Festina Lente2

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ジュリア

ペンティメント。最初の線が現れる。画家の心変わり。
印象的な湖の上のボート。薄暗い画面なのに、心惹かれる。
書けずに悩んでいるリリアン・へルマン。恋人であり師匠でもある
ダッシュことダシール・ハメットに文句を言う。
コッカスパニエルに憧れているブルドッグだと、けなされている。
「作家になれとおだてたのに。」
「私の前で泣くな、転職しろ、石炭を掘れ、泣き言を言うな。
スランプなのに励ましても慰めてももらえない。
リリアン・へルマンとダシール・ハメットは、本当にこんなふうにやり取りしたのだろうか。


事実は? 真実はどこに隠れている。遠い記憶の彼方。
この映画を初めて観た時は18、9の小娘だった。
何も知らないわからない、若いだけの私は親友と映画館に向かった。
どうして彼女が私をこの映画に誘ったのかわからない。
いつも才能に溢れて元気な、才気煥発で追いつけない友人。
私は横に並んで歩いているよりもいつも追っかけている、
そんなイメージしか抱けなかった中学時代からの友人。


久しぶりに見る画面。こんなシーンはあっただろうか。
思い出せない。サスペンスまがいの後半と、ラストは鮮明に覚えているのに、
前半が殆ど曖昧なのに、今日放映を観て改めて意識した。
長いテーブルの客席。いかにも上流階級の食事。たった4人の夕食会。
新年を祝う食事、シャーベット、ローストビーフ


再婚した母親。孤独なジュリアは、祖父母とお城に住む。
部屋の蓄音機で聞くレコード。ネグリジェ姿で踊るジュリアとリリアン
部屋でのお喋り、タバコにお酒と悪ぶって過ごす青春の夜。
暖かく燃える暖炉の火。同じように語り合う大人になった二人。
こんな場面があった事を綺麗さっぱり忘れていた。


強くて美しくて繊細。
親友の横顔を見ながら今まで見たことが無いくらい美しいと思うリリアン
オクスフォードの医学部に進学するジュリア。
「チャンスを掴んで。大胆に生きるのよ。」
人生の円熟期に達した女。ウィーンでフロイトの助手をすると語る。
ファシズムやナチに対する怒り、ホロコースト、何故世界が目をそらすのかと、
怒りの手紙を書き綴るジュリア。パリに戻り連絡を取ろうとするリリアン


映画を見ていた私はフロイトの何たるかも、ファシズムホロコーストも、
何もわかっていない小娘だった。ただただ目の前に広がる世界、
ヨーロッパ、大人の女性の友情に圧倒されていた。
仕事や名声、大人の付き合い、そういうものはぼんやりとイメージされたが、
それよりも、何故二人が親友足りうるか、付いていくのに精一杯だった初演時。


当時見ても分からなかった世界が広がる。ブルジョア社会主義者のデモ。
警察に尾位置される人々。投石と乱闘。
パリには創作意欲を掻き立てるものどころか、吐き気を催すナチズムの嵐。
ヨーロッパ全土を侵す狂気。暴動、内乱。


タイプライターを海に投げ捨てる。書き上げた時の満足。
しかし、「我々は本物の作家になるために努力してきた」
「悪くは無いが傑作じゃない」と突き帰される原稿。
酒を飲み、タバコを切らすことなく、それでいて赤いマニキュアと口紅、
波の打ち寄せる砂浜、かもめの鳴き声、ひたすら原稿を読むハメット。
報われる事の無い創作活動にいらだつリリアン
ついに、誰にも書けない傑作と、ハメットのお墨付きが得られる。
大成功、名声と財産。有名人は快感ね。毛皮が似合う、大統領に献金する。
夢を語るリリアン。「たかが名声だ」とハメット。

未完の女―リリアン・ヘルマン自伝 (平凡社ライブラリー)

未完の女―リリアン・ヘルマン自伝 (平凡社ライブラリー)

ヘミングウエィ、コクトー、名だたる作家がパーティに集う。名士の集い。
やっと連絡が取れた友人からの謎のメッセージと依頼。
目の前の人物が語る不穏な台詞。「ユダヤ人の貴女が適任とは思わないが・・・。」
パリを離れる夜汽車。自分のコンパートメントを探して歩くリリアン
チョコレートと帽子の箱。同室の人は敵か味方か。物語はどんどんサスペンスに。
レジスタンス資金を運ぶリリアン、夜景を眺めながら思い出を反芻する。
通過ビザでのやり取り。ヘルマンの名でちらりと見上げた係官の目つき。


日本人にはわからないドキドキする場面が、もっともっとあったのだろう。
この映画を見て約3年後、生まれて初めての海外旅行をする私。
歴史を学び、文学・芸術・美学を学び、この映画を見た親友と、
学生生協の3週間に及ぶヨーロッパ旅行のために、せっせと貯金。
思えば、『世界の名作文学50』の世界から、『ジュリア』までの10年間。
私の幼少期は少女の時代から、青年期へ。
思春期前期から後期へ。


華々しい青春どころか、地味で控えめでドンくさく、
唯一華々しいと思えるのは、この海外旅行の思い出ぐらいの大学時代。
あの頃はまだ、尻尾が生えているような、1人前の人間には程遠い青春時代。
そんなほろ苦い思い出がよぎった、今日のBSの映画、『ジュリア』。
私はあっという間に年を取った。
映画の冒頭、ジュリアを偲ぶリリアンの回想場面。
ボートで釣り糸を垂れるシーン。


「絵が古くなると、絵具がはがれ・・・・
 下に重ねてあった別の色合いが見えてくることがある。
 これは画家の迷いを示すものだ・・・・」
迷いばかりが積み重なってできている自分の人生。
確かに人の敷いたレールを歩いてきたわけではなかったが、
望んでこうなったわけでもない。自分で望んだ部分は、
いつも曲解され、結果としてよしとするも、満足できないまま、
見切り発車だったような気がする。


30年以上も経ち、自分を振り返るとそういうものか。
形に残る達成感があれば、もっと違うものなのか。
心は、心だけは若いけれど、その若さは無知な幼さに通じている。
躍動感に満ちた好奇心や感激に浸る振幅の強さからは、
どんどん遠のいているような気がしてならない、
特に今年の春は。大台に乗っての1年は、体力が気力を奪った。


親友は第1戦でバリバリと仕事をこなしている。
相変わらずの大酒のみ、タバコのヤニにまみれて。
そんな生き方に憧れながら、自分には真似ができないまま30年以上経った。
私には『ジュリア』のような物語はない。
いつも、傍観者のままでいるような気がする。
弥生の半ば。

ジュリア (ハヤカワ文庫NF)

ジュリア (ハヤカワ文庫NF)