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私の中のあなた(My Sister's Keeper)

本日のグーグル。ぼ、ぼ、僕らは少年探偵団。


昨日やきもきして児童会の4年生の選挙の結果待ち。
されど、帰宅した娘に開票結果は明日だよと言われ、拍子抜け。
そうだよね、即日開票でも結果を知らされるのは翌日。
どきどきしているかーちゃんの方がどうかしている。
で、本日もどきどきしながら帰宅して訊いてみた。
どうだった?

「あのねー、一人はすぐに選ばれたけれど、
 もう一人は決選投票でもう一回今日選挙した。」
・・・当然決選投票には残れなかった様子。
まあ、予想されたことではあったけれど。
娘が自分の作った選挙ポスターを見せてくれた。
? えーと、これを娘が作ったとは思えないが。


「○○ちゃんが絵を描いてくれたんで、私が作ったのと交換したの。
 2枚作ったから記念に取っておこう」なるほどね。
それもまた、いい経験。文字は自分で、絵は友達に・・・か。
ちゃんと付き合ってくれる子もいるんじゃん。
まあ、その場でのノリだけかもしれないけれど、
お付き合いってそういうノリも必要だから・・・。
娘の学校での様子をあれこれ想像する私。


それでもやっぱり心なしか元気が無いなあ。
まあ、百人一首大会を開く夢が潰えたものね。
ちょっくら気分転換に夕方から映画でも見に行くか。
今から行けば、夕食を食べても21時までには戻って来られる。
それにレディスデーだしね。というわけで、急遽お出かけ。
私としてはぜひ娘と見たかった映画。『私の中のあなた』


絵本やお話で、きょうだいの片方が病気で、片方が構って貰えない。
そういう設定がよくある。娘は一人っ子だが、
不出来な親のせいで常々世話が行き届いていないせいか、
単身赴任の別居結婚という変則的な家族形態のせいか、
何かとよその家とは異なるという思い、寂しい思いが多いのだろう。
「構って貰えず寂しい子」にかなり感情移入している。


臓器移植に関しては、私はカードにサインしている。
無論、娘は嫌がっている。
かーちゃんは死んだ後、痛くも痒くもないと説明していても、
感情的には嫌だと感じるのは誰でも同じ。
まあ、それはこの先どんな風に話ができるかだが、
この映画ではどんな展開が待っているか。
何しろ、邦題がまずい。さすがに気が引けたのか、
パンフレット表紙に邦題なし。
オリジナルタイトル「My Sister's Keeper」のみ。

映画「私の中のあなた」オリジナル・サウンドトラック

映画「私の中のあなた」オリジナル・サウンドトラック

わたしのなかのあなた (Hayakawa Novels)

わたしのなかのあなた (Hayakawa Novels)



臓器移植の問題のみならず、臓器提供者確保のため遺伝子操作、
あらかじめ適合性のある受精卵をきょうだいとして産み落とす。
この親の気持ちを非難することはできない。
しかし、生まれる前から自分の命が自分だけのものではなく、
きょうだいのために用意された命だと知った子供の立場は?
「姉が病気にならなければ、私は生まれていただろうか」
この問いかけは鋭く、痛い。


映画はシリアスなオープニングから始まる。
危ういバランスの上で幸せがかろうじて保たれている家族。
長女の命を必死で守ろうとする余り、キャリアも、結婚生活も、
なりふり構わず投げ捨てて、周囲が見えなくなっている母親。
キャメロン・ディアスがいい味を出している。
イン・ハー・シューズ』の時も良かったが、初母親もなかなか。


家族それぞれの目を通して語られる、自分たちの立ち居地、ありよう。
両親にとって、それも母親にとっては最初の子供は特別だ。
子供の誕生は自分が母親として生まれ変わる瞬間と言ってもいい。
それが同性ならば、そのこと自体が「私の中のあなた」であり、
「あなたの中の私」であるとも言える。
下の子供が男の子であれば尚更、長女に自分を見出すだろう。


三人きょうだいの真ん中は良く忘れられた存在だと言われる。
上と下に挟まれ、置き去りにされると。
一人っ子として育つ上の子、最後の子供として愛される下の子。
中途半端な立ち位置に戸惑いながら成長する真ん中の子だと。
そのステレオタイプな設定なのか、白血病の姉ケイトの1歳下、
年子の弟ジェシー学習障害で字が上手に読めない。
精神的にも少し不安定で疎外感を抱いている様子が痛々しい。


