Festina Lente2

Festina Lente(ゆっくりいそげ)から移行しました

ナイト・アンド・デイ 

娘と待ち合わせるまで、『クスコ』にて一服。
何と中央電気倶楽部の向かいに、かつて学生時代から就職したての頃、
よく訪れていたクスコが移転してきていたとは。

 


そう、仕事が忙しくなり、大学時代の友人たちとも疎遠になった、
その頃から移転した店に一度も訪れることなく、記憶の彼方の店。
まさか、今日ここで再会するとは。


しばし、思い出を語りながら家人と過ごす時間。
娘と待ち合わせまでの時間。



ほんの少し若返ったような気がして、
ドーチカを歩きながら、気が大きくなって今年風のストールを
2枚も買ってしまった。どちらにしたらいいか決めきれぬまま。
そして、娘を拾って彼女の好きなファーストフード、サブウエイ。


イタリア、平城京、ペルーの乾いた風のクスコ、そして・・・。
映画はアメリカの空港から始まった。


気分転換に持ってこいの映画、『ナイト・アンド・デイ』
荒唐無稽なストーリーで、突っ込みどころ満載だが、
ここまで徹底的にやられたら「もういいか」という流され具合も、
何となく心地よい諦めのクッションで、それなりに納得して観るしかない。
こんな映画って、頭を空っぽにして楽しめるからいい。


トム・クルーズキャメロン・ディアス
一世を風靡した「盛り」は過ぎたけれど、まだまだ大丈夫。
何となく安心して観ていられる世代になった二人のアクションラブコメ
誰が何と言おうと馬鹿馬鹿しい楽しさでわくわくさせてくれる、
ジェットーコースタームービーで予測のつかない展開、
世界各地を股に駆けて移動、在り得ない時空間の移動、銃撃戦、
映画らしいハチャメチャ豪華な別世界、ある意味、最高にくつろげる。


これが単なるサスペンスだと無用の緊張を強いられて疲れるけれど、
笑えるシーンが連続しているので大丈夫。小5の娘も爆笑しながら観ていた。
残酷なシーンも無く、さくっと敵が倒れていく辺り、スプラッタじゃないし。
トム・クルーズ、中年になってもかっこいい。
今回は渋さよりも、危ないにーちゃんの言動で、どう見てもあっちの世界の人?
訳のわからなさ・回りくどさ・極端なストレート・無邪気な笑顔で、
敵も味方も翻弄しまくりされまくりのトンでもキャラ男だった。


それに比べ、非常にまともに見えて、どっか年齢の割に夢見てる、
やっぱり少々おつむの弱いキャラに毛の生えた程度かと思わせぶりな、
皺が目立ち始めたキャメロン・ディアスは元々コメディタッチが良く似合う。
すっぴんで体当たり演技が評判だった『私の中のあなた』よりも、
ずっと彼女らしくて安心して見ていられる。
(少なくとも私自身はそうだった)


現実にはありえない設定だけれど、この漫画チックな展開が「作り物」らしくて、
それでいて、かっこよくて楽しい。
女性の夢と男性の夢、程よい所で妥協しあっている。
007シリーズのような、大鉈振るって大上段に振りかざして
「小粋でスマートなスパイ・アクションでござい、そこのけそこのけ」的ないかめしさも無い。
気楽に楽しめる、ある意味アクションとラブコメの映画版、ハーレクインロマンス。


『食べて祈って恋をして』と同じように、世界のあちらこちらを掴み取り、
ふんだんにロケをしているというのに、嫌味ではないのは、観光の宣伝ですよ!という
てこ入れ、あざとさが余り見えないからだろう。
そう、その地で生活しているのではない。通り過ぎていくだけの旅人が、
必要な部分だけその地に密着し、利用し、活用している。それが普通。
その世界を理解して腰を据えているように描くのは笑止千万。


この、アクション映画の舞台、場面のように、必要だからはめ込まれたワンシーン、
ワンカットの背景に、名だたる観光地、豪華列車、伝統的な祭り、
そしていかにもアメリカらしいレトロな車、GTO。古き良き時代を回想しつつ、
少々ファザコンなキャラが事件に巻き込まれながら危ないねーちゃんに変化していく。
その洗礼は水ではなくて炎。
不時着炎上する飛行機とトウモロコシ畑。
(フィールド・オブ・ドリームスのトウモロコシ畑を思い出した)
何もかもが、映画らしい背景となって、ストーリーを繋ぐ。
背景が前面に出てきて邪魔することが無い。
こういう組み立てが、映画らしい映画で、少々オムニバス的な煌めき、
コラージュがあって好きさ。

