Festina Lente2

Festina Lente(ゆっくりいそげ)から移行しました

破切ファイル取れる

本日とっても忙しい、充実した1日。
ちょっとだけ、ナチュラルハイ。
午前中、歯科。色々ありましたが、バイパスで根幹治療中、
確認のレントゲンに折れた破折ファイルの影が無い。
2ヶ月の間の心配の種が・・・消えました。
これで順調に根幹治療が進んでくれれば、自前の歯を土台に、
定年まではブリッジで食べていくことができそう。
先生、諦めずに治療を続けてくれてありがとう!


あれから1ヶ月以上がたって、何だかなあと不安なまま
いつになったら取れるのかわからない針。先生は
「慎重に治療していきます」ばかりで・・・大丈夫かな。
そんな風に今日も終わるのかな・・・と思っていた矢先、
今日の治療後レントゲンを確認してみたら、
折れた針の姿が無いとのこと。


先生いわく、先週の治療時も取れたかなあの感触があったよう。
ただ、治療終了後確認のレントゲンを撮らずわからないまま、
今週もバイパスから根幹治療。どうやら流れ出たらしい。
4mm程度の破切ファイルがそんな風に出て行けるとは・・・。
先生自身もいつ取れたのかわからないと言うし・・・。


歯の根っこの先が曲がっていて難しい難しいと聞かされ、
だめな場合もよくあるらしいと他のHPでも見、
根幹治療の難しさ、繊細さ、歯内治療の何たるかを
他のブログやHP、You tubuでも画像で見ていただけに、
半ば諦めかけていたんだけれど・・・取れたらしい。
これで私の自前の歯は奥までちゃんと消毒して貰って、
長持ちする可能性が出てきた! そう思えると嬉しい。


主治医の先生も「私も嬉しいです」と、お互いちょっとウルウル。
「ご心配をおかけしました」と言ってくれた所を見ると、
先生にもプレッシャーのかかる治療だったんだなあと、
つくづく思えた。何しろこの狭い術野の1本のファイルの先、
見えない所で歯や周囲の組織や骨そのものが繋がって行く。
歯1本駄目になったら、周囲は連鎖反応を起こす。


1本の歯を長持ちさせること・・・。
それは、単に口腔内の環境を整えることだけではなく、
審美的にも影響が大きい。今回のように見える部分だと、特に。
精神的にダメージを食らう部分の歯だけに。
だから、中で針が折れたという事実よりも
「取れるかどうかわからない可能性がある」と言われたことが辛かった。
次善策の提示が丁寧になされた後も、
「自分の歯がどうなるかわからない状態」が続いていることに、
「こんな駄目な歯を持ってしまった自分」
「治療しにくい歯を持っていた自分」を意識し、
マイナス思考に陥ってしまい、めげていた。


幾ら滅菌しているファイルだから仮に残っても大丈夫とか、
バイパスからお薬を入れて様子を見るからと言われても、
そんな折れた針がずっと根っこに残ったまま・・・と
どうしても気になって仕方が無かったし。
無論、プロの先生方からしたらそんなに大きな差が無く、
歯を残せるのかもしれないけれど、気持ち的には気分が悪い。
針が入ったまま塞ぐというのは、ね。
だから、そうならずに良かった。


ただし、安易な安心はできない。若くも無い更年期の体、
ガタが来ている体は、どんな所で綻びて行くかわからない。
現実問題、この破切ファイル事件の後、無闇に噛み締めて
歯を傷めそうで怖かった時期もあった。
嫌な事や辛い事があると無意識に歯を噛み締めてしまう。
実際、最近右下の歯が滲みる。
主治医ははレントゲンで確認して、保存修復担当の先生を紹介、
次から診て貰う事に。


延暦寺にお参りしたご利益? 破切ファイルとは縁が切れた。
ついでになかなか治療の進まない状況からおさらばすべく、
順当にさくさくと歯の状態がよくなればいい。
神頼みばかりではないけれど、歯は目に見える臓器。
守って頂けるようにお願いするばかり。

京都おまいり&ご利益 (たびカル)

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「感謝の習慣」で人生はすべてうまくいく! (PHP文庫 さ 41-1)

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思いがけず長時間の治療となり、午後からの研修に滑り込み。
これまた、懐かしいお顔を拝し奉る日となった。
なかなか有意義。知っていることや、日頃実践していることも、
別の角度から光を当てれば、なるほどといつも思い知らされ、
わかっていてもなかなかできないことも浮き彫りになり、
されど、経験に助けられ、或いは何となく押し流されて
どうにか取り繕う日々なので、研修は必要不可欠だ。


以前までお付き合いのあった講師の方曰く、
「自分が何者か、何をして来たのか、日々の確認や整理になるように、
また、皆様にとってもお役に立てるように、
双方にとって実りのあるように話を進めていきたい」と。
そう、一方通行では駄目な仕事なのだから、
こういう場合でさえも、その姿勢は貫かれなければならない。
ただ、さらりとそのように話せる人は少ない。


大抵の場合、講演・講義形式の研修で呼ばれる講師は、
こなす数に追われて同じことばかりを話す。
ネタは同じなので使い回すことになる。
ケースが異なっていても、毎回同じパターンで終わることが多い。
またか、と思わされることも少なくない。
それどころか、ありきたりのことを何度も話して、
しつこく繰り返すだけ、つまり中身はちょっぴり、
水増しした内容、薄い内容を引き伸ばし引き伸ばし、
後は、本を買ってくださいと表で割引販売、
そんなこともよくある話だ。


確かに本を買って勉強するのが筋だろう。
専門書を幾つも読んで、自分なりに理解して行くのが。
ただし、研修の場というのはそういうことばかりではなく、
今、この場でのやり取りや質疑応答を実際に通じて、
或いは、見知らぬ「同志」とのワークショップを通じて、
考えをまとめるきっかけをつかんだり、経験を分かち合ったり、
お互いが周囲を観察、分析。何らかの形で経験値を高め、
それなりに参加した実感をもって帰る必要がある。


強いて言えば、有料で参加するのは単なる場所代なのか、
それともその講師に対してなのか。
身銭を切ってでも参加したいというのと、
お上の命令や、出張とでは既にモチベーションが違っている。
切実さの度合いが異なる。
むろん、実際に参加してみていいなあと思えるものもあれば、
実費持ち出しでこれではなあというものもあるのだが、
今年は概ね「当たり」であることに満足。


これもお参りのご利益と、有難く受け止めて帰ろう。
午前中の歯の治療で、体が溶けるような灼熱の炎天下、
せっせと出向いた甲斐があった研修。知り合いともお茶。
いい一日だったと疲れた足を運ぶ、家路。
やっぱりこういう日はほっとできる。


私たちも不登校だった (文春新書)

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不登校―その心もようと支援の実際

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