Festina Lente2

Festina Lente(ゆっくりいそげ)から移行しました

田に水が入り

通勤途中の道々、ハンドルを握る手が軽い。
そんな風に感じるのは、外の景色がいつもより広々と見えるから。
水入れされた田んぼ、田植えを控えた田んぼがそこかしこ。
梅雨の晴れ間の空を映して、地上に滑らかな空を広げているから。
そして、私の心も水面の空を歩くような気分に。


その瞬間、自分を閉じ込めていた見えない檻が、
一瞬のうちに溶けて跡形もなく消え、
季節を演出する田仕事の泥田の上に並べられた早苗、
あでやかに装束を凝らした早乙女が一列に立ち並び、
神の依代となって神聖な行事に望む。
その幻影を心に思い浮かべる。


樹下美人。大木は無けれど、その手にする命の糧は、
余りにも細い青苗なのだけれど、
穢れ無き乙女の純潔もて神に捧げる、その命。
労働のいやさか、寿ぎ、奇(くす)しき言霊、
田植え行事の賑々しい神聖さが、心のどこかから押し寄せてくる。


そのような景色は実際に見たことも聞いたこともなく、
本の上で知りえた知識、間接的に知りえたことでしかないのに、
何故かぴんと張り詰めた空気、滑らかな水面、並べられた早苗、
風そよぐ梅雨の晴れ間、暑くもなく寒くもない。
そこには装束を凝らした巫女たるべき早乙女、
豊作を願いつつ、鈴の音も歌声も苗を植えるリズム、
穀霊を呼び覚ます音色、聞こえるはずのない歌が聞こえ・・・。


いつ、どこで刷り込まれたのか、
空を映す田植え前の田んぼ、田植え後の田んぼ、
風にそよぐ弱々しくさえ見える青苗が、
見る間にすっくと伸びて、その水面を碁盤の目に区切り、
やがては夏の光を吸い込んで花を咲かせ、
実るほど頭を垂れる稲穂となる姿を、
一瞬のうちに垣間見る。
その、心の働き、脳裏に描かれる景色、
どこで刷り込まれて来たものなのか。


田植えの経験もない、稲刈りの経験もない、
蓮華畑の田んぼで遊んだことはあっても、水を引いた田に
足を踏み入れたことなぞ一度もない私なのに、
心の中は半年、3ヶ月先の取り入れの頃を思う。
生産に直接係わるわけでも、何でもないというのに。


自然の力を身の内に取り入れたいという思いが、
自然の健やかな生命力に少しでもあやかりたいという思いが、
稲霊のはぐくむ命の安からんことを願ってか、
田植え前後の「幼い水田の無垢な有様」に、
ひたすら食べ、眠り、成長を続けようとする、
赤ん坊のような田んぼ、1枚1枚に、驚嘆する。
そして驚く。


よくもまあ、ご先祖たちはこの草から米を食べることを発見、
お陰で駅でも時々古代米だの赤米だの黒米だのと、
お土産売り場のように道の駅や農協の出店が増えた。
そんな商売に関係ない部分で、自分の心の中にも田植えが始まる。


夏の暑さに負けないように、突然の寒さにもめげないように
私の心の中にも、今年の田植えが始まる。