Festina Lente2

Festina Lente(ゆっくりいそげ)から移行しました

今日逝ったのは

頑張っていた蚕蛾がとうとう逝った。
番(つがい)にする相手もいないまま、羽化して2週間。
頑張っていたけれど、とうとう・・・。


今日の「ゲゲゲの女房」でも、しげるの父親が亡くなった。
今週(第24週)のテーマは「人生は活動写真のように」だった。
老齢の父親、修平を演じるのは風間杜夫
彼も老人の役をするようになったんだね。
それにしても、メイクの時間が掛かるから省エネメイクなのか、
登場人物にかすかなメッシュの白髪を入れるだけなので、
俳優たちの顔が全然老けない。余りにも若い。
幾ら昔よりも老けないからって、あそこまで若いまま演技されると・・・。
ちょっと学芸会。


それでも、修平が自分の人生を走馬灯を見るが如く振り返りながら、
座っている映画館の座席。「なんだ、もう終わりか」と呟く修平。
その周囲から湧き上がる拍手に見渡せば、懐かしい顔ぶれ。
自分の両親、早世した叔父(後に渡仏し、映画や芝居のことを教えてくれた)、
境港で映画館をしていた頃の活動弁士、その他の人々。
静かに眠るように目を閉じる修平。


以前の連続ドラマ、「ちりとてちん」で草若師匠が亡くなるシーンも、良かった。
地獄の寄席に、先にあの世に逝った女房殿の三味線に迎えられ、
出向く場面が渋かった。それに通じる演出。


そして、臨終の床での竹下景子演じる妻の「いかる」こと、
絹代が香水を手に取り、修平にすり込む場面は泣けた。
「好きなだけ使わせてあげればよかった」
「60年も一緒にいたのに、親よりも長く一緒にいたのに」という
その台詞にも泣けた。


夫婦の機微は傍目からはわかりにくいことも多々ある。
憎まれ口を叩いているからといって、全面的に冷戦ではない。
そのやり取りが、いつもの日常ということもある。
芝居や演劇、映画が好きで、若い綺麗な女の子が好きで、
明るく賑やかなことが好きで、・・・こんな人が夫であれば、
妻が苦労することは間違いない。けれど憎めない人。


敬愛する叔父の生まれ変わりとしげるを育て、芸術的な素養を授け、
とうとう大作を物することはできぬまま、逝ってしまった修平。
絹代はその形見の万年筆をしげるに渡す。
大叔父、父、息子、脈々と受け継がれる、芸術家魂。
いいなあ・・・。
今日このシーンを4回も見てしまった。

大切な人をどう看取るのか――終末期医療とグリーフケア

大切な人をどう看取るのか――終末期医療とグリーフケア


そして、夜、谷啓の訃報を知った。
無論懐かしいコメディアン、娘にとっては、
NHKの教育テレビ『ざわざわ森のがんこちゃん』の主題歌を歌っていた人。
一世を風靡した芸人も年には敵わなかったか・・・と思いきや、
自宅の階段で転倒、脳挫傷で亡くなったと知りショックを受けた。


我が家では老父には2階には上がらないように言っている。
しかし、増設した物置に上がり降りしたがるので困っている。
断熱材も入れずに鉄骨ガレージの2階を自分の城にしたので、
サウナと冷却炉以外の何物でもない、
そこへの梯子に出向かれる度に冷や冷やする。


一昨年、大学時代の親友の父上も階段から落ちて身罷った。
幼児と高齢者の事故は屋外ではなく屋内というのは常識。
離れの物置が気になってならない。
くれぐれも、ビール片手に書斎兼物置に籠もらないで欲しいのだが。
何しろ今日は9月11日。
民間の映画でも“Day after Tommrow”をしている。
どこにでも誰にでも落日の日が来る。
致命的な、運命的な一日がある。
そんな今日。

家族を看取る―心がそばにあればいい (平凡社新書)

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育てるいのち 看取るいのち --希望をたずさえて

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