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『ゲゲゲの女房』 

NHKの朝ドラの時間帯が変わってからはや3ヶ月余り、
お陰で出勤途中でも、話の流れが切れ目なくラジオで聞ける。
ようやく貧乏神と縁が切れて、あれよあれよの急展開。
水木しげるの妖怪ブーム一歩手前という感じ。
私は漫画黄金期のリアルタイム読者だから、
当時から漫画雑誌を読んでいて、うろ覚えの記憶なのだが、
題名が『墓場の鬼太郎』から『ゲゲゲの鬼太郎』になったのに、
何がしかの違和感を覚えた、そんな記憶がある。


子供は怖いものが好き。当時は色んな怖い漫画があった。
そう、妖怪ものに限らず、おどろおどろしい恐怖もの、
今で言うならばスプラッタ以外の何物でもない、
いわゆる『エルム街の悪夢』レベルの怖い漫画は人気だった。
ただ、怖い漫画は一発ものが多く、シリーズ化されるもの、
連載となるとなかなか難しかったようだ。


私は手塚漫画や水木漫画が、PTAの槍玉に挙げられていた時代を知らない。
楳図かずおジョージ秋山が攻撃されていたのは記憶にあるが。
何しろ、我が家では漫画を買ってきてくれるのは父。
今で言えば30代の父はちゃんばら物が好きで、
そのほかは興味が無かったようだが、子供にとっては嬉しいものだった。


今から思えば、怪獣もSFもナンセンスギャグも何もかも漫画で覚えた。
巨人の星』『明日のジョー』『天才バカボン』『アシュラ』
小学校低学年の頃から、少年漫画も少女漫画も読んでいた。
個性的な漫画を当たり前のように連載第一回目から読んでいた。
漫画家の生活がどのようなものか殆ど知らないけれど、
ようやっと朝ドラの世界が、自分の知っている時代に近づいてきた。


白黒TVでも家にあるだけめっけもの、車なんて持っている家は隣近所には無かった。
当時電話でさえも呼び出しで、自宅には無かったはずだ。
ケータイに抵抗があるのはその頃の反動なのだろうか。
安易に電話でメールで何もかも済ませる、検索も連絡も写真も、
そのお手軽便利感にどうしても馴染めない自分は、
紙芝居を見た最後の子供世代だが、貸し本屋の経験はとうとう無かった。


水木家が貧乏所帯から水木プロダクションになっていく今週の展開、
それは心弾む思いがするのに、何故か少し寂しい。
貧乏な時代の部分に思い入れしている自分がいる。
やれやれ、何てことだろう。
私は朝の出勤タイムに15分間、昔を味わっている。
自分の子供時代を再体験している。

ゲゲゲの女房

ゲゲゲの女房

ゲゲゲの女房―連続テレビ小説 (NHKドラマ・ガイド)

ゲゲゲの女房―連続テレビ小説 (NHKドラマ・ガイド)



ちゃぶ台、調度品、服装、音楽、話題、ニュース、
そういった昭和30年代から40年代に掛けての風俗に、
えもいわれぬ懐かしさを感じている自分がいる。
若い人はどんな風にこのドラマを見ているのだろう。
少なくとも私より年配の人は、もっと思い入れが強いはず。
それこそ高度経済成長と、自分の青春が重なっているはず。


どんどん出てくる漫画雑誌、付録、話題、流行、
連載へのどきどきわくわく感、今の時代のように情報過多では無い時代、
数少ない雑誌文化への傾倒は、年代世代を超えて共有できるものだった。
みんなが同じ情報を共有していた。だから、連帯感も育つ。
ある時代を共有している感覚、その繋がり感覚を、
今の時代の若者は持つことができるのだろうか。


