Festina Lente2

Festina Lente(ゆっくりいそげ)から移行しました

ジブリの絵職人 男鹿和雄展

阪神大震災の記念日に男鹿和雄展を観に兵庫県立美術館へ。
少々この日に出かけるのは無謀だったかもしれないが、
ジブリ関連の音楽会も娘に聞かせたくて・・・。
ミニ音楽会は葦笛とギター、パーカッションの上品で美しいアンサンブル、
心が癒される世界、トークも言葉少なめだが巧みで、
ある意味、震災の事を色んな形で知らせることが出来た。

  
  

しかし、この展覧会自体が、阪神・淡路大震15周年記念事業。
災美術館のすぐ横の浜辺のスペースが記念式典会場だったので、
車を止める場所を探すのに難渋、予想を上回る人出に翻弄された。
何しろ2月7日までの展示とあって、老若男女入り乱れての大行列。
男鹿和雄個人の魅力・力量もさることながら、
改めてジブリアニメの影響力の大きさを思い知らされる。

  


午前中の音楽会を聞いてから、美術展へ行こうと思ったのが10時半、
入場は10分待ちだった。それが音楽会終了後11時過ぎは40分待ちとなり、
実際に入場できたのは12時過ぎ。結構待たされた。そしてまた、
懇切丁寧な展示と様々な企画が一緒になっており、見所満載、
(彼が参加した作品の解説、様々な背景画、アニメの作り方、トトロの洞窟、
折り紙コーナー、おまけにジブリの森限定の御土産コーナー、
そして、「さんびきのくま」展示特設コーナーと、盛り沢山過ぎて疲れた)


大急ぎで見て回ったものの、見終わると4時過ぎ。なのに、まだまだ行列が。
何と120分待ちになっていて、一体今日中に観て帰れるのかどうかという有様。
本当に凄い人気で、サラにそのジブリの作品の背景に徹して書き込んだ数々の、
1枚1枚、間取りや設計図、素案、色付けされたもの、書き込まれたもの、
その創作過程までもが展示、動画で紹介され、ひたすら感心させられた。
職人技という事場があるが、アニメの世界にもその緻密な世界を背景で支える、
その気合の入った仕事ぶりにただただ感嘆。

  


私は手塚アニメの恩恵を受けて育ち、漫画・アニメが日本を足がかりに
世界に雄飛する過程をつぶさに見ながら成長してきた世代だ。
さすがに貸本の世代ではないが、少年誌少女誌、学習雑誌、単行本コミックス、
何でも読み漁ってきた世代なのだが・・・、アニメの背景となると話は別。
それゆえ、男鹿和雄の異様なまでにリアルに書き込まれた作品の中に、
幻魔大戦』のニューヨークの町があると知って、驚愕。


石の森章太郎が描いたこの作品は、私の小学校時代からの愛読書あり、
漫画の中に挿入された詩、「誰がために鐘は鳴る」からの詩のお陰で、
マニエリスム期の英国の詩人、ジョン・ダンに大学時代傾倒し、
中学から古典に興味を持ち、『サイボーグ009』同様、
SF作品から様々な分野への興味関心、多大な影響を受けた『幻魔大戦
幼少期・思春期の思い出を掻き立てる、その記念すべきアニメの背景を
男鹿和雄が担当していたと、今日初めて知ったのだった。

幻魔大戦 [DVD]

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さらにアニメ映画化された『幻魔大戦』の音楽担当は、プログレのELP、
エマーソン・レイク&パーマー)のリーダー格であるキーボード、
キース・エマーソンが担当したので、プログレ世代の人間としては、
尚更思い入れのあるアニメ作品だったので、展示会場ののっけから、
その迫力ある背景画が展示されていて、心臓を鷲摑みにされた。

幻魔大戦 (秋田文庫 5-39)

幻魔大戦 (秋田文庫 5-39)

幻魔大戦 オリジナル・サウンドトラック

幻魔大戦 オリジナル・サウンドトラック

むろん他のジブリ作品は言うまでも無く、隣のトトロも、魔女の宅急便も、
紅の豚も、平成狸合戦、おもいでぽろぽろ、耳をすませば
千と千尋もののけ姫、どの作品の背景も忘れられない。
アニメ作品にはキャラクターを支える背景、世界観が不可欠であって、
それがどのように描きこまれるかで印象はがらりと変わる。
いわば、外せない土台であり、基礎であり、登場人物達が自由闊達に動き回り、
ストーリーを展開していく為にはなくてはならないものが、作品の背景だ。

