Festina Lente2

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『Dr.パルナソスの鏡』

『Dr.パルナソスの鏡』を見る。久しぶりのレイトショー。
シネコンが車で10分余りの所にあるとはいえ、気力体力の消耗激しいこの頃、
とんと夜映画に出かけるのは遠慮していたのだが、思い立ったが吉日。
(いや、実は週の初めから見ようか見まいか悩んでいた)
後悔するのも嫌だから、ヒース・レジャーの遺作を見ようと決心。
映画館はほぼ貸しきり状態。見ていたのは7人だけ。


うーん、予想通り、名作というよりは迷作な気もする。
かの紀貫之土佐日記にもある。「死んでしまった子は美しい」とな。
失われた者に対する判官びいきは外国にもあるのだろうか。
作品の実力以上にメッセージ性を持たせられた、そんな気がしないでもない。
嫌いな人からは悪趣味の一言で終わってしまいそう。


別に、私はヒース・レジャーのファンでも何でもありゃしません。
単に映画をじっくり見たいだけ。どんなふうに持って行こうとしていたのか。
テリー・ギリアムの世界に自分を映し出しやすかったのだとしたら、
生身の自分を素で晒すのは本質的には苦手で、
演技という名の元に、ハイテンションで存在し続けたかったのか。
今となってはどうしようもないけれど、ね。


確かに独特の世界ではある。
しかし、万人の共感を得られる作品化というと、
怖いもの見たさ、好きな人は寄ってらっしゃい。
映画と同様、枠組みを意識させない枠組み構造で、
この映画を見た人間は、幻想カラクリ箱を覗き込んで、
自分の心の内部を反芻する必要があるわけで、
たちの悪い作りこみをした演出を持つ映画だとも言える。


幻想世界はCGで作り出すことが可能なだけに、
演技というものを本当に必要とするのかと思えるくらい、
奇抜なシーンに飲み込まれがち。
キリスト教を背景に持つ欧米人ならではの感覚が、
この作品世界に引き寄せられるのだとしたら、
私たちには馴染みの無い楽園喪失のメタファーだといえる。


思うに、悪魔によってそそのかされた女性によって、
失われたとされるエデンの園。(女性蔑視も甚だしい・・・)
贖罪にも似た主人公の恋と愛と娘への執着。
物語が先か世界が先か。
失楽園を招いたのはアダムの側にも責任があるだろうに、
「愛の何たるかを知らぬ」と呟きながら飲んだくれている、博士。
とても1000年も生きてきた高僧とは思えぬ設定。


悔い改めるか、贖罪の炎で焼き清められるか、
天国か地獄か、二者択一的な世界観の中で、
自分の子供を神に差し出す旧約聖書のエピソードを思い浮かべ、
試されることが好きなゲームまがいのシリアスさに嫌気が差す。
映像は美しいかもしれない。
でも、世迷言に近い話の展開は俗っぽ過ぎて感動が得られない。

オリジナル・サウンドトラック『Dr.パルナサスの鏡』

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ヒース・レジャー追悼写真集[限定] (P-Vine Books)

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現実世界と鏡の向こう。ヒースは現実世界を撮り終えて死去。
幻想世界を演じるのは、3人の名優。
ジョニー・デップ、いまや押しも押されぬ大御所になってきたけれど、
どちらかと言えば正統派の映画というよりも、かわった作品に出る人、だ。
(何を持って正統派映画というか難しい所だが)
コリン・ファレル、上手くなったなあと思うけれど、まだまだだよ。
そんな風に声を掛けたくなる私は、意地悪なおばさんか。
ジュード・ロウに至っては、そんなに評価されるのが不思議なのだが、
まあ好きな人は好きなんだろう。


思うにヒース・レジャーという人は、
ある人にイマジネーションの泉として、霊感の塊のように作用する存在。
それゆえに、自分の命を縮めてしまったような、
そんな皮肉を感じさえする。
他者に作用する人間は、よほど強烈な個性を持っていたとしても、
本人自体がメルティングダウン、溶解してしまうような危うさを隠し持つ。
ましてや周囲に影響を与え続ければ、
もしくは強く引き合うような個性に遭遇すれば、
取り込まれるか、爆発するか・・・。


思うに、芸術系の人は「ぴったり息があった」経験の後が怖い。
何かを吸い取られてしまって抜け殻のようになったり、
一本どこかが切れてしまったり、何かが欠落していくような、
足元を掬われるような、もしくはむやみに増長されてしまう様な、
危ういものが人知れず沢山あるような気がする。


だから、ぎりぎりの所で「すれ違う」「切っ先が触れた」
寸止めで終わらせておかないと、肉を切り骨を絶つでは、
命が幾つあっても足りない、そんな気がする。
何かを出し切ってしまう事は危うい。人身御供と同じ。
ダークナイト』の後にすぐ、
『Dr.パルナソスの鏡』はまずかったんじゃないのかな。
そんな風に感じるのはオカルトがかっている?


だからモデル上がりの若い女性が、「演技は素人」と評されていて良かった。
何も知らないことこそが、この場合防御。
相手の力量に合わせてより好いものをふさわしいものを
創らなくてはならないと力んだとしたら、
それこそ粉々に壊れてしまう。
「上手に演技できなくて良かった」ことが山ほどある。
世の中を渡っていく為に、演技ではない演技で、
自分を守らなければならないということが、山ほど。


信長が越えられなかった「人生50年」を経験してみると、
「天才で早死に」なんてできなかった人間は、
長く地道に如何にこの世に生きて、その変化を眺め、
生き証人になっていくか、それが冥利よなあ、なんて思える。
生き延びる事も才能なのだ。
ボケもせず、自分は自分という意識を持ち続けて、
ああでもないこうでもないと思い巡らせながら、生き続けることが。


「選択は嫌だ」と叫んだ博士が、人生の砂漠を彷徨うように、
凡人もまたさ迷い歩いている。選択は常に無意識に迫られる。
今日の夕食のメニューにさえも。
ほんの一瞬のハンドルさばきにさえも。
偶然が導いてくれた、そんなことに左右されるよりも、
自分で切り開いたと思える方が幾らかまし


鏡は自分を映すもの。それも左右真逆に。
鏡に入ってから選択するのではなく、鏡に映ることが既に選択。
自分を覗き込もうとした瞬間が既に始まりであり、終わり。
アルファでありオメガ。鏡の向こうはひたすら怖い。
久しぶりにそんなことをつらつらぐだぐだ思った真夜中。
帰宅は0:15でした。
ブラタモリ」は娘が録画してくれたよう。
まだ見ていません。
それでは。

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