Festina Lente2

Festina Lente(ゆっくりいそげ)から移行しました

稲穂にりんご


温泉の朝風呂に入り、散歩に出ると金木犀の香りが空から降ってくる。
駐車場辺りを見回すだけでもこんなに花が咲いている。

  

  


宿の玄関では不審者を威嚇するが如く、アテルイの顔。
そして、温泉の名の薬師様が描かれた大きな壺。
非日常的な空間に来たんだなあと、実感する宿の朝。
そして、上げ膳据え膳の朝御飯。

  


胸の奥深くまで新鮮な空気を吸い込んで、私の頭の中には無い、
今は奥州市と呼ばれる地域をほんの少しだけ散策する午前。
宿の辺りは高野長英の出身地らしいが、残念ながら見て回る時間も無い。
空は快晴、晴れ女の面目躍如の天気だ。

  

  


一面に広がる黄金色の景色、それは普段見ることのできない田んぼ。
実るほど頭(こうべ)を垂れる稲穂の景色。ありがたや。
この地方はこういう稲の干し方をするのね。なるほど。
これは穂仁王(ほにお)という干し方らしい。
もっとも発音はほんにょに聞こえるが・・・。

  

  


こちらは、機械で刈り取った後の藁を束ねて干してある景色だとか。
聞けば、コンバインで刈り取って強制乾燥させるお米よりも、
昔ながらの天日干しで乾燥させたお米は、茎からも養分が行き渡り、
じっくり旨みを蓄えて美味しさ倍増だそう。
でも、手間隙が掛かるから自分の家で食べる分だけ自然乾燥の天日干し、
農協に送る出荷用のお米はコンバインで刈り取ってしまうそう。
なるほどね。やっぱり稲刈りもスローフードで手間隙掛けないと、
美味しいお米にはありつけないと。

  

  


それにしても、屋根瓦が赤い家が目立つ。
山手のおうちの裏手、草の陰にきのこがどっさり。
栽培しているのは菌生ではなくて木に生えている舞茸。
日向には広がる林檎畑。だいぶ減ったそう。
昔は紅玉・国光・インド、そんな林檎が多かったけれど、
最近はふじが殆どのよう。すっぱり林檎が美味しいのに。

  

  


おまけに、摘果しないと枝も傷むし、品質のいい林檎は取れない。
でも、この景色は余りに哀しすぎる。牛の飼料にもできない林檎。
すっぱいと家畜の歯が浮くんだそうで、やれないとのこと。
でも、まあ、肥料になるかもしれないけれど、埋めるんですか?
本当に? ああ、胸が痛む光景。


空は青いし、空気は爽やか。林檎ジュースは美味しい。
こちらでは蒸しパンを作っておやつにするそう。
両親から聞いていた言葉は「こびる(小昼)」だけれど、
こちらでは「たばこ」と言ったりするらしい。あれまあ。
蒸しパンは「がんづき」と言っておられたけれど、合っているかな?
冷めても美味しいおやつを作って農作業の場に持って行き、一服。
栗や豆、南瓜やくるみ、それぞれ工夫して味付けを変えて、
・・・私が小さい頃から蒸しパンが好きなのも、
こういうおやつを食べていた親たちからの遺伝?(笑)

  


川っ淵には胡桃の木が沢山生えていると聞いたけれど、とうとう見られなかった。
その代わり、「花オクラ」というものを初めて知った。
実を食べるのではなくて、この黄色い花を食べるそう。
原産地アフリカのオクラ、エディブルフラワーもあったのか・・・。
噛むとねばねばする。このムチン質の噛み応え、やっぱりオクラだ。

  

  


自然の恵みが沢山。このみちのくの地で出会った植物。
写真ブログではないので、植物にも虫にも詳しくなく、
コンパクトデジカメですが、普段取らない写真を一生懸命撮った。
猛暑のせいで、今頃彼岸花が咲いているのも珍しい。
数珠玉だと思っていたはと麦も畑で栽培されていた。
土の匂い、風の爽やかさ、東北とは思えない・・・10月なのに暑い。
そんな一日の景色を、どうぞ、今少しご覧下さい。

  

  



通りすがりの旅人は、大地に根ざす人の生活を垣間見て憧れるけれど、
何の何の、それはいいとこ取りも甚だしく、許されないこと。
しかし、宮城県人2世の自分としては、秋に親の実家に里帰りしていれば、
今は亡き祖父母はこのように畑や田んぼに連れて行ってくれて、
日陰に腰を下ろして一緒に「こびる」を楽しみ、晩げの食卓で
「新米だぞ、たんと食え」と大盤振る舞いしてくれたのだろうかと想像した。


子どもの頃、米と味噌は田舎から送ってくれるものだと思っていた。
母の実家から、父の実家から、親戚筋から送られてくる秋冬の到来ものを、
当たり前のように享受し、自分の血肉にして成長してきたが、
祖父母叔父叔母の労働の賜物を、ありがたく受け取っていたのだと思い至らなかった、
余りにも幼かった子供時代を顧みて、赤面しつつも大地を伏し拝みたくなる。
そんな心持ちになった、この実るほど頭を垂れる稲穂の景色。


最近は「ひとめぼれ」が多く、昔の「ささにしき」「こしひかり」は少ないそう。
でも、私はもちもちとした粘り気のある御米が好きなので、というか、
子どもの頃に食べた米の味が好きなので、無意識に求めてしまう。
林檎もそう。甘いものよりも、すっぱいものを。
売れるものを作るのが産業としては当たり前だけれど、一抹の寂しさ。
自分の知っている味からどんどん遠ざかっているような。


肥やしを入れすぎた田んぼは米が寝てしまいやすい、大豆を植えた後の土は肥えて、
かえって風に弱い稲が育ってしまう、そんな話を聞いた。
米を沢山作れと言われたり、減反しろと命じられたり、
ブランド米にこだわってみたり、作付けは政策に左右され、
田んぼは畑になったり、草っぱらになってしまったり・・・。
猛暑のせいで熱中症の人が出て、人手不足で収穫できず、
手付かずになった畑もあったと聞いた。

そんな大地を、生活を、一瞬のうちに通り過ぎていく旅行者の自分は。
ただただ、頭を垂れて通り過ぎていくばかり。
最後に、これが本日の昼食。

むらの生活誌―失われた伝統的生活

むらの生活誌―失われた伝統的生活