Festina Lente2

Festina Lente(ゆっくりいそげ)から移行しました

落ち込むシンデレラ

昨夜の勉強会は刺激的で、懐かしい人にも再会。
それなりに得るところも大きく、参加した甲斐はあったが、
いかんせん、帰宅は夜中を過ぎた。
この年になってくると結構その少しの時間オーバーが体に堪える。
シンデレラではないけれど、12時過ぎ帰宅はご法度かも。


昨日不思議な光景を見た。昨日は刺激的だった。
昨夜の勉強会の余韻が続く。
そして、感動も、疑問も渦巻く。
勉強会というよりもデモンストレーション。
そんな印象ばかりが蘇ってくるのは、
意識されてしまうのは、自分自身の受け取り方の問題?


深海の底からパックりと割れて出てきたものは?
頭の中に収まりきれず、ぐるぐると渦を巻いている。
そういう感覚に騙されずに、巻き込まれずに生活する。
これは意外と難しい。
仕事に差しさわりのあるような物事の受け取り方をしてしまう、
それこそ訓練されていない愚か者ということになる。


毎日のルーティンワークがないと、押し流されてしまいそう。
だから、予定のない生活、仕事は考えづらい。
私のような性格ではあっという間に押し流されてしまいそう。
毎日が日曜日の生活に憧れないではないけれど、
空白を空白のままに置いておくと、
何もせず終わってしまいそうな毎日を持て余すだろう。
そんな空白を密かに恐れつつ憧れる私でも、
夜中を過ぎて帰宅して、興奮冷めやらぬ頭のまま、
翌日に持ち越しの日は辛い。

フォーカシング指向アートセラピー

フォーカシング指向アートセラピー

アートセラピーで知るこころのかたち

アートセラピーで知るこころのかたち


現実は平凡で、一見平凡に見える残酷さで過ぎていく。
気に掛かることがポツポツ浮かんでは通り過ぎていく。
余りに自分に身近すぎて直視するのも辛い事も、
目に見えず声は聞こえず、されど気が掛かりな事も。
忙しさに紛れて毎日の記事をアップするのもままならない自分と、
何がしか記事を書こうとしても、敢えて遠ざかっている人と、
それどころではない状況に置かれている人。


様々な人を思いながら、改めて取りようもない距離に、
どうしようもない現実の距離にやるせない思いになりながらも、
これが、天が与えてくれる距離、
必要な節度というものなのだろうと思う。


ある人は精力的な記事が見られなくなり、
病に臥しているのか、別の理由なのか知る由もない。
結婚、出産、子育て、様々な出来事がそれぞれの生活を通り過ぎて行き、
生老病死、避けられないレールの上を走りながら、
それぞれの窓から見える異なる景色を楽しみ、
それぞれの目的地へまっしぐら。
・・・誰もそれが目的地だとは知らずに。


ブログの中で見かける人々の生活、日常。
合間見えることのない人々の日常から、
今様の徒然草を感じ取る。世の無常を儚さを。
そしてまた、その人だけに与えられた日々の素晴らしさを。
喜びや悩み、手すさびの、もどかしくも懐かしい過去へのまなざし、
今あることへの感謝、そこを行きつ戻りつしつつ・・・。


現実の人間が不躾に勉強会での出来事を、
胸に閉まっておかずに(おけずに)
そこかしこ訊き訪ね歩く姿の真摯な姿とは紙一重
あからさまで、自分中心にならざるを得ない学びの姿勢、
自己に忠実な無邪気さ・貪欲さに嫌悪感を抱きながら、
私自身の日常への関心もその類ではないのかと、不安に立ちすくむ。


砂漠のような仕事の隙間を埋める、
付き合いの狭く限られた日常を補充する、
疲れ寂しい時に開く任意の小窓、
自分にとって都合の良いどこでもドアの代わりに、
パソコンに向かっているのではないか、
それは単なる逃避ではないかと思いながら、
昨日から引きずる嫌悪の陰に潜む自分に向かい合う。


現実もパソコンの中も12時の鐘を無視することがないように、
生活に響く「警鐘」を意識しながら。

ミラクル・アートセラピー―人生は描き直せる

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対人援助のためのアートセラピー

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