Festina Lente2

Festina Lente(ゆっくりいそげ)から移行しました

画面と電話と

仕事は終盤、締めに向かって、ひたすらパソコン画面を覗く。
どう微調整しようと、駄目なものは駄目、出来不出来の差が歴然。
どうすればいいのか、繰り返し繰り返し画面を見て、
それでもどこまで自分の勘を信じていいのか、
この判断でいいのか、迷う。
迷いながらも割り切らないといけないことがわかっている。
画面に出ているのはデータに過ぎないけれど、
その先に人間一人一人が繋がってくるかと思うと、
あだやおろそかには出来ぬ。
が、しかし・・・。


心がぱさぱさに乾いて、ここで調整しようと何をしようと、
結果が変わるとは思えない。
その先に待っている結果は、私一人ではどうにもならぬ。
時間が経てば重みが増す、その書類に「諦め」にも似た思い、
麻痺するような疲れが目から首、肩、背中へ広がる。
キーボードを打っている間は指の痛みは忘れているが、
(幸い数字は殆どテンキー、右手で打っている)
どんよりとした思いは画面一杯に広がっていく。


年末、年度末に向けて書類を整備していく時、心は重い。
これが半年、1年の結果だったのかと思うと、更に辛い。
浜の真砂は尽きるとも、徒労の思い、いや増さる。
それでも、これが現実。冷淡? 惰性? 傲慢? 小心?
世界の動きか見ればささやかな画面の中で、
足したり引いたり掛けたり割ったり、その中で、
全く割り切れない思いの私。

Excel スキルアップコレクション

Excel スキルアップコレクション



夜、受話器を取る時間。
どうしてそんな事を言うのか、わからないけれど、
人には色んな事情があるから、一概には言えないけれど、
自分の体の不調があっても、決して医師には診て貰おうとしない人々。
どうしても、自分の体の事を受け入れられない人が沢山いる。
もしも、自分の体が本当に大切ならば、
もしも、不安を少しでも解消したいのならば、
もしも、痛みから逃れたいのであれば、
次の段階に進まなければならないのに、我慢し続けるだけで、
その場に佇んでいる。


体のことに限らず、どんなことでも、本当の事を知るのは怖い。
何が起こっているのか探るのは怖い。
心の中は更にわからない。顔で笑って心で泣いて、だもの。
電話の声の向こうにどんな顔があるのか、わからないけれど、
わかっているのは相手が困っているということだけだけ。


肝心の相手は、自分を変えるためではなく、
相手を変えるためでもなく、今の状態を先延ばししたいが為に、
「どうしていいかわからない」と言いながらも、
このままではいけないかもしれないと思いながらも、
「わからないからできない」「恥ずかしいから訊けない」
「怖いから行けない」を繰り返す。


自分に何かが起こっている。心当たりがあるのにどうしていいかわからない。
自分の変化を認めたいのか、認めたくないのか。
不安に思うこと、どうしても気になること、相談したいこと、
病院に行ったほうがいいこと、或いは警察に、或いは別のことでも何でも、
人はこのままではいけない、何とかしなくてはと思いながらも一方では
変わりたくない、このままでいたいという現状維持を望んで、
実は何も起こっていないのだと誰かに言って欲しいのか。


受話器を耳に当てながら、解決の糸口が欲しいのか、
欲しくないのか、どうしたいのか、本人が一番わかっていながら、
決して口にしないこと、決めようをしない事を聞く。
そうやって夜が過ぎていく。
そんなことしか出来ない私。
耳から疲れて行く私。
ふぅ。

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