Festina Lente2

Festina Lente(ゆっくりいそげ)から移行しました

花金の夜の食べ物雑感

出張の帰り娘と待ち合わせ、二人でベトナム風の晩御飯。
娘はラーメンよりもフォーが好きかも。
私たち夫婦はエスニック料理が大好き。その影響は大。
家人宅に行くまでの、繁華街の地下、二人きりの晩御飯。
まるで孫娘を連れているような風情の、二人連れ。
こんな組み合わせ、周囲を見回しても全く無し。
店の雰囲気は家族連れ用ではなくOL御用達、花金仕様のお洒落な構え。
この不況で花金も無いか・・・。
でも、私たちはそんなこと、今更全く気にしない。


恐竜バッヂを付けた赤いデニム帽を被り、スヌーピーの縫い取りがある、
紺色のふかふかのコートを着込み、黄色のリュックを担ぎ、
地下鉄から飛び降りて来た娘の第一声、「遅くなって御免よー」
お迎えに行く時は私がいつも娘を待たせている。
たまには私が待ってあげなくちゃ。
娘はこの雑踏の中、洒落っ気のひとかけらも無いモノトーンの母を
どうやって見つけられるか少々不安。
・・・お互いが同時に見つけ合って、すぐに地下鉄へ乗り込む。


成城石井を覗いてあれこれ物色、荷物が次第に多くなる。
最近チョコレートスパークリングにはまっている私。

鳴門の「マザーズ」のものとは比べ物にならないけれど、フォッカッチャ。
クミンの入ったカレー味のチーズ、パンに塗る胡桃入りのフレッシュチーズ、
プロヴァンス風味オリーブなどなど。週末の買い物は楽しいね。
娘のリクエスト。「もっと臭いチーズ買おうよ。ウオッシュタイプ!」
・・・何という贅沢な10歳。エンゲル係数の高い我が家の産物。
単身赴任家庭の一人っ子だからと、育て方を間違ったかも知れぬ。


体の調子がよければ少し遠出したいが、何とも言えない。
何とか毎日やり過ごしているものの、この1週間、どうも変な感じ。
上手く表現できないけれど、体の左半分、特に下半身。
みぞおちも左側、下腹部も左側、そして左足の付け根、
左足の裏側、みんな左側に不快感というか違和感。
この感覚は憩室炎が悪化する前の変な感じと似ているので嫌だ。
ホームドクターが火曜日にくれた薬に抗生物質なし。
初めて貰ったプラミールは、余り効いているようにも思えない。


患者の側から医者に抗生物質が欲しいなんてリクエストするのは、
お門違いなんだろうけれど、なるべく仕事を休みたくない人間、
通院時間を減らしたい人間にとっては、一緒に投薬して欲しい・・・。
いや、自分の願望が間違っていることは、重々分かっている。
勝手にそんなもの飲んだりしちゃいかんのだ、ということは。
でも、ヘルペスの事前投与で発症を防ぐ云々と同じように、
常に持っていることができればなあと思うこと多々。
胃炎かな腸炎かなっていう様子見の間に、ドンと固いしこりができ、
少々吐き気、何となく発熱、痛みが強くなってきたとなったら、
もう手遅れで外来点滴だって効きやしない。入院の憂き目になる。


左下腹部からずっと腹部の上の方に上がってくる感じの痛み。
気分が悪いなあと思いつつ、食欲の有無にかかわらず、一定量は摂取。
そんな感じの1週間。本当は絶食した方が?
あれこれ気にしながらも週末。激痛じゃないのがまたミソで、
ある程度動けるほどの鈍痛が続いているのが、いいんだか悪いんだか。
それでも仕事を終えて週末だと思うと、娘と向かい合って食べる、
熱々のフォーに胃の痛みが消えていくような気がする。

ベトナムおうちごはん

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ベトナム葉っぱごはん―おうちで楽しむエスニックレシピ+ガイド

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蘭の花が添えられた、見た目も麗しいお膳を目の前にしながら、
かーちゃんはそんなことを考えている。
この痛みが強くなるか弱くなるか、気にせず歩けそうか、
土日もなるべく体力を使わないでいた方がいいか。
人からすれば、呆れるほど取り越し苦労に見えるかもしれない。
しかし、腹部の違和感や鈍痛が一気に激痛に駆け上がった経験を持つと、
「羹に懲りて膾を吹く」感覚で、びくびくしなければならなくなる。


