と囲むテーブル、
お茶請けの菓子、漬物の盛り合わせ、冷えたスイカ
熱々湯がきたての玉蜀黍、つき立ての餅を入れた茄子の味噌汁。


朝起きれば鶏小屋に卵を取りに行き、
祖母の手伝いとて桑摘みをし、夏蚕に餌をやり、
蚕棚の掃除、井戸でポンプを押して水を汲み、
火吹き竹で竈に火を熾(おこ)し、煮炊き物をする。
自分の背よりも高い玉蜀黍畑の葉にしがみつく蝉の抜け殻。
アイスクリームなどは贅沢品。よろずやへ行かねば、
手に入りようも無い、田舎。


両親の故郷の想い出が田舎の想い出。
小さな冷蔵庫に大切に物をしまっていたあの頃。
今では考えられない、いわば独身用の大きさの冷蔵庫。
そこに大切に冷やされた豆腐、肉、魚の類。
素麺用に冷やした水道水、しっかり煮出した麦茶。
製氷皿で作られる貴重な氷。


トマトや胡瓜の薄切りが氷と一緒に浮いている、素麺。
食事の前に飲むと胃液が薄くなって消化が悪くなると叱られ、
なかなか好きなだけ飲む事ができなかった麦茶。
時には父のお相伴で頂く、梅酒の実。
庭から取ってきたばかりの青紫蘇や葱を刻み、薬味に。
貧しいながらも穏やかな家族の団欒のひと時。


ペットボトルなど無い時代の、麦茶用のポットや茶器。
藤の編み籠付き、すりガラスの優雅なグラス。
あるいは丸いガラス茶器に茶托。
お客様が来る度、数少ない菓子器、皿、茶器、お盆。
どの組み合わせでお出しするのかと、吟味する束の間。
ただただ、昭和の夏の時間が恋しい。
茶の味と共に恋しい。

麦茶 毒出し健康法 (PHP文庫)

麦茶 毒出し健康法 (PHP文庫)

OSK 黒烏龍茶ティーパック 52P

OSK 黒烏龍茶ティーパック 52P


先月「試してガッテン」で、美味しい麦茶の入れ方を放送していた。
http://cgi2.nhk.or.jp/gatten/archive/program.cgi?p_id=P20090708
私は最近の水出し麦茶パックが苦手。
何だか味が出ているのか出ていないのか、色だけ付いているんじゃないか、
沸騰させず、荒熱をとって冷やしもせず、中途半端な温度で、
殺菌できていないんじゃないの、そんなふうに感じてしまう。


緑茶も麦茶も、蕎麦茶でさえもティーバックでそのまま。
便利で手軽で美味しくない、可もなく不可もない味のお茶。
だから、ペットボトルのお茶の方が美味しかったりする。
あの手この手で発売される、様々な名称・銘柄・ブレンド茶葉。
自分ちの麦茶は、自分ちのやかんの中にあるのが当たり前。
そんな生活はどこに行ったのだろう。
買い置きのペットボトルが冷やされている、今の時代。


家人と一緒になった時、しょっちゅう缶コーヒーやジュースを自販機で買う。
それが気になって仕方がなかった。
やかんでお茶を沸かして冷蔵庫に冷やしておく、そういう習慣も無い。
冷茶用ポットに、いきなりティーバックと水を入れ、冷蔵庫直行。
確かに水出しOKなのだから、それで飲めればいいのだろうが、
心の中で抵抗の大きいことこの上ない。


煮出さなければ、火に掛けなければ美味しい麦茶ではないような。
試してガッテン流にすればいいのかもしれないけれど、
私がこだわっているのは、麦茶を作る時の行程。
手順の煩わしさの中にある、本物の感触。
(味よりも、自分の思い出と体験を蘇らせるその過程が恋しい)
やかんのシュンシュン言う音。吹き零れる麦茶の焦げる匂い。
ちょろちょろ流水で、大きな荒い桶に漬けたやかんを冷やす。
ほんの少し塩を入れたこともあったっけ。


今や母は麦茶を作ることもなく、私も手間隙掛けることもなく、
家人と暮らす間にやかんを火に掛ける回数も減り、
お手軽パック麦茶で過ごすようになってしまった。
母に至っては、自分が何時麦茶を作ったのか覚えていないし、
古い麦茶パックの入っている上から水を足したり、パックを入れたり、
ただただ腐らせているだけのやかんの中身を、
実家に帰るたびに捨てている私。
冷蔵庫に冷やされている麦茶は酸っぱくて飲める代物ではない。
一体母の記憶の中で、「麦茶」はどこにしまわれてしまったのか。l
いや、消えてしまっているのかもしれない。


ブログを振り返れば、訳のわからないところからアクセス。
記事らしい記事の無い、情報だけの羅列のような変なページ。
一体どうしてこんな所からアクセス?
このマイナーなブログに。
私が何日もタイムラグを置いて記事をアップしていても、
読んでくれる人はいるけれど、明らかに一見さんが多い日々。
思想信念が無ければ、雑文は書き散らし難い。


もしくはよく訳のわからないコメント。
お友達ブログを覗いてもたまに見かける、おかしなコメント。
場違いなコメント。嫌がらせのようなコメント。
チェーンメールならぬ、迷惑コメント。
それを消したりしながら、何だか夏に違和感。
そういうものが少しばかり増えて、この夏は余計に疲れた。
帰宅して冷蔵庫を開け、冷えた麦茶を飲みたい時に、
期待外れの酸っぱい麦茶、腐った麦茶に出会ったような、
そんな感じ。


ああ、夏もあと2週間足らずで終わってしまう。
娘以上に、夏が過ぎ行くのを惜しんでいるのは私。
ブログを書いてみて、熱にうなされるように書くのが楽しかった、
そんな時期は過ぎて、隙間風のようにトーンダウンしている。
そう、空ろで空っぽな自分を書くにはお祭り気分、夏気分が必要かも。
夏とはいえしみじみ後ろを振り返っている私には、
タイムスリップして、夕焼け空を眺めながら縁側に蚊帳を吊り、
麦茶片手に庭を眺めたあの日の午後が、
やけに思い出される今日なのだ。

異人たちとの夏 (新潮文庫)

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