Festina Lente2

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毎日が日曜日への憧れ?

年賀状に「マイブームは仕事?」と書いてしまうくらいなのに、
新年仕事始め早々、「毎日が日曜日」と言われる日々に憧れている。
年を取ってきたということだろうか、
定年まで10年を切ったぞと意識するからか。
もしかすると定年延長? が、囁かれていたのは以前の話。
こんな不況では高齢者の月給泥棒を雇うより、
安価に若い者を採用というのが世間の流れ。
早期退職者を募るお知らせが年末から入る、今となっては。
だから、尚更「働く」ことにプレッシャー。


年末、戦力外通知が来たらどうしよう・・・なんて、ね。
スポーツ選手でもなし、原則肩叩きは来ないはずだけれど、
今まで軽々と出来る(気になっていただけ?)と思っていたことが、
すんなり出来ない、こなしていても自分の思うように出来ない、
イメージトレーニングでも現実でも予想以上に上手く出来ることと、
想定外で立ちすくむような時と、差が出てきたような気がする。


経験を積んで出来ることや知っていること、わかっていることが
増えてきているはずなのに、思うように仕事がはかどらない苛立ち。
そこから逃れることが出来る休日を待ち望むようになってきている自分。
若い頃は時間の使い方が下手、せっかくの休みをどう過ごせばいいのか、
無駄に浪費していた。どこにも出かけず、何もせず、学ばず。
せいぜいテニスのラケットを振り回すのが、ストレス解消。


そして去年今年の年賀状。
いつの間にかリタイアした先輩からの賀状が増え、
その多種多様な引退後の生活の幅の広さ豊かさにに、ため息。
普段あちこちお邪魔するブログの世界でも、興味惹かれるのは、
引退後の生活の心身の充実、お付き合いの幅広さ、趣味の豊かさ、
薀蓄の深さ、そういうものに改めて目を開かれ、
新たな学びを、感動を知り、心揺さぶられることが多い。
年賀状で知る知人先輩友人の近況に、仕事以外の顔を垣間見るたび、
勢い、自分を振り返らざるを得ない。


その気持ちに呼応するかのように、今日の夕刊、「本、よみうり堂」トレンド館。
浅田次郎の『ハッピー・リタイアメント』が紹介されていた。
7年ぶりの新刊となる本、題名からして興味をそそられる本。
毎日が主婦だと思うと考えてしまうが、毎日が日曜日、
そこで自分がどのような顔を持ち、どのような付き合いをするのか、
ちらちら考えるようになったということが、不惑知命の年の差か。

ハッピー・リタイアメント

ハッピー・リタイアメント

四千万歩の男(一) (講談社文庫)

四千万歩の男(一) (講談社文庫)


「年を取ったらさっさと仕事を辞め、遊ぶこと。
 遊びが文化を生む。」うん、お金がいるけれどね。
ある程度の軍資金がないと、それはそれでやっぱり心もとない。
デビューが40歳と遅かった浅田次郎
50代半ばで地図を作り出した男、伊能忠敬
そういえば、実業家として成功したあと、幼年期からの憧れ、
考古学に没頭したのは夢を掘り当てた人、シュリーマンだった。
神話伝承の世界が、「トロイの都」へと繋がった。
諦めることなく持ち続けた情熱は、早期リタイア後の半生を支えた。


果たして自分には辞めてやりたいことが、あるのか。
昔は、人生50年と言われ、55歳定年、そこで給料は頭打ち、
60歳までは子会社に出向で、移籍。何とか食いつなぐも、後は、
つてで再就職するか、悠々自適で過ごすか。
そもそも「悠々自適」って何をするのだろうか。
そんな風に考えてしまう。


財産として残すものもさしてなく、子育ても何とか山は越えているだろう、
その10年後、私は何をしているのだろう。何をしたいのだろう。
手に取る年賀状に、何も書かれていない書面に、短く添えられた文面に、
色々思いを馳せて、考え込んでしまう三が日、そして今日も。
自分がしたい事を見つけることが出来るのか、
本当にしたいことは何なのか、まだわかっていない。


お金も時間もある頃には体が動かなくなっているのよ、
その言葉も良く聞く。現に、同い年の友人の賀状の家族写真を見て、
愕然とするばかり。子供として写ってている顔は、
かつての友人の顔であり、そこに並んでいる見慣れぬ老けたおっさん、
おばはん顔が自分の友人たちの顔であると認識するのに、
・・・心理的抵抗が働く。


現に大学時代の友人の一人からは、「娘さんの写真を見ていると、
neimuさんも昔ははこんな風にかわいかったのね。
子供さんとの時間を大切に過ごしてね」との賀状の返事。
お互い20代、30代前半までの顔しか知らずに過ごしている。
彼女は夫君の転勤に伴いイタリアで過ごし、既に子供たちは成人、
友人たちの多くは子育てを終えつつある。


老老介護、その未来を思い描くことは出来ても、
自分が何かしたい事をする時間や余裕が残されているかどうか、
ちっとも想像が出来ない。年の初めに交わされる年賀状の写真に、
人の子供の成長を見ると同時に、知人友人の老いを、
ひいては自分の老いを実感するばかりになってきた。
何ということだろう。


浅田次郎は「人生とはヒューマンアビリティの発見の旅」と語る。
自分の可能性。自分が何をしたいかではなく、
何をしなければならないかで培われてきた部分の方が多く、
仕事とはそういう形で自分を鍛え伸ばしてきてくれたのではあるが、
本当は自分は何をしたかったのだろうと思うと、今更ながら悩ましい。
したいことだけをするのはアマチュア、しなければならない事をするのがプロ。
そう言われ続けてきたけれど、本当にそうだろうか。


何かを始めるのは若いからいいものではないと言うけれど、
本当にそうだろうか。確かに昔見えなかったものが、
今では見えてきたり、わかってきたり、多様な重なり具合を楽しむ、
そういう余裕が出てきた部分もあるが、全てではない。
仕事の全てをカバーしているわけでもなければ、
私生活の全てを補って余りあるものでもない。


毎日が日曜日。今年のように、クリスマス休暇が新年になだれ込むような、
家人の休暇も年末余裕があった年は、滅多にないだけに、毎日が日曜日。
10年前は新婚だったのに、2000年問題で家人は会社に連日泊まりこみ、
落ち着いた年末年始を過ごすことは出来なかった。
一人寂しくぽつんと見知らぬ土地にいるといった感じだった。
あれから10年。随分遠くまで来てしまったなあと思う。


人生の先輩たちは、もっともっと先を歩いて、リタイア、
引退後の第2、第3の人生を謳歌している・・・?
人の生活はそれぞれだけれど、老いて弱っていくのではなく、
老いてなお豊かな日々が広がり、静かに朽ちていけるのならば、
・・・今から憧れてしまう。
新年、居もしない人の名前を呼ぶ老母を前に、
今年もまた、毎日毎日を大切にして生活しなければ、
そう思いながら、今日は寅年の仕事始め。

引退しない人生

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古代への情熱―シュリーマン自伝 (岩波文庫)

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ルオー礼讚

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