予定されて創られた子供、物語の主人公となる末っ子の妹、アナ。
健康で美しく、聡明で心優しい。それゆえに、両親からすると、
突飛な理解不能の行動に出るということになるのだが、
世間的な物議をかもす形にまでして行動できる強さ、
その原動力となっていたものが、ラスト間近に明らかになるまで、
よくも持ちこたえたものだなあと(お話とわかっていても)驚かされる。
それほど彼女の立場は辛い。姉の死を望まない、
けれども自分の体を傷つけてまでドナーにはなりたくない。


その真相が明らかになる過程で、病に倒れて朽ち果てていくケイトの、
思春期の少女としての気持ち、娘として親を思いやる優しさ、
弟妹たちに対する信頼、同じ病の初恋の相手との悲し過ぎる別れ。
普通のドラマにある生き抜く強さではなく、
死にゆく者が運命を受け入れる強さを演じ切る難しさを、
若い役者は良くこなしていたと思う。


私が心惹かれたのは、その独白。
「私は病気に負けたけど、家族も病気に負けてる」
家族のバランスが自分を中心にねじれていることに心痛め、
いつまでも「戦う強い母親」が、娘の運命を受け入れられず、
自分を細胞になっても電気ショックを与えるつもり・・・と、
哀しい思いで見つめながら、コラージュ帖をめくっている。


ケイトのコラージュ。ケイトの全て、ケイトの生きた証、
ケイトの世界、愛、喜び、悲しみ、家族へのメッセージ。
ケイトのコラージュは映画の中でインパクトがあった。
子供の作ったものとしては完成され過ぎていて、
ある意味作り物の雰囲気は隠せなかったし、
全頁がどちらかというと60年代から70年代にかけての、
サイケデリックなヒッピーファッションを髣髴とさせる、
強烈なイメージで切り貼りされていたが、
それ故に生への強烈な思いが隠されていた。


束の間の恋、闘病で抜け落ちた髪に鬘を被り、ドレスアップ。
束の間の逢瀬、シンデレラタイムの幸せ、奪い去られる命。
不思議なほど悪人の出ない映画。
ケイトの父も母も、きょうだいも、母の妹も、弁護士も医師も、
みながケイトを大切にしている。みなが善人。
その中で誰よりも必死であればあるほど、周りが見えてない母親、
空回りする母親が浮き上がる。


それは、娘の死を受け入れられない母親の足掻きを、
親の立場としての辛さを見せ付ける。
「死に行く者の望みを叶える」ことさえも、
娘が「死を受け入れる」ことではなく、
自分が「娘の死を受け入れる」ことに直結するので、
拒否してしまう母親。
娘の本当の望みを受け入れることができない母親。


しかし、なりふり構わない母親こそが真の守り手になれる。
他の誰もができないことも、一手に引き受けて行動できる。
その愛情の深さが子供たちを駄目にするのではなく、
子供たちをそれぞれの立場で成長させたのだと信じたい。
母は繋ぐ者、父は断ち切る者だという。
「海へ行きたい」というケイトの最後の望みを叶える為、
医師の許可のもと、果敢に行動するのは父親だった。
そして、母親は娘と一緒に眠りその死を看取った。


きょうだいたちはどうか。弟妹は知っていた。
姉の本当の望みを。姉の体の苦しみ、心の苦しみを。
生きることが喜びであればともかく、
これ以上行き続けることが難しいならば、何ができるのか。
何を望んでいるのかということを。
医療ドラマではなく、家族のために何ができるのかに焦点。

『私の中のあなた』という邦題にした理由。
アナとケイト、ケイトと母親だけの関係だけでなく、
家族誰の心の中にも存在し続ける、ケイトのことだと拡大解釈するのは
センチメンタルな精神論かもしれない。
単に生命維持のための臓器移植問題「私の中のあなた」に帰すると、
苦しすぎるような気がする。Keeperという単語のイメージを、
どのように解釈するかによるのだろうけれど。


この映画の後日談はカットしても良かった。
ナレーションだけで、具体的な人物の映像はいらなかった。
モンタナの景色だけを映して、静かに終わればよかったのに、
テレビドラマのようなエンディングになったのが残念。
それでも、娘は大いに感動したよう。
当事者も、その周囲も辛いのだということ、
双方の立場の思い、すれ違いも感じ取ったよう。


そして、これはこれで、この映画鑑賞の時間が
私たちにとっては、母と娘の時間。
私とあなたの。

My Sister's Keeper (Wsp Readers Club)

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