Festina Lente2

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モッズコートの話題から

Y新聞夕刊に当節の若者に流行のモッズコートが紹介されていた。
モッズとはまた昔懐かしい言葉だ。モッズ族、そういうものがいた。
私は直接知っているわけではない。高校から大学時代に知った。
ロックグループ『ザ・フー』の代表作『4重人格』が映画化された、
さらば青春の光(4重人格)』の中で若者たちが着ていた服がモッズコート。
ミリタリー色を感じさせる、モスグリーンのコートだ。


ロックミュージカル『TOMMY』が映画化された時、
THE WHOの魅力に取り付かれ、『4重人格』の虜になった。
高校の頃『シヴィル―私の中の16人』という多重人格の話を読み、
その後、心理学の世界でも多重人格の話題が華やかになっていく。
まだその頃にロックの世界での多重人格、たかだか4人なので
『4重人格(さらば青春の光)』なのだが、その当時の私には十分衝撃的。


若い頃、どれが本当の自分かわからない、
何が自分にとって大切なのかわからない、
その混乱、自分というものをはっきり掴めない苛立ち、
海のものとも山のものとも付かない自分。
当時、服装で羽目を外すことなく過ぎていく時間の中で、
音楽と文学だけが別世界への入り口だった頃。


しかし、モッズ族のファッションが印象に残っているかというと、
別に特に衝撃的でも何でもなく、対立する二つのグループが、
それぞれのアイデンティティを主張すべくグループカラーを服装に頼る、
いつの世にもある仲間意識、ありきたりの方法、
視覚的な連帯感を強調するファッションとしか思えなかった。
当時ファッションにほとんど興味を持たない人間は、
モッズ族という名称の元に行動する、
不良がかったイメージのファッション? 程度の認識。
(「不良」などという言葉自体、最近では死語のようだが。)


とにかく、その当時のファッションで愛用されたコートが、
今現在もてはやされているのだという。
へぇ、「モッズコート」がねえ。・・・。
単なるファッション回帰と捉えればいいのか、
見通しの立たない世界的な不況を反映という、
「解釈」を加えればいいのか、どうしたものか。
今の年齢の私にとっては、若い人はどんな色でも形でも、
適当に着こなしたとしても、それなりにサマになるからいいよね。
そんな程度のことなのだが・・・。

「さらば青春の光」オリジナル サウンドトラック

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まるごとモッズがわかる本―Music & culture style magazine (エイムック (968))

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コートなど要らないほどの、3月末の気温になった大寒の日。
コートの話題を用意した新聞社が、肩透かしを食らったような陽気の日。
殆どコートを着ることも無い大阪での生活、寒くもないのに着る必要も無く、
かさばるコートを仕舞うスペースも無く、毎年毎年流行の服を買わなくなると、
情けないことに「気を使わない」こと甚だしいファッション音痴の生活。
雑誌を買って色々研究してみた時代はとうに過ぎ去った。
教育TVで海外版衣食住指南番組が、年齢や分相応のファッションを提言、
なるほどと思わされる内容であるとは思うものの、先立つものはお金。
欲しいものを買い揃えるよりも、あるものを着潰す生活が続いている。
(とても「着こなしている」とはいえない)


人前に出ることも多いが、ぼろ隠しの白衣で誤魔化し、
たまにしか着ない礼服やスーツはどんどん流行遅れになるものの、
防虫剤の臭いが染み付かない程度の使用頻度、
それはそれで生活には間に合うので見栄を張る必要も無い。
娘の小学校入学の時には気合を入れて服を買ったが、
今から思えば随分な投資だったと悔やむばかり。
着ていく場所が無いし、仕事には必要ない。
通勤着とて欲を出せばきりが無いのだ。
見苦しくない程度となると、普段着とさほど変わらぬ。


モッズ族の服装は、当時のイギリス社会ではどのように受け止められていたのか。
主義主張に基づいていたのか、何がしかのアピールだったのか、
新しい発想・デザイン・色彩・イメージを伴い、喚起するものだったのか。
私の心に思い浮かぶのは、心に描いた憧れの偶像が
現実の中でガラガラと音を立てて崩れ、割れた鏡のように粉々になり、
同時に自分の心の拠り所も砕け散る、青春の痛ましさだ。
何かを得たと思ってもそれは一瞬で、あっという間に手をすり抜けていく、
その儚く脆い感覚の上に研ぎ澄まされた、感性。
その心象風景を紡ぐ言葉とメロディが思い出されるばかり。


今、モッズコートを着ている若者にも、そういうことがあるのだろうか。
・・・あるだろう、とは思う。自分たちの時代、モッズ族との時代とも異なり、
生きる時代に差はあれど、求めても得られぬものに苛立ちながら疾走する、
そういう青春の形は陽炎のように今の時代も揺らいでいるのだろうとは思う。
しかし、私はそれを感じ取ることはできないし、知ろうとも思わない。
何かのきっかけがあれば分かり合えるのかもしれないが、
あえてその感覚を共有しようとも思わない。


私は歳を取ったのだ、と改めて思う。
何かを理解するよりも、別のもの、関係ないもの、異質のもの、
かつて通り過ぎて来たものとして距離を置き、そういう世界、価値観、
今の自分とはかけ離れているものがごまんとあるのが世の中だと、
割り切れるようになってしまった。
良くも悪くも、私は歳を取ったのだと思う。


ただ、自分にも若い頃があったよすがに、当時の音楽を、
ロックを、メロディを、歌詞を心の中に呼び覚ますことができる。
呼び起こすことができる。そう、そういう時代、そういう頃、
そんな自分がいたことを改めて意識する時に、限りなくさびしい。
時が流れ去った寂寥の中に佇んでいる自分を、
少しばかりの憐憫とナルシズムをもって眺めるばかりだ。


そして、その時その時の気分で、
別人のように入れ替わる自分を眺めながら(今もだが)
『4重人格』とは凄いアルバムのタイトルだなあとしみじみし、
それを邦題で『さらば青春の光』と訳したセンスに、
若かった当時感じることの出来なかった深い寂寥感を、
ちょっとした新聞のファッション欄を見て、改めて感じ直し、
あっという間に年月の過ぎ去ったことを実感。

四重人格

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Tommy (Deluxe Edition)

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