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ウルヴァリン X-MEN ZERO

X−MEN』シリーズの面白さに目覚めた娘のリクエスト。
無論映画大好きの私たちも観る予定だったので、
家人の通院が終わり次第、ランチの後に午後の映画会。
家と大学病院の間にシネコンがある便利さが嬉しい。
映画の封切りに合わせて、TVでも放映されている『X-MEN』、
映画の方は結構悲劇的な展開で、続編・続々編と続いて、
今回は、独立したお話。
主人公たちの中でも得に人気のあるウルヴァリンの過去について。


シリーズの中で特に誰かのエピソードに関して取り上げる。
漫画やTVによくある話。映画では余程でないとコケる。
主演のヒュー・ジャックマンはこの役で人気が出たから、
幸いそれなりにファンがついている。
というか、この役以外の彼が余り想像できない。
それくらいはまり役になってしまったので、
今後どうなるかがちょいと心配ではある。
まあ、それなりの年齢なので色んな役をこなしていくかもしれないけれど。


当たり役を持つ人というのは、そのイメージが染み付いてしまうので、
別の作品に出にくかったり、それ以後役が来なかったり、
来てもファンの方で敬遠してしまったり、まあ色々難しい。
それともその当たり役の収入で食べていけるから、
がつがつ出演しなくても大丈夫なんだろうか。
自分に関係なくてもちょっと考えてしまう。


ロード・オブ・ザ・リング指輪物語』のフロド役イライジャ・ウッド
アラゴルン役のヴィゴ・モーテンセン
もう亡くなってしまったけれど、スーパーマン役のクリストファー・リーブ
挙げたら沢山いる特別な役、はまり役当たり役を持つ人。
そんな人が「特化した作品」に主演するのは、結構難しい・・・。
これからどうなっていくのかな。
CGが発達したせいで、いくらでも修正画像が活躍できるものの、
みんな年を取っていくからね。
「いつまでも老けない不死身の役」は大変だ。


これが漫画なら実写じゃないから、余り気にせず済むけれど、
役者も俳優も、どんな名優もみんな生身の人間。
年齢を重ねた味が出せるのならば、それなりに美味しいけれど、
「かつてのような役が来ない」と悩む人もいるだろう。
若さと美貌が全てで勝負に出なければならないのなら。
超能力が無くても、特別な何かを持つ人はそれなりに哀しい存在。
失うものも、期待されることも、一般の人より振幅が激しい。
自分の都合でないものに振り回されたりする。


ネタばれは見る予定の人に悪い。
でも、まあ、少しぐらいなら。
別にアメリカンコミックの原作のファンでも何でもないし。
映画の方しか知らないから。
製作者側からすると美味しい映画、ウルヴァリン
続編が作れなくなると、何匹目かの柳の下の泥鰌的作品。
ある一定の興行収入が期待される映画。



見た結論から言うと、面白かった。
ストーリー展開そのものよりも、特撮とテンポとアクションに。
ジェットコースタームービーなので、次々と降りかかる火の粉の如き危機。
それがどのように次に繋がって行くか、ワクワク、ドキドキ、ハラハラ。
よそ疑わずあの手この手で悲劇の主人公に仕立て上げられていく。
超能力者に平凡な幸せってありえないのねというお約束の展開。


そう、人間はワイドショー的な番組が根本的に好きだ。
人の不幸は蜜の味的な嗜好を常に隠し持っている。
リアルな知り合いだと後味が悪かったり、火の粉が降り掛かったり、
安穏と構えて入られないが、ブラウン管の向こうだったり、
別の世界の話となると、打ち興じられるものになる。
人間って残酷にできている。


強い主人公、ヒーローほど難儀難渋、人生の重荷を背負わされて、
呻吟する日々を与えられるものはいない。
平凡な主人公ではなくて、特殊な能力・立場・才能を持つ者は。
それは、子どもの時に読んだ『サイボーグ009』でそうだった。
小学校当時でそういう認識は植えつけられて、再確認の日々。
映画など観ずとも、そのイメージは心に深く焼きついた。

サイボーグ009 SUPER BEST~サイボーグ009 生誕40周年記念盤~

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正義や夢、理想、誰かの代弁者となって悪の組織に立ち向かう。
人とは違う生き方を運命によって強いられた者は、
人並みの幸せからは縁遠く、そのために当たり前の生活の平凡さが、
ありふれた毎日のありがたさが身にしみるという刷り込み。
童話や冒険物語はワクワクする思いを与えてくれると共に、
長じるにつれ「二十歳過ぎればただの人」の人生を肯定させる。
特別であることがどれだけ大変か。
決して恵まれた人生など約束されていないということが。