Knight & Day

Knight & Day


私たちはそろそろ冒険できない年代に入ってきている。
健康に問題を抱えている家人、家族、私自身。
結婚してから子育てにかまけて1度の海外旅行もなく、
10年パスポートは期限切れ、こんな生活だとは思って見なかった、
結婚生活。娘が4つになるまでの穏やかな転勤生活、
不惑を過ぎてからにしては静かな子育て、
そんなふうに思っていたかつての自分が・・・笑える。


映画のようにアップダウンの激しい生活でもなく、
ほんの一日二日の昼夜のロマンスと冒険でなくても、
年月を確実に重ねていかなくてはならない日々は、
一見ゆるやかに見えても冒険は冒険だ。
非日常ではないけれど、日常の中に「危機」はいつでも潜んでいる。
残酷なまでの「陥穽」は、ぱっくりと口を開けている。
「信頼」はいつのまにか裏切られ、安心はより一層心もとない。
日々は二枚舌で生活の基盤を翻弄し、確実な明日を保証することは無い。


鮮やかに取り繕われた日常。そういうものを経験しているからこそ、
日々の鬱々とした澱(おり)のように沈む苦味を知っているからこそ、
底抜けに明るく馬鹿馬鹿しい展開のラブコメディや冒険ものに笑える。
心の憂さを吹き飛ばすような時間を垣間見る事を欲する。
いつも一緒に過ごすことのできない家族、少々いびつな子育て環境、
されど世の中の基準や普通なんてもの、多かれ少なかれ外れてなんぼ。


きっちり枠にはまった生活なぞ、
かつては枠そのものがあると信じ、尊重もしていたけれど、
その枠にはまったまま生きていくなんて、なかなかできることではないと、
思えるようになるまでにこんな年になっていた。
全く晩生(おくて)な自分の人生に呆れながら、映画館の席に座っている。
自分を重ね合わせ振り返るために、半ば自嘲的に「ここ」にいる。


人生はひっくり返ったおもちゃ箱のようだ。
どこから片付けていいかわからない。
あの頃楽しかったことが、今では単なるガラクタとして押し込まれている。
面白いこと楽しいこと、忘れられないこと、もう一度と願ったこと、
きらきらと輝くスノーボールの雪はまがい物、
仕立て上げられた高価なスーツは、売り物の見本。
ブランド物のタグ、見栄えの良い体裁、購買意欲を煽るだけのイメージ。


押し付けられ望まれた幾つものペルソナの影に、
生きられなかった自分の人生、出し惜しみどころか全く足りなかった努力。
夢を垣間見る為に、夢を切り売りして年月だけを重ね、
映画の中のきな臭い冒険の中に火薬の匂いを嗅いで、
思わず子どもの頃の花火の夜を思い出す。


ナイト・アンド・デイ。映画の中では男女の役割は入れ替わり、
お決まりのお約束、みんなが期待するどんでん返し。
人生が二度あれば、誰もが夢に見るどんでん返し。
一夜にして世界が変わる。
彼は世界を救い、変えたかった。その中心を見据えたかった。
彼女は愛を、自分一人のために存在してくれる誰かを求めていた。
彼は世界を救う戦いのさなかに一人の女性と出会い、
彼女は愛を夢見ている時に、信じられない事件に巻き込まれた。


恋人は別世界から白馬に乗って現れるのではなく、
自分の日常を破壊しに来る存在。
人生の綻びを修復する為に一旦過去を捨て、
再び自分の夢に彼を巻き込む、連れ込んでいく。
彼が自分の人生に飛び込んできたのではなく、
彼と新たな人生を作る為に大胆に行動する。
自分で運転するGTOに彼を載せて。誰に引っ張りまわされるでもなく。
そんな終わり方が、今風で良いなと思いながら家族の映画の時間。


現実の重みから逃れたがっている両親の狭間で、
屈託無く笑っている、そんな娘の笑顔に癒されながら、
敷居の高いお付き合いの場での午後は遠ざかり、
家族で過ごす夕べ、夜の帳をかき分けて家路に着く。
映画の余韻。海外旅行さながらにあちこち場面が変わる中、
新婚旅行の思い出の地、ザルツブルグもほんの少し映っていて、
ちょっぴり嬉しかったりする。映画はハッピーエンドだったし。
家人が、トム・クルーズと僕は同い年だとほざいており・・・(笑)
少しは仕事の憂さは晴れたのか。


食と目だけは海外旅行、地球を行ったり来たり。
目と口だけは、どこでもドア並みの行ったり来たり。
帰宅後、仙台の笹かまぼこと小岩井農場直送のスモークチーズ
どれだけ食べれば気が済むんだ、私たち。
やめられないとまらない、食欲の秋の夜長。
ナイトアンドデイで締めくくる。

トム・クルーズ プラチナ7BOX (初回限定生産) [DVD]

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