聴く音楽も観る番組もばらばら。
情報もケータイで、パソコンで、TVでニュースを見るとは限らない。
みんながお茶の間で同じ番組を見るのではなく、
一人一人が別々のTVを持ち、ケータイで観、
自分独りだけの空間で何もかもが事足りる時代に、欠けてしまった
お隣さん、親子兄弟姉妹の濃密で鬱陶しい関係も、
骨身を削るようにして片寄せあった家族も、
貧しくも理想に燃えて志を一(イツ)にした仲間も、
みんなみんな過去に置いて来てしまった様な、
そんな感覚を持ってしまうのは、後ろ向き過ぎるかも知れない。


でも、幸いなことにこの番組には後ろ向きの暗さは無い。
だから、マイナーに走り気味な私の気持ちを上手に引きとめ、
物語の進行と同じく、少しずつ時間軸が前進していく。
時が流れていく。健康に時代を俯瞰しながらタイムトリップ。
子供だった当時、水木しげるが戦争で片腕を失ったことなど知らず、
無邪気に不思議な世界を楽しんでいた。


悪魔君の呪文も、河童が現れる川も、一反木綿に乗って飛ぶ鬼太郎も、
いわば和製ファンタジー、冒険談だったので、
特に異世界に踏み込むのに垣根の低い子供としては、
当たり前のように向こうの世界に遊び、こちらに戻ってきて、
様々な心のバランスをとって、子供にとっても大人が思う以上に、
適応し難いストレスを乗り越えていたのだと、今更ながらに思う。


ヒーローは孤独で、特別な力があり、周囲から理解されず、
何がしかの裏切りや心無い仕打ちに苦しんでおり、
それでも隣人愛を忘れず、「正義の味方」だった。
だから自分自身もいつかは「特別な力」が目覚め、
周囲のまなざしから自由になって別世界に飛躍するのだと、
訳もわからない憧れと夢を抱いて、本の世界に没頭していた。
その、子供時代をどうしても思い出してしまう、
朝ドラの世界の背景のあちらこちらに、自分を見出してしまう。


他の人でも、そんな見方をしているのではないかな。
昔の自分をあれこれと見つけやすく、感情移入し易いのでは。
徳島に住んでいたことがあっても、『ウェルかめ』の展開には、
なかなかのめりこめないだるさがあった。
作り物の気だるさ、気合を入れないとその世界に入っていけない緩さ、
間延びした演出の向こうに、深く造詣されずに中途半端に消化された、
そんな感じの物語展開があった。
先が全く見えず、行き当たりばったりで、どこに焦点が当たった物語なのか、
全くわからないままに、小さな物語が組み合わさっていた『ウエルかめ』


それに比べて時代性を身に着けている、背景に持っている物語は強い。
景色も空気の色もあの頃の雰囲気や思い出、全てひっくるめて、
自分が最も感情移入しやすいものが誰にでも見つかる設定、
あちらこちらと目が行って、どこか見覚えがあって・・・。
そういう世界に魅せられている自分がいる。
なのに、明るい話題が多くなってきたというのに・・・、
何故か今週は寂しい。


時代が進んでどんどん進んで、現実の時間に近づいてくるのが何故か怖い。
我ながら、気弱なことだ。
ゲゲゲの鬼太郎の歌「お化けは死なない、病気も何にも無い♪」を
無邪気に歌っていた子供時代を遠く離れて今があるのを、
やたら強く意識するようになってきてしまった。
自分の知っている、物心付いている時代になってくると、
何かと思うことが増えてきて、楽しい思い出だけではなく、
思い煩ったことも思い出の一つになってきてしまい・・・。


ゲゲゲの女房』は、子供時代の自分を、
そしていまや家庭を持ち、母となった自分を振り返らせる。
あれこれと考えさせる。落ち込むこともあるけれど、
そして、励ましてもくれる。
どん底から這い上がる強さ、生きていれば頑張れる強さ。
そんなことを取りとめも無く思いながら、
娘の夏休みの始まった今日。家人の誕生日。

お父ちゃんと私―父・水木しげるとのゲゲゲな日常 (YM books)

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