Festina Lente2

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気持ちの谷間

楽しいことばかりが続くことは、無い。
人生は半々、とんとん。それで上出来。
やじろべえのような毎日をバランスといい、
綱渡りといい、当たり前に生きるといい。
頭でわかっていても体が納得しないのか、
頭でわかりたくもないし、体もそうなのか、
とにかく激怒と失望が一緒になると、疲れますわ。


幸せだなあ、楽しいなあと思っていると、
すとんと落とし穴にはまる。
毎度のこのパターン、やめて欲しい。
サラリーマンが家を新築すると転勤になるという、
あのジンクスみたいに、私の生活を蝕んでいる。
修行で「怒るな、怒るな、腹を立てるな、寛容」と言うけれど、
あれは無駄なエネルギーを使わないためには必須。


無いても笑ってもおなかは空くし、
諦めても諦められても喉は渇くし、
やめてもやめなくても、過去は消えない。
忘れても忘れなくても、思い出させるものは沢山ある。
気持ちの谷間に落ち込んだとしても、沢山ある。
自分で自分を何とかなだめすかそうとするのだが・・・。


忘れようとしていたことが、サイレン付きで蘇ると、
世界全体が塩を掛けられたナメクジのように縮んでいく。
世間では、死ぬことが怖く無いようにボケる。
わからなくなることで死から遠ざかると言うけれど、
本当かどうかわからない。
ただ、痛いのは嫌だなあという感覚。
大体、残されたものの方が辛いのが普通。


体の死、忘れ去られることの死、それ以前に、
緩慢な死、感情の風化、亀裂。
体の問題ではなく気持ちの問題。
まあ、這い上がることを前提に突き落とされるのならば、
こういう人生の仕組みだと、落とし穴に落ちるまでに気づかず、
毎日の気忙しさに取り紛れて、何も考えない振り、
感じない振りで生きていけと言うならば、
それはそれで仕方の無いことなのかもしれないけれど・・・。


まじめに生活することは面倒?
仕事があるから、生活にねじを巻く。
一定の時間に一定の量、何がしかの仕事。
さくさくと物事を進めることはできなくても、
心はがっくり来ていても、やるべき決まったことに救われ、
頭は空っぽ心は空ろでも、さくさくと進まなくても、
時間の流れに後押しされて一日を終える。
明日からは出張。
動きたくなくても予定が後押ししてくれる。


自分の気持ちや思い込みなどどうでもいいこと、
毎日が動いていくのは当たり前。
自分の落ち込みや嘆きなど些細なこと、
日々は動いているので、こだわる方が損?
心の支えになるような信頼や張りが崩れても、
支えは折れるものだとわかっていれば、
傷つかなくても済む?


堂々巡りの落ち込みを感じ始めると、
心の谷間に滑り落ちるのは早い。
クレバスに爪を立てても落ちることには変わりない。
後は、谷間がどれだけ深いかで、
どれだけ落ち続けなければならないのか、
自分で落ちながら計っていかなくてはならない。
爪を立てた分どれだけ心が痛いか、血を流したか、
自分でわかっていなければならない、
それだけ。

ケースで学ぶ異文化コミュニケーション―誤解・失敗・すれ違い (有斐閣選書)

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福田恆存評論集〈第12巻〉問ひ質したき事ども―言論の空しさ

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