Festina Lente2

Festina Lente(ゆっくりいそげ)から移行しました

残業の夜、溜息の昼

集中力が落ちているだけではなくて、通院やその他の突発事態、
ルーティンワークとは別のやっつけ仕事、その他、
一度に沢山の仕事をすることはできないので、
1日にひと山ずつ崩していく。
それでも、納得行くペースで片付かない。
若かりし頃のペースでは片付けられない、もどかしさ。


次の日の分を減らすのではなく、次の日に積み残さない為に、
今日の分を片付けてしまおうとすると、勢い残業になる。
今週はおそらくこの調子で、毎日3時間の残業が続く。
好きで残業をするのではないが、隙間仕事で埋まらない。
小手先のやりくりでは、頭の切り替えがつかなくなる。
経験でざっくりこなせることと、こなせないこととの差が開いていく。


一気にしないと出来ないことや、頭が回転しないことなど、
気分転換の合間に仕事をしているのか、
仕事が気分転換なのか、分からなくなる時があるくらい、
頭が回転しない時がある。
仕事を沢山しているというよりも、一々読まなくてはならない書類や、
通り一遍で片付けられない書類が多すぎる。


同僚に言わせれば、そんなものいちいち見てどうなる、だそうだ。
しかし、それはその人がそういう仕事の仕方で満足しているのであって、
自分の要領が悪いこととイコールだとは思わない。
メクラ判を押すことが、仕事の能率だとは思わない。
例えば何かの評価をする際、多少の際など気にせずに、
みんなおんなじに付けておけば文句は出ないだろうという。
だから、そういう仕事の仕方をしていないから、私は。

種を蒔く日々─九十歳を生きる

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種蒔く人 小牧近江の青春

種蒔く人 小牧近江の青春



なかなか意志の疎通が難しい。困難を極める。
きっと、別の現場ではそれが当たり前で、それが要領で
正規の仕事の「見せ場」をこなす、はかどっていますというポーズ、
シャカリキにやっているというポーズになるのだろう。
まあ、いい。
家に持って帰れないもの、持ち帰ってもできるもの、
それぞれ。


どの程度までやったか、それは自分の満足度にも拠る。
この程度までやってみてOKなのか、これしか出来なくても仕方ないなのか、
何処までやれば正規で、何処まで行けば認められるのかわからないけれど。
やった事を認められるなどと思い上がってはいけないし、
やったことが必ず実を結ぶと、心のどこかで信じきれない自分がいても、
自分を必要以上に責めたりはしない。
そんな完璧主義者でもない。ベストは尽くすけれど。


家内制手工業の世界で生きている人間は、ベルトコンベアーや、
ロボット化、機械化された要領で物事を測るペースで仕事を見ることは出来ない。
一人ひとりの差違を見極めていく時に、動体視力の問題だけではなく、
立ち止まって考えていかなければならないことが多いので。
でも、そうやって得たり考えたりした事を、
まとめる時間も、発表する場も、一般化することも出来なければ、
自分の中でだけで終わっていく世界なのだなと、
ふと寂しくなる、残暑厳しき水曜日。
溜息をついてしまう、週の中日(なかび)。


そう、そんな寂しさは誰もが抱えている。
仕事をしてきた人間ならば。
自分の中だけで終わっていくものが、数限りなくある。
伝えきれないことも、処理しきれないことも。
でも、それが、当たり前だから仕方がない。
種はこぼれる、幾粒も、幾万粒も。
種は蒔かれる、ここかしこ。
芽吹くのは、育つのは幾たりぞ?
それを思えばこその、徒労。
徒労とも思える日々。
寄せては返す潮の満ち引きの日々なのだから。

畑のうた―種蒔く旅人

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[新装版]人を育てる100の鉄則

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