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靴に恋して

昨日とは反対に、家族全員家で過ごす一日。
娘は宿題と勉強、私は家事に、家人は珍しく打ちっぱなしに。
だんだん体を動かし、体力を使う生活ができるようになってきて嬉しい。
一病息災で日常生活が過ぎていくならば、それはそれで申し分ない。
何もかも満足のいくように望むというのは、贅沢なこと。


午後、昼寝もせず、みんなで私の借りてきたDVDを鑑賞。
といっても、この作品、仕事絡みで借りている。
手放しで楽しめる娯楽ものではない。
なかなか意味深、考えさせられる内容。
どちらかというと、しっかり見るのが辛い作品。
社会問題も含めて、生身の人間関係は複雑に交錯。
様々な恋愛、すれ違い、親子・夫婦・恋人関係、仕事、なさぬ仲、
男と男、女と女、男と女、世の中はリセットしたいことに満ちている。


差別、偏見、思い込み、様々な規範から逸脱していると思われるもの、
何を基準に外れていると、正常だと、正義だとするのか。
全くもって、この映画を見て気持ちが明るくなるかどうか、
非常に難しいけれど、佳作は佳作だと思う。
こういうテーマに取り組んで、作品を作り上げようとする熱意が、
そのエネルギーが、物凄いなと思う。


『靴に恋して』アマゾンのレビューより

23歳の高級靴店の店員、49歳の娼家のオーナー、43歳のタクシー・ドライバー、25歳の知的障害者、45歳の高級官僚夫人の5人の女性が「靴」をキーワードに、それぞれの人生を振り返り、真実の愛を求めて前進する様を描く。一見すると軽い印象を抱かれがちな作品だが、内容はかなりディープに女性たちの心理、人生に対する考察に満ちている。ただし必ずしもストーリーがスムーズに進行する作品ではなく、もどかしさを感じるシーンも少なくないのだが、それもまた登場する女性たちと同様、不器用ながら真面目さを感じさせるという良さでもある。
出演する女優たちのうち、知名度の高い女優は見られないが、彼女たちが人生をリセットし、希望に満ちた生活を取り戻すべく努力するくだりの表現を、よりリアルに見せている。スペイン映画の佳作。(斉藤守彦)

靴に恋して [DVD]

靴に恋して [DVD]



実を言うと本当に長い作品なので、見ているのは疲れる。
集中力も途切れてしまいそう。
おまけに、やっぱり直面したくない内容もある。
自分の中の様々な偏見、バイアスが刺激される。
避けて通れない問題を幾つも幾つも見出して、辛くなる。
応援したいことも沢山あるけれど、目を背けたいことも。


人生をリセットする。それは大きな決断のようにも見える。
しかし、毎日の日々の生活の中で、実は小さな小さなリセット、
数え切れない決断、その繰り返しの中ではっきりとしたうねりのように、
大きな波がやってきて、それを乗り切るために迫られる、
もしくは選択する、やむを得ず走り出す、そんなリセットもある。


期せずして乗り切ること、「倒れて後止む」の勢いをつけてやっとこさ、
わけもわからず火事場の馬鹿力のように動いているようでも、
人間の無意識の力は恐ろしい。
習わず教えられずとも、本能でおかしいものはおかしい、
嫌なものは嫌、危ないことは危ない、知りたいことは知りたい。
そんな風に動いて、自分の体の凝りをほぐす如く、
心のしこり、疼き、傷跡を直そうとし始める。
それはそれでとても辛い道のり、長い時間、荒療治だったりもする。


娘が反応していたもの、男性からの暴力。
「帰っては駄目」と言われながらも
「やり直せるかもしれないから」と暴力夫の下に戻った女性が、
墓に葬られ、友人である主人公の女性たちの一人が、
花を手向けているシーン。
9歳の娘が、人の死にある意味敏感で、
その背景にあるものを感じていることに、
かーちゃんとしては嬉しい気持ちも。


幸い、暴力や罵詈雑言の類からは離れて育っているだけに、
そういうシーン、場面に反応を示したのだろうか。
自分の知らない世界、それは遠い大人の世界かもしれないが、
子どもの世界とは全く無縁ではない。
子どもが生きている世界、生きていく世界は親や大人が関与する。
自分が成長する環境を選んで、子どもが生まれてくるわけではない。
好き好んで虐待や貧困の中に生まれて来たいわけがない。


子どもに強すぎる刺激を与えるのはよくない。
けれども、何も知らないで育てるわけにも行かない。
どんな風に、どんな機会に話していけるか。
向き合っていけるか。時には真剣に、時にはさらりと。
そういう日々の積み重ねに、未来は少しずつ築かれる。
親の世代が目指すものが、子どもの未来に築かれていく。


目隠しせずに、歪めずに、何を伝えていけるか。
もうすぐ10歳の娘のまなざしの向こうを想像する。
親の私が見つめている方向を、どのように分かち合うか、
伝えていけるか。
娘の見つめる彼方を、ど近眼で老眼になってきた私は、
共に見つめる気力体力をまだまだ持ち続けていられるか。
親子として、同じ女性として、同じ人間として。

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