Festina Lente2

Festina Lente(ゆっくりいそげ)から移行しました

家人の高野山行

高野山はまったく初めてという家人。
こちらは林間学校、個人旅行とお泊り経験もあり、
精進料理の経験もありで、何を今更の聖地。
家人はてっちゃんの目線で写真を撮りつつ、
半日一人旅行を楽しんできた様子。
再度、ゆっくり訪れたいとか。
私にとっては高野山は避暑地のイメージが強いが、
冬の雪景色も捨てがたい。
いつかは家族3人で出かけることにしよう。


ということで、家人の写真を拝借。
皆様も御照覧あれ。
まずはリニューアルオープン、南海電鉄難波駅
オストメイト専用のお手洗いまである。
この駅の新しい見所も、いずれじっくり楽しみたい。

  

普通は南海高野線特急で直行するけれど、途中停車駅から乗車、
もしくは乗り継ぎも可能。家人は橋本まで行って、
次に高野山まで乗り継いだ模様。しゃくなげ号、天空。
昔はこんな上等な列車、走っていなかったなあ。
世界遺産になってからは、リキが入っているね、電車も。


  


そう、高野山へは極楽橋からケーブルカーでえっさほいさ。
聖地へは登山という難行苦行が当たり前の昔に比べ、
今の巡礼・参拝は文明の利器のお陰でお手軽に。
それでも、このケーブルカーを降りると下界とは異なる空気。
特に夏は温度差が著しいのだが、この日は実に爽やかだったよう。
3連休の初日とあって、思いのほか結構な人出。

  


ランチを精進料理でと思っていた家人、その高さにめげ、
昼食抜きで歩き回ってきたらしい。やれやれ。
そんな本格的な精進料理でなくても、その辺の食堂があったろうに。
修行の場で宿泊もできるし、写経や座禅もOKだったはず。
昔、泊まったらお土産にしゃもじも貰ったっけ。
そんな四半世紀も前の思い出が蘇る。
大学卒業後、ゼミの友人たちと出かけた夏の高野山
若かりし頃、そんな休日もあったなあと。

  



高野山は多くの宿坊・寺院、そして奥の院までの墓地、
杉林の中を散策しながら歩いていけるので、ハイキング気分でお参り。
時間があればじっくり墓巡りも楽しいけれど、
戦国武将から財界人芸能人、著名人有名人の墓、一般人の墓、
墓? と思えるほど奇妙な形の墓と、墓ウォッチングも楽しい。


幽玄の侘びさびの境地も味わえる景色もあることはあるが、
昼間観光客が多い時は、墓地も怖くないから不思議だ。
夜、肝試しだけはここでしたくないが。それにしても・・・
弘法大師の健脚に支えられて、布教活動がなされたとしか思えない。
関西各地はもちろん四国も他の地域も、空海こと弘法大師が活躍。
どこにでも出没するのは役小角(えんのおづぬ)こと役行者と同じ。


信仰の影にいる人は個人ではなくて、
修験道を支えた複数人物ではないかと思うのだが、
そう言ってしまうと宗教的なカリスマ性は発揮されないから、
全てが弘法大師彼一人の功績の中に集約されるのだろう。
かつては漫画『孔雀王』で話題になった高野山密教
今時の若者は知らないだろうけれど、宗教も結構漫画ネタ。


それを不敬だ不道徳だと言わずに、SF、冒険活劇、漫画だからと
鷹揚に構えているあたり、日本の宗教なのかも知れない。
カソリックのお膝元であればできないことだろうから。
それにしても、俗世間を離れた静から聖地に眠りたいという
願望なのか、贅沢なのか、広大な霊園が広がる景色は、
今も昔も変わらない。昔、子供心にも高野山というと墓地、
巨大な黄泉空間のイメージが強くて、葬式仏教に直結してしまった。


少しでも神のいます天の高みにという感覚、山岳宗教は、
民俗学上当たり前の感覚とはわかっていても、
延々と続く墓石の山を見つめると、丁寧に葬られているありがたさは
確かなれど、諸行無常を体感せざるを得ない。
これが体験学習なのか、何なのか。当時の林間学校は、
何がメインだったのかなあ・・・。
家人の撮った写真を眺めながら、ふとそんなことを思う。

  


織田信長墓所、豊臣家の墓所明智光秀の墓、
薩摩島津家の墓所から阿波蜂須賀公の墓所
なぜか江崎グリコの会長の墓まで写している。
まあ、有名な墓は枚挙に暇がないのだけれど、家人の興味関心、
その方向性がわかって、同行せずとも写真を見るのは面白い。
天気は快晴、嬉々として電車を撮っている姿が目に浮かぶ。
寺院を移すよりも遥かに楽しそうな視線を感じる。
よき休日、家人も一人で遠出、リフレッシュしてきたかな。


二人で買い物し、夜景を見つめながら夕食をとり、
私はチェリーコーラ、彼はドクターペッパー
オリーブとチーズのおつまみで家で寛ぐ。
娘には桂新堂のハロウィンせんべいを買った。
離れていても思うのは娘のこと。
三人三様で過ごしても、再び寄り添える家族がいることに、
感謝して、連休初日は更け行く。