秋田、遊びの風景

秋田、遊びの風景



作品の背景を描く、それはある意味目立たない仕事だ。
非常に重要であるにもかかわらず、余り意識されない。
話の流れを追う子どもの目は主人公、キャラクターのみに目を奪われやすい。
しかし、小学校時代『太陽の王子ホルスの大冒険』上映前に、
4年かけたアニメ映画のため、絵の具から開発したという記事を読んでいた。
従って、作品を作る為にはどこから始めなければならないか、
何が重要なのか、お話の筋だけでは「アニメ作品」は創れないということを、
意識して作品を見るようになっていたため、(随分ませた小学生だが)
美術館で絵を鑑賞する際も、人物画よりも風景画の方が好きだったくらいだ。


実際のアニメの4秒、5秒という短いシーンのために、どれほどの絵が描かれるか、
奥行きを出す為の工夫、ディティールまで詳しく草花を描き込み、
季節感と情緒を盛り込んだ背景、今は失われた風景、過去を蘇らせた世界、
見るものを作品世界に誘い、引きずり込み、溶け込ませる、
その世界を演出する職人、男鹿和雄の魅力を堪能した。


今の世界、デジタル化が進み、パソコン上での画面取り込み、編集、
一瞬にして色も形も変化させる加工技術、その恩恵を受ける以前から、
地道に一人の人間の手、想像力によって創り上げられ展開される世界。
そういう世界への敬意が失われつつある現在、背景画ではなく、
絵を自分の手で描くこと、そのものが敬われるべき世界である。
単なる線画、デッサン、デジカメ画像、ではなくて、
作品世界の根底を決するイマジネーション、絶え間ない連続、
身近な日常の小物から遠大な景色までを把握する、観察力、表現力。


心を持った人の目が良く見て、徹底した観察、分析、試行錯誤の末、
表現の段階に至るまでの、その過程を二十一世紀に生きる私たちは軽視しし過ぎる。
もしくは、意識に上らせようとはしない。
当たり前のように享受し、その贅沢さに思い至ることがない。
男鹿和雄をの手仕事である作品一枚一枚を見ていると、
絵本の原稿にしろ、スケッチ集にしろ、下絵から完成原稿に至るまで、
「仕事」として存在する表現の密度の高さに、感動する。


「建築は凍れる音楽」だと言われるが、立体感を感じさせる背景画の向こうに、
人はそれぞれ心の中に流れる音楽を感じ取ることができる。
残念ながら、アニメには音楽が付けられているので、まずはそれを連想するように、
インプットされているのが残念だが、絵の中には、作品の中には、
語りかけてくる言葉、思い、メロディとなって流れ出してくる感情が、
柔らかく息づいている。又は荒々しく迫ってくる。
その迫力、その存在感の確かさの上に重ねられたキャラクター達の動きが、
アニメーションに「息を吹き込む」と言うわけだが、
息は既に背景の中に存在する。


背景画の中には空気が、時間の流れが、人の思いが込められて、
静かに、燃え立つように、匂いやかに、色鮮やかに切り取られて
作品世界を根本から支えているからだ。
キャラクターはその空気を吸い、時の流れを感じ、その思いに突き動かされ、
ストーリーを紡いでいけばいいのだから。
双方の妙なる重なりが、アニメ作品を真のアニメ足らしめる。

男鹿和雄画集 (ジブリTHE ARTシリーズ)

男鹿和雄画集 (ジブリTHE ARTシリーズ)

男鹿和雄画集II (ジブリTHE ARTシリーズ)

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600点余りの作品を観て回るのは、精神的にも体力的にもハードだった。
娘も帰宅してから、今日は強烈な一日だったなあと呟いていたし、
私は痛めている左足を引き摺るほど疲れ切ってしまった。
混んでいなければそれほどでもなかったのかもしれないが、
私が若くて元気だったら、丸一日その場に居ただろう。
男鹿和雄展、堪能しました。山登りに等しい充実感と消耗感。
ハードな展覧会でしたが、やっぱり観て良かった・・・。

種山ヶ原の夜

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ウミガメと少年 野坂昭如 戦争童話集 沖縄篇

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