Festina Lente2

Festina Lente(ゆっくりいそげ)から移行しました

春の夜の花火


ハーベストの丘に花火を見に行く。10周年記念だそう。
実は出かけるのは初めてだ。娘が生まれた後に出来た新しい施設。
実は娘が生まれる前、隣市にかわいい遊園地があった。
しかし、大阪にはUSJだなんだと新しい娯楽施設ができ、
その勢いに押された形で、昔からあった遊園地は次々に潰れてしまった。


そんな中で新しく作られた別の市の大きな自然と一体型施設。
簡単に言うと体験型農業公園みたいな感じ。
犬が羊の群れを追うショー、羊の毛狩り、なだらかな丘を走るミニ機関車、
ゴーカート、草滑りのできる急勾配の坂、絵になる綺麗な花畑、
そしてパンやピザを焼いたり、乳搾り体験、
手作りソーセージ体験や皮工芸、陶芸もできる。
食堂もあれば、お弁当を広げる気持ちのいい場所も、観覧車も。


しかし、今まで全く行った事は無かった。
車で行けばそれほど時間も掛からないのに、何故か行かなかった。
余りにも近くて? 知り合いに会うかもしれないから?
昔々学生の頃、知り合いのお葬式にいった場所の近くだから?
気が付けば、今週は10周年記念、土日は17時から入園無料。
記念の花火を打ち上げるという。


近いとはいえ結構山の上、山の奥。春とはいえ、夜はまだ冷える。
でもまあ、少しくらい大丈夫と出かけれみれば、
この施設の人気を侮っていた事がわかった。
予想外の人出・・・。所狭しと人がわんさか、夜の夕闇の中、
こんなにみんな集まって来ているとは。



自然の景色を求めてなのか、親子で触れ合うには都合のいい場所だからか、
広々とした「飼いならされた自然」、人工的に創り上げた空間、
そこに夜のイルミネートが美しく飾られ、人々は三々五々にそぞろ歩き。
或いは大食堂で夕食。土産物屋で買い物。
何しろ地ビールもソーセージもおやつにも事欠かない。
みんな花火があがるのを待ちながら時間つぶし。

 


何でも3分間だけ音楽に合わせて花火が上がるのだそう。
そのために繰り出してきている我々も我々だが、
花火が好きだからしょうがない。これも、徳島で過ごしたせいか。
草加や越谷の花火を見たきたせいか。

 


何かあれば行事のたびに花火、田んぼの中でも細々と打ち上げ花火、
漁港で川沿いで公園で、あちらこちらで盛大に花火。
そんな徳島での思い出を彷彿とさせるからか、
「春の花火」に惹かれて、しばし空を見上げる。
今か今かと待ち望んだ春の夜の花火。

 


「喉元過ぎれば熱さ忘れる」の家人は、半年に渡る病院生活を終えた夏の、
万博公園の花火をけなすように、今晩の花火の方がましだと呟く。
どんな意味で「まし」なのか。
今、進んだ医療に支えられて健康を取り戻した状態で、
花火を見られる事が?
素晴らしき慢性病管理のもと、板子一枚下は地獄の憂き目を見てきて。
のほほんと呟く様子に、心の中には嵐が吹くのだが、
まあ、今だけはささやかな花火を愛でよう。
花火に罪は無い。

 


家族が家族でいられる時間は、少ない。
花火よ。ヴィのような花火よ。
思いのほか私たちの時間が短い事を、お前は知っている。
何時いかなる時も、花火を見るたびに思い出す。
生きる事の切なさ、生かされる事の奇蹟。
失ったものも大きいが、残されたものも大きい。
それゆえに、失ったものを慈しみ哀しみ忘れずに過ごす。
残されたものに、感謝して過ごすしか無いのだから。

 


そんな5年前の思いが再び心の中に瞬く。
帰り道は山奥の交通規制が長引き、1時間以上掛かって帰宅。
何ともアンバランスな夜のお出かけとなった。
花火の為に費やした時間と、その背景に去来する思いの大きさ。
花火そのものの時間、この大きなギャップに。
人生そのもののギャップのように、日常生活もまた、
呆れるようなビフォーアフターに満ちている。


少しばかりセンチでひねくれた思いに満ちて、
夜が更けていく。