Festina Lente2

Festina Lente(ゆっくりいそげ)から移行しました

クルム伊達公子の話題に思う

伊達公子は再び13歳年下の選手を下して勝利。頑張るなあ。
朝からこのニュースで気分が高揚する。
39歳最後の日と40歳最初の日を試合に勝って迎える。
一旦引退して復帰した・・・それだけでも凄いのに、
16歳年下に勝ち、翌日休むまもなく13歳年下に勝つ。


職場では、疲労はすぐに回復しないから連勝は無理だろうと、
かなり否定的な意見が強かった。テニスを嗜む先輩(男性)がのたまう。
「もう若くないんだから、そうそう連勝なんてできんよ」との昨日の言。
それがどうよ、見事勝ち抜いた。喜ぶ私に彼が再び言う。
「次は全仏のチャンピオンとあたるんだから、もう無理だな。
まあ、ここまでだ」・・・どうしてどういう言い方するのよ。


男性だから? 試合の結果を淡々と眺めているだけだから?
勝ったことを喜ぶよりも、番狂わせを苦々しい思いで見ている?
もう少し、「良かったなあ」「凄いね」という目で見られないの?
今でもテニスしているんでしょ、趣味で。
私は妊娠出産を機にテニスクラブを止めてしまい、素人テニスと縁が切れた。
思えば体力維持に(体重維持?)役立っていたテニススクールの日々、
『エースをねらえ』リアルタイム世代は、伊達公子の生き方に勇気付けられている。
わくわくどきどきする。勝っても負けても応援する気持ちは変わらない。


なのに、水を差すような、というか、淡々と冷静に、
他のニュースと同じ扱いで、嬉しそうでも何でもない。
先輩、テニスが好きなのにどうして?
いまだにテニスしているじゃない、どうして?
これが同じテニス好きでも、男性と女性の差?
別の同い年の同僚の女性は、「伊達さんはみんなに勇気をくれるよねえ」と、
しみじみ語っていたというのに・・・。


この反応の差。どういうこと?
凄いなあと単純に憧れ、褒め称え、我が事のように嬉しくなる。
これが女性の反応。いや、そうじゃない人もいるんだろうけれど・・・。
あの人は特別なのよ、自分たちと引き比べても仕方が無いじゃないと、
やっかむだけで、感銘を受けるどころか迷惑気分一杯な人もいるのかな・・・。
男性人も多くはそうなのかあ。素晴らしいとは思うけれど、
そのチャレンジ精神、体力気力の充実、どこまで続くんだと思えるほど、
眩しくてならない存在の頑張り具合に、引いてしまうのだろうか。


それとも何? 伊達公子を支えている夫の影を、存在を感じて、
女性を心身共にサポートする男性の存在を感じて、
同じようなことを自分たちに要求するなよなと言う、そんな牽制を
無意識のうちに周囲の女性に示してしまっているのだろうか?
単に、偉業を成し遂げる女性への一歩引いてしまう感情よりも、
その背景にあるものに対して、引け目を?


女性が結婚しようがしまいが、どのように生きていくかはその人次第。
しかし、現役であること、結婚前も結婚後も同じように仕事をすること、
生き方の根本そのものを変えずに行くことを、否定する男性は多い。
結婚そのものを、男性の側の生き方に一方的に寄り添うことだと、
頭から信じている男性は実に多い。
だから、家庭の切り盛りを女性の仕事を思い込む。
掃除洗濯食事作りは女性の仕事だと。
家庭の維持機能は女性の仕事だと。それは責任放棄なのに。


では、自分の仕事を持つ女性はどうしろと?
人の生き方は様々なのに、考え方や感覚だけは古い。
100年以上も前の今は使われていないはずの法律に縛られて、
家制度の亡霊にまとわりつかれて、相手の生き方を縛る。
一方的にそれまでの人生を無かったことのように打ち切らせる。
それが「結婚」だと言うならば、上代・中古の時代の方が
人の生き方に対してより柔軟・弾力性があったと思わざるを得ない。
相手と共にあることに対しても、別れることに対しても。


確かに、伊達公子というかつての現役時代の名前と異なり、
クルム伊達公子」と表現されるたびに、違和感は感じる。
「かつての伊達公子」ではないのだという「違い」を感じさせる。
旧姓使用、夫婦別姓派である自分にとっては、気になる表記なのだ。
結婚しているということ=姓が変わること
それも誰と結婚したかと言うことをわかるようにするのは、
本当に必要なことなのかどうか。そうしたいのであれば、
それはそれでポリシーとしていいのではないかと思うものの、
「クルム」を付けることに関しては、私個人はどうかな?って感じ。

パートナーピラティス (MouRa)

パートナーピラティス (MouRa)



しかし、別の見方をすれば、その表現・表記はある意味アピールにもなる。
日本では通称名の旧姓使用はまだまだ認知度が低い。
しかし、研究や実績、仕事の面で一方的に相手の姓を名乗るメリットは無い。
欧米のミドルネームのように併記することができず
クルム伊達公子」のように併記することが不可能ならば、
「クルム公子」だけでは一旦引退した彼女を思い出すのは難しい。


