Festina Lente2

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平成22年2月2日

老父に訊かれた。「今日はどんな日か知っているか?」
えーと、帰宅早々何かあったのかな。
特に何かある日だったかな。
明日は節分、明後日は立春。今日は何かあったっけ?
「今日は平成22年2月2日だ。2222の日だぞ、気が付いていたか?」


ぞろ目だとは気が付かなかった。スーパーぞろ目。
ああ、縁起でもいいのかな? そうでもないか?
鉄道ファンでなくても、電車やバスの切符を買い求め、
2222を記念にしているのだという。
これを逃すと平成33年3月3日まで無いか。
そういう問題ではないか。


暦の上でのささやかな楽しみ、縁起、遊び心。
何に生活の楽しみを見つけるかは人それぞれだけれど、
確かにこういうものを楽しむのは悪くない。
昭和一桁生まれの老父にとっては、一日一日は貴重である。
昭和の満州事変の年に生まれ、落ち着いた平和な時勢に無縁、
思春期は軍事色に塗り潰された世代だ。
平成の御世を22年まで生きたというのは、
疎開を経験した天皇陛下と同じくらい、感慨深いことなのだろう。


二十歳に2年余る平成の世、その2月の2日。
キリスト教ではどんと焼きに相当するキャンドルマスの日。
クリスマス期間が終わったとして、ツリーを燃やす日だ。
聖燭節。西洋の儀式にも区切り、節目があったことが分かる。
もとより神の依り代となる物を1年中飾るわけにはいかない。
天から来たものは天に返すのが必定。
聖なる火で清めて燃やすというのは理に叶っている。


節目。切り替えどき。
聖母マリアの産褥の終え、清めの儀式を経て、
幼子キリストが律法に従い神殿に捧げられた日。
まるで、お宮参りみたいだね。
節目があって、清めの儀式があって、
そういうものに守られて、一歩一歩日々の生活を歩む。
日常生活の中で押し流されないように、杭を打つ。
思い出のひとこまを作る。
その中での2222、いいんじゃないの。

十字架 (100周年書き下ろし)

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氷川清話 (講談社学術文庫)

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今日は何の日、明日は何の日。
父や母と、どれくらい共に過ごせるんだろう。
日に日に大きくなっていく娘の姿を、
いつまで見守ることが出来るのだろう。
2222から再びカウンターは時を刻む。明日は節分。
我が家にどんな鬼がやって来るか、どんな形を取って来るか。
そして立春、暦の上では春だ。


3月生まれの母、4月生まれの父と私。
我が家の家族は春生まれだ。
そして、自分の生まれ月は殊更に注意せねばならない。
心して掛からねばならないと言われて育った。
あっという間に過ぎていく日々。
誰にとっても同じはずの時間が、加速度を増して過ぎていく今。


今日は何の日か知っているか? 
訊かれた時に、ちゃんと返事できなかった。
愛想の無い娘で、ごめん。
気の利いた受け答えが出来ない娘で、ごめん。
薀蓄の一つ二つも答えられない娘で、ごめん。
滅多に会話する時間も無いというのに、ごめん。


話の継ぎ穂以前に、煎り豆のようにはじける話題、
ちょっとした気遣い、話題に味付けできる機転、
話を引き伸ばす魔法の麺棒を持ち合わせていなかった私。
2222 次の3333までも元気で居て欲しい。
何かにつけ粗忽で不肖な娘で申し訳ない。
たった一人の孫娘の成人式を見られるまで、元気で居て欲しい。


そう思った今日。平成22年2月2日。火曜日。

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