これ以上痛くならないという補償もなし。
体力的にヘタっていたら、一気に化膿するかも。もっと痛くなるかも。
そんな不安がいつも頭のどこかにへばりついているから。
例えば、足の付け根に違和感があって、それが腹部上まで響いてくる時、
関連痛なのか放散痛なのかどっちなんだろうと不安に苛まれてしまう時、
仕事から逃げようとしているのか、それとも直視したくない何かが無いか、
体調不良に逃げ込もうとしている直接・間接的理由は無いのか、
自分の心身を顧みる。少々情けない気弱さで。

しきたりの日本文化 (角川ソフィア文庫)

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なぜ、せつぶんに豆をまくの? (なぜ?どうして?たのしい行事)

なぜ、せつぶんに豆をまくの? (なぜ?どうして?たのしい行事)


巷は節分の「恵方巻」のご予約承りますの張り紙がちらほら。
いつからこんなもの食べるようになったんだか。
私が20代の頃はまだ無かったように思う。
生活の無意識に根深い部分、基本的に東北人の宮城県人2世は、
関西の風習には疎い。節分というものは、柊と鰯の頭を戸口に飾り、
大豆の炒り豆を歳の数だけ食べる。「鬼は外、福は内」の豆まきをする。
無論、先に鬼は外で豆を撒かなくてはならない。戸口や窓から。
そして鬼を払ってから福を呼び込む。その時無論豆を撒いてはならない。
福の神様に当たってしまう。そんな失礼は許されない。


したがって、昨今のどこぞの企業が始めたという巻寿司の丸齧り、
恵方を向いて黙ったまま一巻き食べるなんぞ、殆どしたことが無い。
それは、いつからの何の風習なのか。同僚に訊いても子供の頃無かったという。
そもそも、巻寿司も散らし寿司も家で作っていた時代に育った。
母親が仕事に出て共働き家庭になってから、家で作る餃子も寿司も消えた。
外から買ってきて食べるのが寿司になり、家庭の味が忘れ去られた。
子供の頃、来客には出前の寿司を取ったものだった。


向田邦子のエッセイではないが、握り飯に巻く海苔にさえも家で差がある。
どんな寿司飯を炊くか、作るか、具材を何にするかは家庭の味。
しいて言えば、その家の味であると同時に貧富の差が見え隠れする。
砂糖や酢でさえも、千差万別。地方によっても作り方に差。
それを、「予約注文で」「スーパーで買って食べる」「一人に一本」の恵方巻
どこでもみんなが食べるようになれば、その差を気にしないですむものなのか、
高くて有名な寿司屋の物を購う家と、コンビニ恵方巻で済ませる家と、
意識すればどこにでも差異は見つけることができるのだろうが、
何を以ってしてその家で伝えていくか、
何を子供に残していくかは、曖昧になるばかりだ。


そういえば、「厄除けぜんざい」これも関西のもの?
どなたか教えて下さい。職場に出るようになって、
20代が中心だった最初の職場で、それは見かけず、
40代が中心の職場に転勤してから、節分の日の「厄除けぜんざい」を知った。
関東にもそういうものがあるのだろうか?
それとも全国的に節分の頃、厄を払うため、人に厄を貰って貰うために、
「厄除けぜんざい」を作って振舞うという風習があるのだろうか?
人に貰って貰うというのも、お互い様というよりも何だかなあと思うけれど、
厄除けに便乗したこじつけでも、甘いものおいしいものを食べようとした、
単にそれだけと考えたほうが、罪作りでなくていいのか。
恵方巻からそんなことを連想。


縁起を担いで金儲けをする逞しい商魂の産物であり、
関西から始まったと言われるのも分かる気がする、恵方巻
そのチラシを横目に見ながら、帰路につく。
いつものようにトランクを引きずって来れば良かったと後悔。
肩にトートバッグが重い。頭陀袋が重い。
月夜の道を辿る辿る。今夜は私たちが早めに帰宅。
とーちゃんを待ちつつ、娘と寝床を作る。
巣篭もり巣篭もり、週末家族の巣篭もり。
とーちゃんからの電話を待ちつつ、週末の金曜日の夜。
外は満月が美しい。

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