ならば、結婚前の存在価値を別にいちいち必要としないから、
姓を変えることに抵抗は無いのだ、というのであれば、
それはそれでかまわない。合意の下に名字を選ぶことができる。
一方的に組み込まれていくのが当たり前だ、ではなく、
自分の新しい生き方を始めるにあたって、結婚後は新しい姓を選ぶ、
というのであれば、それはそれで構わない。


一般の女性で、夫婦別姓を望まない連れ合いを持てば、
民法の元の話し合いをすることもなく、することさえできずに、
一方的に男性側の姓を名乗らせられ、名義変更となり、
自分のそれまでのアイデンティティを根底から根こそぎにされ、
生き方や仕事のあり方を揺さぶられるのは、甚だ不愉快。
明治時代と同じ感覚で家制度に組み込まれるのは、冗談御免なのだ。


戦後の新民法ではどちらの姓を名乗るかは自由で、
家を継ぐのは男性の仕事でも何でもない。
結婚は家だけを守る(血筋)ためにあるのではないのに、
家族のルーツを伝えようとせずに、名前の意味を素人もせずに、
一方的に相手に組み入れら得ることをよしとして植え付け、
享受するように刷り込むのはどうかと、いつも思っていた。
選ぶ権利も放棄させられる。


いまだに「嫁ぐ」を、男性側の世界のルールにのっとり、
女性を一方的に組み込むことだと信じる人間がいる。
いまだに女性は借り腹であり、男性が生まれなかった家、
女性だけの家は名字が絶えて当たり前、仕方な氏と頭ごなしの人間がいる。
男性の家の名字が残り、家名は残されて当然、
女性の家の名字は、姓名は消えても当然という人間が。
何ておかしな話だろう。


他方、自分の家も財産もどうでもいい。墓を守るのも大変だ。
それに長男じゃないから身軽だし、どこに行っても俺は俺だよと、
養子になることも厭わず、結婚する男性もいる。
これも、「家名を継ぐ」ことを前提に婿養子になるわけだが、
ある意味、女性が家も名も捨て長男に嫁ぐことが当たり前と考える、
その姿勢よりはかなり柔軟な姿勢かもしれない。


次男だろうが三男だろうが下の名字にこだわる人間は多い。
そして、相手の姓が消え、墓守が消え、家名が途絶えることは気にせず、
男性上意の意識を保ち続ける人間は多い。
その中にあって、「クルム伊達公子」の表示を見る記事は新鮮だ。
新しい名字とかつての名前を併記している記事は、目新しい。
しかし、残念なことに、「特別な活躍をしている人」だから許される表記、
特別な女性にだけ許される通称名や別姓では困る。


私が研究した古代の女性は自分の本名を明かさず生きた人も多いが、
誰と結婚しようと、自分のルーツをそのままあらわす名前で表記、
伝えられてきている女性も多い。財産も名前も住む所も別々の通い婚、
婿取り婚と呼ばれる結婚形態がごくごく普通の当たり前の時代、
それでも家族は家族、一族は一族で暮らしていた。
中国も韓国も女性の名前を、一方的に相手の姓に変えることは無い。


伊達公子クルム伊達公子と表記される。
かつての名前を、自分のルーツを失わずに存在する。
スポーツ選手でも旧姓を捨てて、新しい名前で活躍する人もいる。
それはその人の選択であり、選んだからには他人がどうこう言うことではない。
しかし、旧姓は旧姓ではなく、そのまま使えるものだということを、
一方的に変える必要は無いのだということを、新民法での在り方を、
学校現場で習うことはただの一度も無かった。


家族であることを強調する、しかし、明治の民法はそれ以前の制度を曲解し、
徴兵用に整備された家・戸籍制度であることを、誰も教えてはくれなかった。
私は自分のルーツ、自分の研究した時代を愛し、こだわった。
かつての自分を創り上げてきた半世紀近い人生を、一気に捨てる形にして、
仕事を続けていくメリットは無かった。
「仕事を持つ」ということにこだわらない人間は、
選択する自由があることも知らずに生きて行くのが幸せだというのだろうか、
「特別な存在」ではないから? それもおかしい。


テニスの試合の行方を追って、40歳を迎えた伊達公子は気になる存在。
そのテニス人生によって、世界の注目を集めている。
クルム伊達公子は気になる存在。女性としても、テニスプレーヤーとしても、
様々な意味で気になる存在。だから、こういう人生の選択もある、
そしてその生き方を認めてくれるパートナーがいる、
その背景を想像してしまう今日。
自分にも娘にも家人にも繋がる「生き方」の在り方を。

よくわかる民法改正―選択的夫婦別姓&婚外子差別撤廃を求めて

よくわかる民法改正―選択的夫婦別姓&婚外子差別撤廃を求めて

いつも笑顔で Always Smile

いつも笑顔で Always Smile