Festina Lente2

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意見を交わしながらも 

昨日に続いて日本語が母国語ではない人の講義を受ける。
なかなか講義内容の微妙な部分が伝わってこない。
全く伝わってこないわけではないが、微妙。
全て英語の講義を受けるわけにも行かないから、
日本語で説明されるのはありがたい事ではあるが、
出来るならばレジメに部分的な英単語か、原文そのままの文章が欲しい。


心理学的な専門用語、一人一人の状況説明に当たる内容、
例示として示される内容の一つ一つに
微妙なクエスチョンをつけざるを得ない。
それこそ日本人的な遠慮と諦めの入り混じった笑顔で片付けたくなるような、
突っ込んで聞けば混乱が生じるかもしれないう思いの元に、
わかるわからないの度合いの物差しが噛み合わないずれ、
鷹揚に類推される事象を自分なりに咀嚼して理解することが求められているのだと、
良いように解釈して時間が過ぎていく。


アットホームな雰囲気に、支えられている部分、
明確なメッセージの骨太な部分は理解できるが、
肝心の概念の中心に近い微妙なニュアンスが伝わってこないもどかしさ、
わかりづらい気だるさを、どのように処理すれば良いのか。
話す人間を受け入れることが出来ないのではない。
話された内容、目指す所、意図は理解できる。
しかし、真意に近づくための細かなニュアンスがわからないと、
サイズの合わない服を着ているような感じ。



分不相応といえば良いのか、切り詰めるべきは服のサイズ、
整えるべきは自分の体型? どっちもどっちの状態を、
どのように歩み寄ってバランスを取れば良いのか、
一寸ばかり持て余し気味の気分。
そんな気分で講義を聴いている。
彼の日本語が伝えられないニュアンスを英語で解釈。
でも、私の英語力だって怪しい。


ただでさえ時間が少ない、その合間を縫って昨日今日と二日間、
私は何を学んだか? 私は何を?
学んだだけでは応用力にはならない、
意識されるのは自分の考えの型、癖が抜けないこと。
いつもぐるぐる螺旋階段を回ってやっと上がって、
息を切らしながら上を目指しても、急転直下、
スタートに戻っている気分になる。
何もかも潰してしまう、そんな気分に。


彼が伝えようとしている熱意は伝わる。
彼が思い描くビジョンの切れ端は。
しかし、今更自分の心に深く突き刺さってはこない。
批判や幻滅ではない。
そういう気分にはなれない。
理想主義的な、前向きな明るい気持ちには、ということ。
片付けなければならない現実が多過ぎて、
夢を見る力を失いそうになる。


理想を追うとファンタジックな、単なる時間潰し、
そんな風に受け取られてしまうから。
仕事に直結するわけではない裾野に、せっせと水をまく。
そんな二日間。私の勉強、研修は支離滅裂。
楽天的に心を開くことができない。
小さな、毎日の出来事に一喜一憂。

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