Festina Lente2

Festina Lente(ゆっくりいそげ)から移行しました

宇治の橋姫に会いに行く

大人の社会見学、最後の目的地、宇治。
朝っぱらから飲みなせぇ食いなせぇで来たが、
やっと文化的に且つ健康的に社会見学。
まずは「源氏物語ミュージアム」を見学して、例のDVD、
橋姫と源氏物語宇治十帖を重ね合わせた映像を見てから、
いよいよ歩き出すことに。


紅葉にはまだ早いものの、紫式部が咲き乱れる庭園は秋らしい。
何故か人通りが多いのは、スタンプラリーの観光客が多いから。
宇治は訪れる度に整備されて、だんだん昔の面影が無くなって行く。
宇治上神社世界遺産。石畳が続く「さわらびの道」途中の山裾、
ひっそり開かれた門が佇む。境内には本殿と拝殿のみ。

  

  


名水も静かな佇まいも、暑い夏の日に家族と訪れたあの日のまま。
家族と離れて、仕事兼付き合いでこの場にいることが不思議。
澄んだ空気と空の向こう、同じ青空を娘は見上げているのだろうか。

  


宇治神社、いつの間にか新しいお守りまで。
人形(ひとがた)も随分華やかだ。
以前無かったはずのウサギおみくじ。
来年はウサギ年だから?
娘の干支なので思わずお土産に買ってしまった。

  

  


あれ、このわっかは水無月の祓えのわっかに似ている。
もう年越しの祓えを設置しているのだろうか。
祈る若人2人、宇治の橋姫に魅入られぬように。

  


  


坂を下って宇治川へ。この川と橋を渡れば、平等院がある。
でもそこを見学している時間は無い。
今日の目的地は唯一、橋を渡って中州を突っ切り、
姫神社へ詣でること。


  


橋の向こうとこちら側、それは似て非なる世界。
川を隔てて世界は分かたれる。
国境が自然の川を利用しているように、物理的にも精神的にも、
「渡る」こちらと向こうは是非の違いを、差異を持つ。
間に横たわる川の深さと速さをもって、心の丈の緩急を表す。
疾く流れ行く心の変化のように、川面も空を映し千変万化の表情を見せる。


  

  


宇治川先陣争いの碑
のどかなベンチなぞある風情の中に、そびえる碑(いしぶみ)。
千年経っても語り伝えられる武勇を、今どれ程の人が記憶に刻んでいることか。

  


無骨な田舎者と嫌われた木曽義仲の四天王と呼ばれたうちの2人、
佐々木高綱梶原景季の、切ないまでの武勲争い。
この川を馬でどんな風に渡って行ったことか。

 


平等院に続く道のみやげ物の通りを急いで抜けて、
思いがけないほどあっさりと地味な佇まい。
道端の小さな橋姫神社。昔はどんな社殿だったのか。
明治の最初に消失してしまう以前の姿が見たかった。
今は本当に小さなおやしろ。片や住吉神社(左)、片や橋姫神社(右)。
住吉の神は船の形の屋根の男神様。橋姫はむろん女神様。
一方は縁を取り持ち、一方は縁を切る。


瀬織津媛を祀ったのが始まりとある。川の女神は悪縁を断ち切り、
現世の悩み苦しみを川下へ押し流してくれる存在だったらしい。
現実にはそれが難しいからこそ、人々は「縁切り」を願ったのだろう。
人間は煩悩の塊。為さねばならぬことを為すこともできず、
為さぬ仲になり、為す術(すべ)もなく橋の上に立ち尽くす。
渡り切れず迷う、その悩み苦しみはすぐに水に流せるものではない。

  


今の人々よりも情念の世界濃い、深き闇夜の中に魑魅魍魎を見た
平安時代の人の恋愛と信仰は、今の世の浮かれ具合をどう思うことか。
川の名も古の名作も命脈を保っているのものの、
21世紀の我々の心の橋姫はいずこ? 橋を渡ってその向こうには何が?
そんな悩みは宇治茶の香りと共に、川の夕風に吹かれて行った。