Festina Lente2

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『ローマの休日』と日頃の不満

もう10年以上も海外旅行をしていない。
子供が大きくなればと思っていた矢先、家人の病でそれも叶わぬ。
医療の発達したお陰で冒険してもいいかとも思うが、
親も高齢になり、自分の仕事も忙しく思い切って出ようか出まいか、
そんなことを思っているうちに、時間はどんどん過ぎてしまった。
10年パスポートの期限が切れ、また取り直さなければならない。
すると、結婚した戸籍上の姓になるのが嫌で、そのままだ。
私は別姓結婚を望んでいたが、それでは法律上守ってもらえないことが多く、
職場関係でのみ別姓を貫いている。というか、
自分のアイデンティティを相手の姓に変えなければならない理由、
それに納得できないので、できない。


私にとって、新しい姓は何のメリットも無い。
結婚したから夫の姓に変えなければならないのは、
古い民法の時代の話。今はどちらでも構わないはず。
なのに、半世紀以上も前に廃止された法律に縛られ、
戸籍とて相手の籍に入るのではなく、夫婦は新しい籍を立てる、
立籍と言ってもいいくらいなのに、入籍なんて言い方をする。
何処に何を入れるというのだ。
結婚して新しい物を創り上げていくのではないのか。


どうしてこんな苛立ちを覚えるかというと、この時期税金上の書類を書くから。
生命保険だの社会保険だのの控除についての書類を書くから。
職場で自分の戸籍上の姓を記入しなければならない時、とてもうんざりする。
だから、併記する。カッコの中に戸籍上の名前を入れる。
何故「氏名」なのか、苛立ちながら。
相手の「氏」をけなすつもりも無いが、
一方的に巻き込まれるのはごめんだ。
自分のルーツをないがしろにされるような、
変えて当然扱いはごめん。


私には私の仕事があり、仕事上の付き合いがあり、
それは、結婚したことで時間的な制約を受けても、
名前まで一方的な支配を受ける事は無いはず。
自民から民主に変わったとて、体質が変わったわけではない。
権力を財政面で振るうのが嬉しくてたまらない、
「仕分け」と称して「切捨て」が行われている。
老父に言わせれば、あの仕分けに関わっている議員が何名いる?
何もしていない議員も多いのだから、
国会議員の数から減らした方が、経費が浮くはずだという。
さもありなん。


皇太子妃は結婚時に戸籍を抜かれ、皇統譜に入れられるため姓はない。
パスポート表示はどうなるのかな。
そもそも、皇室にパスポートがあるのかどうか知らないけれど。
自分の姓を持っていた時は外交官だった雅子様
今は竹のカーテンの中、心を病んでバッシングを受け、
海外への親善旅行も叶わず、何かと批判の渦の中。


キャリアを持ち、自分の名前を持って活動すればするほど、
「まっしろに」生まれ変わること強制される結婚は難しい。
全てを相手の色に染め直して、相手を受け入れる生き方。
それは、そうしたい人が選べばいい。
いまだに相合傘の中に、自分の名前と相手の名前を書く落書きは健在。
しかし、相思相愛は同じ姓になることでもないし、
一方的に相手に合わせることでもない。
それは双方が話し合って決めるべきはずのものなのに。

私が夫婦別姓にこだわる理由

私が夫婦別姓にこだわる理由

日本古代の氏姓制

日本古代の氏姓制



本日のBS映画。『ローマの休日』。いわずと知れた永遠の名作。
オードリー・ヘップバーングレゴリー・ペック
故人となった名優は、今も若き日の姿のままで活躍し続ける。
ファンを魅了し続け、新たなファンを獲得し続ける存在。
母に教えられ、映画館で見る事はなかった私もTVやビデオで見、
もはや何回観たかわからないこの作品を、今夜娘と見る。
(夜更かしな娘を育てているのは、かーちゃんの躾の甘さ)


うら若きお姫様が自分の生活に不自由を感じ、アバンチュールを求める、
そして1日限りの恋。こんなふうに言ってしまえば、身も蓋も無いかもしれない。
昔は何が面白くて観ていたのだろう。どの部分に惹かれて?
冒険、髪を切って変身、買い物、ローマ観光、真実の口、ダンスパーティでの大騒ぎ?
仕掛けカメラで盗撮されるお姫様の写真? 
それとも二人の気持ちがどんどん盛り上がっていく様子?
切ない別れ? 劇的な再会? 永遠の別れ。
一体何が?


娘は何処に関心を持ってみているのだろうと、気になる。
そう、初めて観る映画の何処に。
白黒映画にさほど抵抗を抱いてはいないようだ。
「おかあさん、オードリー・ヘップバーンってまだ生きているの?」
こんなことを訊いてくるくらいだからね。
私が生まれる前、おばあちゃん達が熱中した映画だよ。
若かりし頃の母はこの映画に何を見出していたのだろう。

大人のための「ローマの休日」講義―オードリーはなぜベスパに乗るのか (平凡社新書)

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ぶらりローマの休日 街歩き

ぶらりローマの休日 街歩き

そう、大学生の頃、生まれて初めて海外旅行を経験してその後、
4度訪れたローマ、映画で見たように真実の口に手を入れて写真を撮り、
トレビの泉にコインを投げ、スペイン広場でアイスクリームを食べたいと、
単なるミーハー(もはや死語)で浮かれていたローマ観光。
ブランド物を買うお金なんぞ無くても、店を眺めるだけでビックリしていた頃。
ローマの休日』は、いまだ見ぬ外国への憧れを掻き立てるロマンスだった。
それなのに・・・。


今日の私は、不自由な生活、現状に飽き飽きしている主人公。
でも、恐らく一生涯、定められたその枠からは出られずに、
国家のコマとして生きることを余儀なくされる、
そんな主人公が「庶民」と交わることによって、
友情・愛情は、年齢・性別・身分・国境を問わず持つことができると知る、
その儚いまでのヒューマニズムに心打たれた。
限りある経験の中で、人としての当たり前の経験や感情を紡がねばならない、
そのせわしさ、つたなさ、切なさ、華やかに見えて虚しく寂しい生活。


会見の間で公人として決められた言動ではなく、私人としての言動に、
御付きの者を初め、周囲は戸惑い慌てふためく。
恐らく「前例に無いこと」に振り回され掻き乱されることを好まない、
決められたスケジュール・段取り、慣例、取り決めによって、
事なきを得るのが最上と思って生活している人間にとっては、
疑問や反論、想定外、試行錯誤は排すべきもの。
しかし、その流れに染まっているだけでは何も生まれない。
国家と国家、個人と個人の間にも、そして家と家の間にも。


妻にはなっても、嫁になる気持ちは無い。
一方的に自分の姓を失うことになり、海外の姓名のように、
ミドルネームに旧姓を入れる事も許されない日本のパスポート、
それを嫌悪し続けている自分をふと意識させられた、
今日の控除手続きと『ローマの休日
映画を観ても単純にロマンチックな気分に浸れない年になった、
かーちゃんの日常の現実。

名作映画を英語で読む ローマの休日 字幕対訳付 (宝島SUGOI文庫 D ふ 2-1)

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