Festina Lente2

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だまし絵展

明後日、文化の日までしかやっていない「だまし絵展」。
私は母やわんこ、家事で忙しいので家人と娘のみ出かけて貰った。
大概の作品は春のうちに目にしている。
兵庫県立美術館は家族のお気に入りの場所なので、
午後から荒れると聞いていた御天気の今日は、美術館で寛ぐといい。


HPはまだ削除されていないよう。http://www.artm.pref.hyogo.jp/damashie/index.html
何と言ってもキャッチフレーズは「わが目を疑え」ですからね。
「アンチボルトからマグリット、ダリ、エッシャーへ」だからね。
とってもとっても魅力的でしょ。
HPもカタログもセンスが良くてとても面白い。
東京でも大評判だったこの展覧会に加えて、この美術館は頑張っている。
とても展示に工夫をしている。
御役所仕事ではない頑張りがある。


つまり刺激を受ける美術館、躍動する美術館、人が集まる美術館なのだ。
展示内容然り、常設然り、ボランティアのガイドや音楽会・講演会、
子供用のプログラムなどなど。ちょっと地の利的には不便な場所ながら、
実に良く健闘していると思う。
おそらく大阪よりも兵庫県人は、地元の美術館を大事にしているのでは?
そんな僻みを感じるくらい、大阪は文化行政に冷たい。
札束で頬を叩くのが快感のような方が、
賭博で稼ぐのはOKでも、青少年文化施設を潰すのは何とも無いという人が、
行政のトップにいるようでは、国家百年の計どころか、情操教育は成り立つまい。


数々の優れた作品。しかし、その騙し絵がもてはやされた背景、時代社会、
騙し絵を描いた芸術家の胸のうち、そういうもの思いを馳せる時、
単純に遊び心だ絵心だ、驚異の作画技術、発想の転換、卓越したユーモアだと、
両手を広げて楽しめるものでは無いような気がする。
確かに鑑賞する分には面白くて楽しい、意表をつかれる別世界かも知れぬ。
しかし、手放しで楽しめないものを感じてしまうのは、自分の心のせい。
何かしら屈折して受け止めてしまうのは、何のせい?

図説 だまし絵―もうひとつの美術史 (ふくろうの本)

図説 だまし絵―もうひとつの美術史 (ふくろうの本)



騙し騙されることの楽しさ、別世界・異世界を見出すわくわく感。
騙す方も騙される方も共有する絵の中に、
何かしらの交流があるのならば、よし。
見る者を感服させひれ伏させたいような上から目線の慇懃無礼な作品、
突き放すように静まり返った悪趣味で複雑怪奇な世界、
おどろおどろしい技術の駆使の果てに辿り着いたようなイメージの世界。
倦み疲れる創造の狂気の蓄積、そういうものに圧倒されてしまう、
そんな作品が無いでもない。


作品の独自性は賑やかなな孤独、知的な武装、猥雑な高尚性という、
複雑な絡み合いを展開しながら目の前に現れる。
カタログより、その場にいるとその感覚は強く体感される。
作品世界に巻き込まれ、騙されたことに眩暈を覚えるほどだ。
トリックの世界に息を呑み、唖然とし、呆然となる。
そして今までいた世界が、本当はどんな世界なのか危ぶむようになる。
今まで目にしていた世界の本当の姿は、一体何だったのか。


「板子一枚下は地獄でさぁ」という船乗りの言葉を聞いたのは(読んだのは)
一体どこでだったのか? 心の底にいつも蘇る、この言葉。
安全と思っている船の上も、実は板一枚で海の上、あっという間に海の底。
目にしていないから何も感じないだけで、
安心安全はそういう騙された感覚に近いもの、
見えないから知らない、分からないから感じなくて済む、
そういうものの上に成り立っている。


ある意味、意識は騙される事を望んでいる。真実、本当の状態など、
知ったが最後、心の憂い、神経を騒がすストレス、不安を煽る何ものでもなく、
人の顔も植物や動物で描けるように、人の心も何を考えているのか計り知れず、
そこにあったと感じていたものも、手に取れず見えない、
錯覚錯視から、失念、失見当識、無意識に封じ込めるもの多々。
知らぬが仏の毎日。「杞憂」にならぬようある程度錯覚しながら生きる。
それが生活の智慧なのかもしれない。


騙し絵展のカタログを広げながら、そんな事を考える。
移転はしないといいながら、府民の税金で賄われるビル。
地震対策不十分といわれる空きビルを買って、何が先行投資になるのか?
各部署を部分的に移動させ、先行既成事実で、ごね得狙い?
議会で決められるお金の使い方も?ならば税金の使い道も?
騙されたような会議の結果に、府民はどう思っているのか。


大阪は猥雑な街だから、カジノで荒稼ぎ、風俗OK.
お上がそんな発言をしながら、福利厚生を剥ぎ取っていく。
高校を無償化するよりも、もっと切実なことがあるはずなのに。
割り切れない思いで過ごすうち、自分で自分をだまして、
あらゆることに鈍感になり、痛みを感じないように誤魔化すことに
慣れてきてしまっているのではないか、
見えない目聞こえない耳で作られた情報、
巧妙な騙し絵の中に塗りこめられているのは、私たち。
・・・のはずなのに、当たり前に生活しているように
錯覚させられている、そんな霜月の始まりの今日。
父の入院11日目。

錯視芸術の巨匠たち:世界のだまし絵作家20人の傑作集

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騙し絵日本国憲法

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