Festina Lente2

Festina Lente(ゆっくりいそげ)から移行しました

イバラードの世界を覗く

美術館、博物館、静かな世界に佇むのが好き。
日常から離れて、心を遊離させる。
日常の中にありながら、自分を別世界に連れ去る。
そのものの中に入り込み、新しい、古い、異質で、果てしなく広い世界。
そこに自分を投影し、歴史を、ドラマを、人生を読み込み、
夢想し、たゆとう意識の波に揺られながら過ごす時間が好きだ。


もっとも若い頃とは異なり、体力勝負の美術館博物館巡りが増えた。
荷重と足腰の衰えがこたえ、何時間もその場に佇むことが出来ない。
本物の作品、様々な方向から眺められる彫刻、目の前に広がる遺跡、
時空を越えた彼方を遥かに見晴るかす、一人の時間。
そこに旅立つのに苦労しなかった若い頃に比べ、
心に降り積もった鬱屈が足を引っ張り、創造の源や岸辺に寄るべく
物思いにふけることさえ許されないことが増えた。


そんな折、イバラードの美術展に出かける機会を得た。
午後から夜は研修のワークショップ最終日だった。
午前中懐かしい世界に再会し、作者と見(まみ)える機会も得、
著書・画集にサインを頂くという僥倖にも恵まれた。
「望外の喜び」という古めかしい言葉がぴったり来る瞬間。
憧れの世界を生み出した人と共に過ごすことができる、
それは自分にとっては有難く、滅多にない時間。

イバラード博物誌

イバラード博物誌

イバラード物語―ラピュタのある風景

イバラード物語―ラピュタのある風景



ブログを通じ、自分では出かけることのできない異国の景色、風物に触れ、
国内の様々な出来事や、人々の様々生活、物思いに触れることはあっても、
仕事を離れ、日常を離れ、直接触れ合う機会を持つことは無い。
直接的なやり取りをしてみたいと憧れる気持ちが無いわけではない。
しかし、特別のことが無い限り、押し付けがましい現実の付き合いに、
お互い引き込まれてはならぬと節度を意識する。


コメントのやり取りの中で偲ばれるお人柄に、
日々の記事の内容に、人生の先輩の生き方を垣間見たり、
自分が通り過ぎてきた日々、または似たような経験、
音楽や読書、ただの由無し事を書き連ねた日々の思いに、
触発され、深く考えさせられ、または励まされ、心和み、
また逆に心ざわめくこともあれど、バーチャルなりのお付き合い、
それぞれの世界に学ぶことは多い。
ある意味、自分の世界の広がりとなる。


それが、憧れの世界が目の前に現れると、感動と同時に、
ここに居てはいけないような、場違いなような、
照れくささと居たたまれなさとが交錯した複雑な思いにとらわれる。
それは、現実の世界に居ながら、心の世界を垣間見るのと同じ、
違和感や居心地の悪さ、ぎこちなさに似ている。
それをどのように受け止め、処理するかで、
自分の世界と他の世界の接点を融合させたり、分離したり、
無意識にその作業を行うのだけれど・・・。


その水から作り上げた世界を心広く穏やかに受け止められる時もあれば、
そうではない時もあるわけで、何時も何時も深く嵌ることはできない。
意識をどこかに置いておきながら、空中を浮遊するような、
心の命綱を持ちながら、夢と現実を行き来する。
それを意識的に行うワークショップの前に、
イバラードの世界に遭遇したので、自分としては
現実が夢と重なり合い、ぶつからないように心している。


人は自分が思うほど一人ではないのに、独りだと感じるし、
責められてもいないのに、責めを負うと意識する。
仕事からほんの少しはなれて、心の平静を保ちたいと思う時、
最も理解されず、疲れ果て、逃避したくなるようなひと時、
広がる景色の向こうを夢想したり、心の箱庭を置き始める。
そんなイメージを持つイバラードに、ここしばらくは癒されながら、
2月3月を乗り切らなくてはならない。
バレンタインデーだからと浮かれてもいられず。


とはいえ、私にとってイバラードの世界がやって来た。
記念すべき日になった、2010年のバレンタインデー。
大切なのはチョコレートじゃない。
自分の気持ちを相手に伝えることができるか。
受け止めてもらえるか。
何時如何なるときも、心のやり取りが可能かどうか。
その厳しさを甘さでくるめて誤魔化してしまわないように。

空の庭、星の海―イバラード博物誌 2

空の庭、星の海―イバラード博物誌 2

ここが、その街―イバラード博物誌〈4〉

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