Festina Lente2

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『孤高のメス』

重くハードなテーマを淡々と描いた手腕に脱帽。
外科医の主人公が気負いやてらいを見せず、
「毛糸のセーターを編むようにこつこつと」と説明。
外科手術に臨む地道で精緻な作業、謙虚な姿勢が映画の中に描かれていた。


医療技術者のチェックも厳しかっただろう、
鑑賞に堪えうる手術シーンは圧巻。もっとも作り物だと現場から言われれば、
それはそれで仕方ないと思うが、素人目には超リアルでも困るのかも。
手術室が自分の想定したいた場所よりも薄汚れていることに抵抗を感じた。
いずれにせよ、手術室に入るナースという人々の存在を、私たちは知らない。


普段目にするナースは病棟で検温・問診党のイメージが強い。
診察時の付き添い、医師の代わりの雑用、
自分の身近にナースが存在すると感じた時は、入院中でさえも少なかった。
存在感があり、頼りがいのある、明るく気さくで心強い、
そんなナースと出会うことは今までの経験では稀。
何しろ2週間入院にしていても、ローテーションで回ってくる看護師の数は多く、
なかなか顔が覚えきれない。覚えた頃には退院だ。
(長期入院の場合は別だが)


どんな申し送りをしているのかされているのか、わからないまま、
こちらもベルトコンベアに乗せられた品物のように、
幸いなことに退院へ向けて日にち薬で過ぎていく日々。
看護師の仕事は見えにくいまま、見えている以上に知ることが出来ないまま、
病院を後にすることになる。


それ以上に深く関わることがあるとすれば、それは自分も家族も重篤な時であり、
幸か不幸かそういう係わりを持つことが出来たという記憶は、数少ない。
身近に感じることがあって欲しくないといえば、残念ながらそう。
お陰で出産以外、私自身は命のやり取りに近いものは無かったが、
家族の入退院では「覚悟」を強いられる機会は多く、
ほんの少しのやり取りが、心身に堪えるお付き合いとなる。


たとえば転院の朝、本院の看護師に手紙を言付けたから、
細かいことは大丈夫よと、声を掛けてくれた婦長さん。
あれから5年以上経つけれど、いまだ忘れられない。
救急で運び込まれ、緊急の処置後の夜明けの入院、
老父を託して家に帰る私に「気をつけて下さいね」と
掛けられた声、看護師からの労りが、
ほの明るい希望のように、真っ暗な廊下を照らしてくれた。


看護師の目から見た手術、医師の目から見た家族、
それがどのようなものであるのか、私にはわからない。
描かれた姿から「そういうものなのだろうか」と受け止めるだけ。
私たち患者となる人間、家族にとっては1回性の特別な経験、体験、
特異な特別な時間、空間である病院も、そこに働く者にとっては日常。
そのギャップを何が埋めてくれるのだろうか。


そしてこの映画は、手術室に入る看護師の目から見た外科医の日々。
医療関係者として間近に見る、献身的な医師の姿とはどのようなものなのか。

孤高のメス―外科医当麻鉄彦〈第1巻〉 (幻冬舎文庫)

孤高のメス―外科医当麻鉄彦〈第1巻〉 (幻冬舎文庫)

孤高のメス―外科医当麻鉄彦〈第2巻〉 (幻冬舎文庫)

孤高のメス―外科医当麻鉄彦〈第2巻〉 (幻冬舎文庫)



働きながら子育て、近所づきあい、職務上やりきれないこと、
この仕事だからこそ精進できること、努力、熱意、それらの根底にある、
医療者としての自負、同じ目標を持つものとして目指す世界、
医師の手足となり、もう一つの知覚と化し、機能的な手術空間を創り上げる、
そのごく一部を垣間見て、どの仕事も詰めて行く過程、
上り詰めていくための緊張の一瞬、達成感を得るまで積み上げる修練、
同じ仕事内容であるならば、認められたい劣りたくないと思う気持ち、
一つになりたい、共有したいという一瞬、その思い。
胸に迫るものが多々あった。


おそらく私が独身であれば、子供がいなければ、
身に積まされて考えることも感じることも無かったであろう場面。
母であること、子供を育てながら働くこと。
心安らぐ日々の向こうに、戦いのすさまじさがある。
研鑽を積んでも完全完璧ということがない。
常にその先その向こうに向かって動き出している現場というもの。
これで終わり、おしまいというものがない仕事の世界。


母であること、仕事を持つこと。矛盾してはならないと思いつつ、
犠牲にしなければならないことも多い。
そのやるせない罪悪感のようなものの向こうで、
屈託無く笑い遊ぶ子供の姿に救われる、癒される日々。
そして、自分の全存在を掛けて育て上げてきた子供との突然の別れ。


私は臓器移植意思表示カードを持っている。
私にもしものことがあった場合、どこの何を挙げてもかまわないと、
娘は少し泣きべそをかいたが、お母さんはもう痛くないのだからと説明して、
そのカードを持っている。
ただ、脳死の場合ではなく、心臓が停止した場合のみ。
この映画で取り扱っているような脳死段階での移植に、
自分だったら、どう行動するだろう。
もし、家族が同じことになったら。
健康に動いている心臓を、温かい体を、諦めることができるだろうか。


様々な思いを揺さぶられながら映画を見る。
でも、この映画はブックエンド形式のハッピーエンドだ。
亡くなった看護師であった母の思い出を辿る息子、かつての幼児は、
今は地方の病院に赴任する一人の医師。
そこで出会うはずの院長の机の上には、若い頃の母が写っている写真。
病院のみんなと一緒に写っている、在りし日の姿。


そう、彼が今から共に仕事をするのは、
亡き母に代わって共に仕事をするのは、孤高のメスを握った医師。
鮮やかで暖かい終わり方の映画。
しかし、現実はどんな医療が為されているのか、
小さなこと取るに足らない当たり前のことと医療現場で思われてても、
患者である自分自身、家族である我々にとっては、
一生に何度もない、初めての不安な出来事、心苛立つ日々、
気持ちが揺さぶられ、戸惑うことの尽きない日々。
医療の現場は安心できる信頼できるばであって欲しいけれど、
常にそうではないという所から出発する場合もある。


悲観的にならざるを得ない時も珍しくない。
だから、自分の知らない世界に惹かれて、
医療ドラマの世界は興味関心の対象になるのだろうか。
本日の家族で鑑賞映画、『孤高のメス』。
しかし、医師が孤高である限り、日本の医療は安心できない。
医師は本来孤高であってはならない、と感じた今日。

両刃のメス ある外科医のカルテ (朝日文庫)

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メスよ輝け!! 1―外科医・当麻鉄彦 (ヤングジャンプコミックス)

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