Festina Lente2

Festina Lente(ゆっくりいそげ)から移行しました

籠の鳥気分

昨日、足の痛みの為に整骨院へ。ここの先生はカイロ系。
全体的にかなりほぐしたのでだるさが出るよと。
確かに、だるい。1週間の疲れも溜まっているし。



というか、不気味なログ、アクセスログで気持ち悪い。
お気に入りの記事ばかり選んで読むというよりも、
そのアクセス記録がストーカーのように感じてしまう。


社宅のメンテナンスの為に家に居る。
業者の来室予定のために張り付いているのだが、
一向に来る気配が無い。やれやれ。
仕事をする気持ちにはなれなかった。
娘と二人で家の中の埃を取り、風呂場の掃除を、シンク周りを、
絨毯の上を、洗濯機の溝を。


心の中に苛立ちが走る。
予定通りにメンテナンス業者が来ないので、台所が使えない。
休日の日の食事、朝はだるくて起きられなかったので、
昼をきちんと用意しようと思っていた思惑が外れてしまった。
ストーカーにも似たアクセスが、苛立ちを募らせる。
いったいどんな記事の読み方をしているのだろう、
それは人の勝手なのかもしれないけれど、何かが違う。
そんな気がして、うんざりする。
考え過ぎ? いいや、私の記事にこんな風にアクセスは無かった。
少なくとも今までは。


足が痛くて歩くのが辛いのに、出かけたい。
京都は遠い。異国で見たハプスブルク家の絵に再会したい。
出かけたいけれど、既に出かけられる時間ではなくなった。
家人は抜けられない出先からの帰り、点心をお土産に。
でも、味がよく分からない。
でも、まだ社宅メンテナンスの人は来ない。
予定時間は遥かに過ぎているというのに。


不穏で妙なアクセス記録の為に
ブログを書く楽しみも半減し、読む意欲も半減。
痛み止めでだるく、自分を持て余した。

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夕方2時間だけの外出も、蕾ばかりの椿。
暖か過ぎる青空の天気の梅に、違和感を感じながら散歩。
そう、今年は嗅覚以上もおさまり梅の香りを・・・と
楽しみにしてたが、その香りは冴え冴えとした寒空の下、
匂いやかに香り立つ爽やかさを期待していた。
それが、暖か過ぎて開ききった梅の花弁がだらしなく、
散ることも香り立つことも出来ぬまま眼前に。
何か、しゃっきりしない自分を見ているような気分に。


そのまま、気分は落ち込んで、味のしゃっきりしないエビチリを作り、
味のもっさりしたキャベツスープが出来上がり、
体のギクシャクが味覚にまで? と不本意な思い。
眠いけれど、眠れない。体も薄ぼんやり。
書類を作りたくないのは、職場に対する抵抗。
まるで小さな子どものように、サボタージュ


作り出せば、かなりのスピードで作れるはずなのに。
些細なことが、チクチク神経を刺激する。
家の中に居るのに、職場が侵食して来たような、
自分で気付いている自分の至らなさ、その後ろめたさに
引きずり込まれるような、そんな気持ち。


気分転換に万博公園へ。
娘は昨日出かけていて、今日はホットケーキ作りに挑戦。
お友達の分も焼くんだと、るんるん気分。
思索を食べ過ぎたと食欲が無いよう。
あれまあ。それにしても健全でかわいい。
この子どもらしいまともさに癒されながらも、
今日は心身ともに、ぐらついている気分。


固い蕾ばかりの椿は、閉鎖している自分を連想させる。
一枚ずつ花びらが散る山茶花ではなく、
ぽたりと花全部が落ちる、椿の蕾。
暖かい日差しの中で固い蕾の椿の、
油染みた輝きを持つ葉ばかりが思い出される。


食欲があるのか無いのか、作らなければならないよりも、
食べなければならない、でも食べ過ぎてはならない。
でも、食べる量はずっと減っているのに、太る。
新陳代謝と釣り合わない。
体の、心の、折り合いが付かない。
食べる楽しみを満喫できないとなると、
食事を作るのも楽しくない。
食事の後に、食後で無いと痛み止めは胃に悪い。


憂鬱に拍車をかける、些細な諍い。
夜の寒さで胸がスウスウする。
体も心もスウスウする。
蜘蛛の巣の向こう側にも、家の中も居場所を見出せない。
仕事場でも、イベントや予定が立て込めば立て込むほど、
自分が実態の無い影のように感じられる。


体も重く、心も重い。
蜘蛛の巣の世界のお付き合いも、現実も。
そこに、お互いに寄り添う気持ちがなければ、
あっという間に希薄になっていく。
痛みを通してしか、自分の体が感じられないように。