人は現実と夢との境目に彷徨うことが好きだ。
読書も一つは理想の追求、現実からの逃避だったりする。
映画もアニメも描かれる世界の密度や構成、ストーリ展開は違えど、
感情移入できても「自分とは違う」「現実は平凡でよかった」
「たまにはこういう世界を知ることができてラッキー」という、
フラストレーション解消に過ぎない。


人はワイドショー的な傍観者でいられる幸せを、
今の自分に満足できないことを巧妙に忘れていられる時間を欲する。
人類が目を背けたい人間の歴史の暗黒面、例えば戦争。
ウルヴァリンたち兄弟は生きていくために傭兵として、
南北戦争・第一次、第二次世界大戦ベトナム戦争と、延々戦っている。
特殊な能力を持つがゆえに、死なずに、死ねずに存在している。


その力をまた兵器に使おうとする人間の側のあざとさ、醜さ。
特殊な能力を持たずとも、まがまがしいまでの欲望と負の信念、
それさえあれば突き進んでいけるのだと改めて再認識させられる。
超能力者をどうやって捕らえ、洗脳し、兵器に仕立てるのか。
それは、映画の中では無残な人体実験として現れる。
相手の生活を監視、コントロールし、操作し、志願させる。
その犠牲者になるウルヴァリン

狩をするエイラ―始原への旅だち 第3部 (上)

狩をするエイラ―始原への旅だち 第3部 (上)

当初、鋭い爪を持つイメージから「ウルヴァリン」は、
狼のウルフから来ているのかと勝手に想像していたら、
獰猛な小動物の「グズリ」由来のネーミングだとか。
この動物の名、『大地の子 エイラ』シリーズ以来、久しぶり。
そういう野生動物から身を守り狩をしていた、原始時代の話以来。
クズリの詳しいお話と写真はこちらに→http://www.nhk.or.jp/darwin/program/program026.html
いたちの仲間と聞いてもピンと来ないけれど、
全く恐れを知らずでかい相手でも平気で向かっていき、
「小さな悪魔」とも呼ばれている動物となると、
そのイメージが重なってくるか・・・。


いずれにせよ人間兵器、その人体改造のイメージが
幼少の頃の『サイボーグ009』と重なったのかも。
あれも有無を言わせず世界から誘拐、改造、気がつけばこんな体に・・・の世界。
今から思えば、X−MENと変わらない。
自分たちの特殊な力で悪の組織と戦うわけだから。
それぞれのメンバーの独立した話、過去の悲恋、悲劇。
004なんか、それこそウルヴァリン同様人間兵器。


今から思えばあの漫画の中の人々も、戦士の運命と同時に、
特殊な能力を持つがゆえに迫害、偏見の嵐に晒される、
望む望まないに係わらず絶えず冷たい目で観られる、
そういう問題を人生に抱え込んで生きていかざるを得なかった。
外見が人間と変わらないサイボーグとはいえ、
実際自分を曝け出して生きていくことなどできはしない。
結局は仲間同士が結束しなければ・・・。
そのイメージは昔から刷り込まれてしまった。

サイボーグ009 地下帝国“ヨミ”編 (講談社プラチナコミックス)

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サイボーグ009 既刊21巻セット  秋田文庫

サイボーグ009 既刊21巻セット 秋田文庫

カムイ伝』『仮面ライダー』『デビルマン』しかり。
ヒーローは戦う。ヒーローは自分のみを守らねばならぬ。
望まぬ戦いも降り掛かる火の粉を払うためには、やむを得ぬ。
自らを犠牲にして戦い続け、周囲をも巻き込み、
誤解され迫害され、平穏無事な人並みの生活など望むべくもない。
いつまでこの生活が続くのだろうか・・・。
この構造、パターンはヒーローが死なない限り終わらない。


利用される側になりたくない。幸せになりたい。
自分と同じような目に遭わせたくない。
守りたい誰かのために生きていたい。
そういう願いも、結局は戦いの中で潰されていく。
X−MEN』の主要メンバーが子どもの頃の姿で描かれていて、
ある意味、戦争だけではなくて児童虐待のイメージとも重なり、
それはそれで興味深く・・・。


強烈なアクション、人間と人間を結びつける愛情や善意をも引き裂く、
巨大な悪の存在のすさまじさは、映画館でどうぞ。
ある意味スカッとするものの、続編を案じさせる不気味な終わり方。
興行的に明日に繋ぐ演出もさることながら、
遺伝子操作で生み出されるキメラの超能力者、
遺伝子工学、生物学、医療への警鐘も込めているのか、
なかなか意味深ではあったかな。
娯楽作品としても楽しめますが、それなりに渋い、
示唆に富んだ内容ではある『ウルヴァリン』。
我が家の週末の映画でした。

愛蔵版 デビルマン (KCデラックス)

愛蔵版 デビルマン (KCデラックス)