Festina Lente2

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キーワードの迷路花火

今日ここに座っていることは有意義だろうけれど、
頭の中に火花が散って、枝垂れ松葉模様。
線香花火のように煌き火を噴き、小さな赤い火の玉。
タメを作って、じっと待っていると思い出したように、
電光石火の早業、いや、時間を切って火花が散り始める。
それを大事に揺らさず持っていれば、火花はまるで、
神経が絡み合い伸びていくかのように、
闇の中に無限の蜘蛛の巣を垣間見せてくれる。


頭の中の眠っていた部分、刺激を受け、訪問者が来ると思い出す。
自分の使命、ミッションだったはずのもの、希望、夢、仕事?
ねばならぬ、した方がよい、しなければ大変?
忘れていたのか、眠っていたのか脳内ネットワーク。
かつて学び、調べ、脳に刻んだはずの内容は一昔前に遡る。
今また新しい人の、新しい言葉で展開される、
リメイク、リバイバル、リサイクルされるキーワード。


適切なコミュニケーション、そんな風に言い換えたら、
世界中な何もかも、それが成立するかしないかで二分されそう。
能力の有無ではなく、感受性の問題なのか。
偶然の出会いを必然の自己向上のチャンスに導かなかった
人間の一言が致命的だと、そんな風に聞き取れないでもない。


でも、何処かの宣伝文句じゃないけれど、
事件は現場で起きている。
かつての理想がどんなにリメイクされた新しい言葉となって、
新たな切り口、新しい断面を見せても、
人が悩み苦しみ立ち止まるのは、明日がわからないから。


明るい明日を思い描くより、不安のほうが大きくて、
前に進んでいくよりも後ろに後退してしまい、
そんな自分に嫌気が差して自暴自棄に至らないまでも、
緩慢な心の死を選ぶように、流されて年をとっていくから。
夢見たり希望を持ったりする時に、どうせ〜でしょと、
十把一絡げで片付けられる市小市民の人生なんぞ、
そんな風に醒めてしまっているから。


明るい未来を見る前に、自分の不安定な土台の上で、
人に差し出す、差し出せるものが、一本の藁?
それとも一本の木、長いロープ?
自分が人と関わっていく時に、偽善でも偽悪でもなく、
ストレートに今日のキーワードを骨身に染み込ませて
動くことなんて本当に可能?


弁舌も爽やかな頭の回転の速い、よく用意し整えられた、
滅多にお目に掛からない「こなれた研修」の現場に来ると、
自分が感じているのは感銘なのか、仕事へのやる気なのか
それとも単に洗脳されているだけなのか、ふと不安がよぎる。
知的な興奮の時間が過ぎると、素直に受け入れることは難しい。
多すぎるキーワードを後にして、歯科の診察台に座る今日。

キャリア教育の心理学―大人は、子どもと若者に何を伝えたいのか

キャリア教育の心理学―大人は、子どもと若者に何を伝えたいのか

教育と医学 2009年 09月号 [雑誌]

教育と医学 2009年 09月号 [雑誌]


全ての進路、不登校の問題、不適応に陥ること、
全てのキャリアに関わる問題の背景には進路指導がある。
進路指導というと誤解を受けそうだから、
あえて言うなならば進路カウンセリング。
いえいえ、必ずセットにして考えること。
カウンセリング&ガイダンス。


はいはい、昔風に言えば人生設計が曖昧な場合、
相談相手に耳を傾けて貰うことで、アドバイスを貰う以前に、
自分の内なる声も聞き取ることができたのかもしれない。
が、今やそれは、自己表現能力のある者にのみ可能な方法。
自己洞察や自己確認を経て、自己表現できるものだけが、
自己肯定感を獲得する過程というわけ。


人との関わり方が下手で、自分をどう表現してもいいかわからず、
呟きが自己表現だと思い込んでいる人間は、
相手に伝わるように話すこともできないし、
ましてわかりやすく話すことさえもできない。
その工夫さえもせずに、相手が察して推し量ってくれないと、
「誰もわかってくれない」と拗ねることになる。


こんな時代の関わり不全症候群を相手に、
何がしたいのか、何に興味を持っているのか、
どうしたいのか、何ができるのか、
どんなものであればやってみてもいいかと思えるのか、
尋ねてみたところで不毛。
「別に(何も無い)」「普通(特に何も無い」


自分が思い描いた未来がどんなものだったのか。
その未来はあくまでも思い描いただけで実現できていることなんて、
どれほどのこと? と甚だ?????
自分を肯定できない人間が自己肯定感を育てる人間育成に
関わることができるかどうか、甚だ疑問。


が、幸いなことに若い頃の懐疑的な人生論をとっくに忘れ、
ボケが始まったら忘却の波が押し寄せるが如く、
「こうすればこうなるんではないか」的な講演や講義を聞くと
キャリアを育てる正しい道筋が開拓できるような、
そんな気分になるから不思議。


キーワードの嵐の中を、録音機器から耳に注ぎこまれる
講義内容を早送りで聞きながら道すがら、
地下鉄も電車も何もかも、今日の歯の診察に集中・・・!
キーワードの嵐の中を・・・。
例えば、私の「ライフキャリア レインボー」や如何に。


虹の橋など渡れないと気付いたのはいつの話?
抜けた歯を集めて壺に容れてに虹のたもとに埋めたら、
宝物に変わるとでも? 
それは抜けた歯を枕の下に入れると金貨になる、どこかの国の話。
自分のライフキャリアレインボーに忸怩たる思いを抱きつつ、
相変わらず進まない「慎重なる」歯内治療のバイパス。
出口はあるのか、私の歯の寿命を見守る治療過程。
インターネット上で歯の治療風景は見られるが、
どうなるのだろう、自分の歯は。
そう、人の画像は見えても自分の歯は見えない。
キャリア指導もそんなものだろう。


術野の狭い歯内治療、顕微鏡を使わずに今日は終わる。
私にはどうすることもできない自分の歯の未来。
私に委ねられているのは、キャリア教育の一端の一端。
自分や自分の家族の未来もままならぬまま、
一本の歯の未来を憂えているまま、
暑い暑い火曜日の夕。驟雨の後の街中を歩く。

人間としての在り方生き方をどう教えるか―小中高12年間を通した道徳教育・キャリア教育

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大学生のためのキャリアガイドブック

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